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目的なのか手段なのか分からない感じがいいのかもしれない

◇「教育×地域」というテーマでの談話があったので、それについて考えたことを徒然と書いていきます。


1.学校と地域は食い合わせが悪い?

 地域と言っても様々ですが、今回は比較的過疎地で人口の過半数が高齢者、昨年度の出生数は10人というような場所で、公立塾に参画されている方や高校の学生寮を運営されている方から話を聞きました。

 教育の場といえばまずは学校かと思いますが、学校には目標や目的があり、「昨日より今日、今日より明日」と伸びてゆこうとする学びの場のイメージがあります。

 一方、学生寮では、目標や目的というのは特にない暮らしの場です。「今日と同じ明日が来てくれたらいい」「子どもたちが毎日元気に学校に行ってくれさえすればそれでいい」そんなイメージです。

 共に学生の居場所である学校と寮は、ベクトルが違うわけです。
 そのようなカリキュラムとしてある学校と、暮らしの場としての寮との”あわい”の中で一人一人が探究できる、何かできることはないだろうかと共に模索していくプロジェクトに取り組んでいるのだそうです。

 なるほど面白いとは思いつつ、学校や学生寮もですが、子どもたちはいつまでもそこに留まり続けるわけではありません。一方、地域としては将来の担い手が欲しい。
 高校魅力化というのも生徒数を増やすのが目的だとすれば、卒業後もその地域にとどまってもらう、あるいはUターンしてもらわないと地域の存続は引き続き危ういものになってしまうのではないか、そんな疑念を抱いてしまいます。

2.集落を継ぐこと

 まずは住間に入ってみる。そこから故郷に似た愛着をもってもらいたい。県外から寮にやってくる高校生だけでなく、大学生や20~30代の社会人など、幅広く受け入れて、何かしらを共に学んでいこうという姿勢を地域住民の方も持ち始めているのだそう。
 つまり、住むことだけが求められているのではありません。訪ねる、繋がる、それも暮らすことの一部、いや暮らしと暮らしの”あわい”なのかもしれません。

 「稲刈りの時期だけ一週間来てもらうだけでもいいんです。そうすれば集落は続けていけますから。」地域へ移住することだけが全てではないことに気付きました。
 行けるときに行ってみる。とある地域、集落に気をかける。そうした関わり方があってもいい。それが地域の持続可能性につながるのだと思いました。

 農業体験をしてみたいから農村地域に赴く。結果、その地域は持続する。3年間寮生として生活する。その結果、その地域は持続する。
 どちらが目的でどちらが手段かなんてことは関係なく、気付いたら集落を継いでいた・・ということができたら人生も地域も豊かになるのだろうと考えました。ただし、その地域の歴史的背景や文脈の読み取りには気を付けて・・ということにはなるかもしれないが。

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