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国語教材としての宮沢賢治

◇こんにちは。子育てからちょっと寄り道します。学校教育での国語で必ず通るのが宮沢賢治ではないでしょうか。『やまなし』や『雪わたり』、『雨ニモ負ケズ』、『永訣の朝』など・・。

 「教科書を学ぶのではなく、教科書で学ぶ」と言われますが、国語の物語文に限っては、その作品を学ぶことにも大きな意義があると感じます。それは宮沢賢治に限らず、新美南吉や夏目漱石なども挙げられますが、今回は宮沢賢治に絞って学んだことを書いていきます。


1.宮沢賢治の童話は児童文学か

 宮沢賢治の作品の特徴の一つに結末の暗さがあります。怖さを与えたり、別れや死をもって終わる作品が多いように思われます。

 また、光村図書の『やまなし』では、宮沢賢治についての伝記が合わせて掲載され、一緒に扱いながら授業を進めるような教科書構造を採っています。作者に関する伝記がるのはおそらく宮沢賢治だけでしょう。

 こうしたことから、宮沢賢治を神格化してしまう雰囲気があるのではないかと平成22年度児童文学連続講座議事録には指摘が載っていました。

 たしかに『やまなし』は難解で、一読しただけではよく分かりません。宮沢賢治が生きた時代背景や彼の人生を通しての思想・言動および他の作品を参照していくことで『やまなし』の豊かな表現や宮沢賢治の世界観を理解していくことが可能になります。

 ただ、それは宮沢賢治の世界を理解することに資するのであって、一つの文学作品を物語として受け入れることとは少し違うのではないかとも思えます。

2.宮沢賢治の世界とは

 では、宮沢賢治の世界とは果たしてどのようなものかと言うとこれがまた難しい。例えば、吉本隆明氏の『宮沢賢治の世界』(筑摩書房)などが詳しいです。今回はこの本から少しかいつまんで紹介していきます。

 宮沢賢治は童話作家であるよりも、農業に携わってきた経歴があることは光村図書の教科書に書かれた伝記からも分かります。それだけでなく、宗教家の一面があることも見落とすわけにはいきません。(子どもに教える必要はありませんよ。これは最早趣味で行う教材研究の領域ですから。)

 賢治は童話作家(以後、吉本隆明氏に倣って芸術家という言葉を用います)でありながら宗教家だった。ここで、賢治本人は大きな矛盾と苦悩を抱えたのではないかと考えられています。

 芸術とは、作り手と受け手の間には障壁があり空間があって当然のものです。作り手にどんな意図があろうと、受け手の感じ方が違っても構わないということです。そうですよね?絵画や音楽など多様な作品に私たちは日々触れつつ、多様な感じ方をしているはずです。

 しかし、宗教はそうはいきません。宗教とは、一つの思想体系であり、人と人とをつなぐものです。

 どんな受け取り方もできる童話を作りながら、その作品に自分の思想を込める矛盾があった――。

 さて、宮沢賢治の世界とは具体的にどのようなものであったのか。

 自然は可変で変えられるものだということ。あらゆる生物は皆平等であるということ。この二つが、宮沢賢治の自然観、科学観、エコロジー観の基本になっているとかんがえることができます。

『宮沢賢治の世界』吉本隆明(筑摩書房)

 今の私たちからすれば、自然そのままが良いのではないかと考えがちです。しかし、過酷な自然環境(災害や飢饉)の中で生きた賢治にとっては元の自然よりもいい自然が作れるはずだ。元の自然が最上であるとは限らないのではないかと考えているようです。

 『やまなし』においても、五月と十二月はともに天然の自然風景です。五月の弱肉強食のような世界観と、十二月にある死をもってしても全ての生き物が平等に生きられることを示唆する世界観を対比してみるとよく分かるのではないでしょうか。


◇自然観を主に取り上げましたがそれ以外にも人間観や社会観もあると思います。それはまたの機会に・・。

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