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夏休みの宿題に何の意味があるのか

◇子どもにとって夏休みの風物詩の一つに宿題が挙げられるでしょう。決していい意味ではないと思います。そもそも宿題というものをいい意味で受け取っている人が果たしてどれくらいいるのか。
 夏休みの宿題をAIにやってもらうなんて記事も見られます。正直、辟易します。夏休みに限らずではるのですが、宿題についてちょっと考えてみたいと思います。


1.意味を求めるのではなく意図をもつ

 OpenAIに夏休みの宿題をやってもらう人にとっては、夏休みの宿題=無意味なものなのでしょうか。そういう方の真意を伺ったことがないので分かりません。

 「なぜ勉強するのか?」と原理的には同じだと考えます。つまり、夏休みの宿題に取り組んだことで事後的に学びにつながる―。

 夏休みの宿題と一言で言っても内容は学校や学年によって多様です。自由研究も最近は任意の学校も増えているそうですが必須なところもあります。読書感想文も同様です。一方、ドリルやワークは多くのところで取り入れられていると思います。

 「こんなに夏休みの宿題があるけど、それが一体何のためにあるのか?」と意味を求める問いをもつ前に、どのような意図でこれらの宿題が用意されたかを考えてみるとよいです。

 そんなこと分かってるよと返事が聞こえてきそうです。「前期(1学期)に学習した内容を忘れないため。」「学校が休みな分、勉強する習慣を損なわないようにするため。」「いろんな本に親しめるようにするため。」実際に今年度受け持ったクラスの子ども達が発していた言葉です。

 子どもにも意図は伝わっているのです。

 そして、これはあくまでも意図であって意味ではありません。なぜなら、夏休みの宿題を行ったからと言って「前期の学習内容が定着する」「家庭で学習する習慣が身に付く」「いろんなジャンルの本が読めるようになる」とは限らないからです。そうですよね?

 大事なことは、意図を汲み取った上で、どのような姿勢で立ち向かうかです。もっと言えば、こちらの意図など理解せずとも、いろんなジャンルの本に出くわしたり、よい復習の機会になったりした子もいます。

 「そうなるはずだ」と「そうなった」の間には大きな隔たりがあり、実際にやってみなければわからない。試しながら、感触を感じ取り、理屈と現実を擦り合わせていくのだ。頭でっかちになり「そうなるはずだ」が先行しずぎると、「実際にやってみて、感じる」作業がおろそかになる。

『熟達論』為末大(新潮社)

 為末さんはトレーニングをテーマにこのように語っているが、これは汎用性の高い話だと思います。だからこそ、夏休みの宿題を意味のないもの、かったるいもの、邪魔なものだと決めつけてしまっては、本当にそのような結果に陥ってしまうでしょう。

 意味など語らず、「とりあえずやってみる」でいい。「今日やったところはどうだった?」と、一緒に答え合わせをしたり、読んだ本の内容を聞いたりする。子どものつまづきが分かったり、読書の面白さに気付いている我が子に面白さを抱いたりする。そんな営みにできたらいいなと思います。

2.世界からの押し返しに耐える力

 もう一つ。これも夏休みに限らずですが、宿題が果たす役割としてスクールカウンセラーの藪下遊さんは鋭い指摘をしています。

 小学生になると宿題が出ますね。宿題の習慣をつけることは、小学校低学年の子どもたちにとって重要ですが、これは単に学習内容を身につけていくという理由だけでなく、「社会からの要請にはある程度応えていくものだ」というマインドを身につける上でも大切になります。「思い通りにならないのはおかしい」と思っている子どもほど、自分が外に合わせるということに拒否感を示しますし、そのマインドを残したままだと社会との適応が悪くなりがちです。親も「子どもを社会化させていく」という意識で子どもに宿題を促すことが大切な時期があるのです。

『「叱らない」が子どもを苦しめる』藪下遊・髙坂康雅(ちくまプリマー新書)
※太字は筆者

 夏休みは長く、自由に遊べる子どもにとって最高な期間であることがほとんどです。(ネグレクト、習い事で多忙など、家庭環境によってはその限りではないことも承知しています)自由ではあるんだけど、どこか頭の片隅に「やんなきゃいけないんだよな」がある状態。「仕方ない。午前中の1時間だけは宿題をやっておくか。」と思える状態。

 以前の記事では、「はやく大人になれ」というメタメッセージには反対の意を述べました。しかし、子どもも社会の中で生きていく上で、世の中と折り合いをつけていく力は大切です。

 困ったことに、大人の側にもこれが欠如している方が見られます。「塾が忙しいから宿題減らしてくれ」「海外旅行に連れていくから宿題なくしてほしい」…実際に耳にしたことのある言葉です。

 世の中は自分の思い通りにいくものではない、うまく折り合いをつける力の欠如…。藪下さんの言葉を借りるなら「世界からの押し返し」に耐える力が子どもにも大人にも必要だと思います。

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