オリンピックは狭き門症候群の象徴
◇「狭き門症候群」というワード自体ポピュラーではない(私自身は、中井久夫先生の著作以外で見たことがありません)ものの、言わんとしていることは分かると思います。
人はなぜ、狭き門をくぐろうとするのだろうか?パリ五輪を見ていると、これは最たる例だなと思わされます。
1.狭き門へと駆り立てる背景
中井久夫先生は、『学校精神衛生』と題して世界精神衛生連盟会議(1981年)で報告をしています。そこで強調されたのが日本人の「狭き門症候群」です。
狭き門をくぐるために、家族総出でかかることに対して病理ではないかとし、特に当人は家族内でも特権階級的となるが、家族内の不和や緊張を生んでいると指摘しています。
たしかに、受験生のいる家族の様子を思い浮かべると短くて1年とか半年限定ではあるけれど、家族一丸となる雰囲気もある中で、受験生が何においても優性され、ときに兄弟や親子関係で不和が生じることなどは想像に難くないと思います。
私自身も受験期はそうだったし、中学受験を考えている保護者との面談でもそれは常でありました。
中井久夫先生は、日本人としてその傾向は強い(個人的な感覚では韓国も相当だと思うのですが)とし、廃れない要因に次の5点を挙げています。
中井先生がこうした社会的背景を指摘したのは1981年ですが、そこから40年経った今もなお変わっていないどころか、激化している点もあるのではないでしょうか。
例えば、大学進学率の推移を調べてみると、現在では6割に増えています。特に女性の進学率は81年頃で2割だったのが今では5割と、増加率が顕著なことが分かります。
学歴社会からの脱却、と言いながら、狭き門を目指す私たち。養老孟司先生は自身の紹介文に対して、「東大を卒業して何十年も経つのに、まだ「東大卒」と書かれる。いつになったら卒業できるのか。」と皮肉たっぷりに仰られていました。
オリンピックを見ていると、これは学業に限った話ではないなと強く感じました。甲子園やインターハイといった中高生の部活領域、M-1やオーディションとしった芸人・芸能人関係の領域、いたるところに狭き門へと駆り立てる人、駆り立てられる人で溢れている。狭き門症候群とは、こういうことなのだろうと思います。
2.狭き門症候群とべき分布
正規分布、よくベルカーブと呼ばれるものがあります。身長や体重、知能指数などがそうですが、平均値が中心として高くなり、左右対称的に左や右に行くほど低くなっていく現象です。これも養老先生がよく言ってますが「血圧は高いと異常だと言い、東大に行くような知能はよしとする」ことからいかに脳化しているかが分かります。オリンピックで言えば、記録が飛びぬけて高い人、正規分布でいうと右端も端っこの方にいる人に出場資格があり、さらにメダルを争うようになるのです。異常対異常のようなものです。
一方、べき分布とは、グラフにおいて左端がピークで右に行くほど減っていく現象のことです。分かりやすい例が地震の震度と頻度の分布ですね。震度1や2は頻度が高いが、震度5や6は頻度がかなり低い。
落合陽一さんと暦本純一さんは対談の中で、「IQは正規分布なのに、収入という面でみるとべき分布になる」と指摘しています。
この本では主にAI活用について論じられていますが、やはり基底には狭き門症候群があるのではないかと考えます。収入の高さやそれを得られるポジションは広く開かれているわけではない。もちろん収入という観点で見ること自体間違っているのだろうと思いますが、いい学校に行って、いい会社に就職して、いい生活を送る、という言説もこれに拠っているような気がします。
多様な価値観を、と言われながもオリンピック然り、まだまだ狭き門をくぐる美徳への酔いから人々は醒めないようです。
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