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均質化と多様化の間

◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。以前、人は秩序志向の生き物だと書きました。秩序志向の世界では、均質化が好まれるように思います。同じ時間に登校して、同じ間取りの教室に入り、同じ形態のランドセルをしまい、同じ内容の学習をする。「個別最適な学びを」と言って学びに多様性をもたようにも、均質化した制度にからめとられてしまう部分が多いように思います。今回は、そうした均質化した社会の中で求められる多様化について書いていきます。よろしくお願いいたします。


1.制服

 学校には制服があります。小学校はない方が多いですかね。制服がある学校とない学校がある時点で、一定の「みな同じ」は避けられていますが、制服そのものがまさに均質化を促す代表的な装置です。ところが、制服の起源を辿ると、「自由の象徴」として誕生したそうです。

 1789年の大革命に先立つ10年ほど前に、フランスでは服装の平等化がはじまったと言われています。旧制度の階級社会では、貴族階級の衣服は権威と威信のしるしとしてあり、ー中略ー。新興ブルジョワジーは支配階級のそういう華美な服装に対抗してむしろドレスダウンを志向し、単色・無彩色の地味な服を「市民の制服」として身につけだしました。ー中略ー今日の背広の原型となる服です。

鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』

 フランス革命を前に、自由と平等を目指し、出身階級や差別を排除するという極めてポジティブな理念のもとで編み出されたというのです。「同じ服を着るということは、あらかじめ決定された社会的条件から個人の存在をいったん解除する」差異を解消する意味記号としての制服だったわけです。それが現在とりわけ日本では、没個性的な画一化の装置としてマイナスの側面のみが際立つようになってきました。
 そんな中、少しでも個性を出そうと制服を着崩すようになります。あるいは自分は「はみ出し者」だとあえて主張するかのように。しかしご存知のように、ルーズソックスとかミニスカート、腰パンといった着崩しをみんながやるようになり、やがてそれ自体が没個性的になってしまう倒錯が生まれます。それが「流行」です。一見これまでの常識を脱し、多様化へと走る新たな「流行」は気付けば事後的に均質化を促進します。社会は流行と廃りのサイクルです。その中で、ちょっとでも個性を出そうと努力します。

 同等の存在という意味で社会の均質化が展開するようになると、個人は他者との差異とか「個性」といったものを強調しないでは、じぶんの存在をじぶんで確証できなくなります。ー中略ー
 このように、ファッションという現象には、ひとびとがたがいに相手の<鏡>となって、みずからのセルフ・イメージを微調整しあうという面があります。「微妙な差異」にひとがこだわるゆえんです。

『なぜひとは服を着るのか』

 主に制服について書きましたが、文房具などの持ち物にも同じことが言えそうです。子どもたちは「流行」に敏感です。流行の波という均質化の中で、「微妙な差異」を作り出し、少しでも多様化しようとします。多様化への意識はないと思いますが。

2.均質化は国民性

 「日本は均質的だからアメリカのように多様化しよう」という発想そのものがすでに絶望的なまでに均質的であると内田樹先生は指摘しています。日本の国民性は「付和雷同体質」であり、それを効果的に活かす方がよいのではないかと。コロナ禍でみんなが何となくマスクしている、空気を読む的なそれです。こうした同調圧は、そう簡単に社会から抹消できるものではないと考えます。無理して「自分らしさ」とか「個性を見付けよう」とか「多様性を認めよう」と事前に言い立てる必要はありません。学びの中で、生活の中で、好きなもの、得意なことが発現したそのときにそれだと思えばいいだけです。

総じて人々得手無得手あり
英雄の上にも無得手あり 愚者の中にも得手あり
其の得手を知ること 人を試むるの要なり

吉田松陰『武教全書講章』

 「どんな人にも得意なこと、苦手なことはある。優れた人にも不得意なことはあるし、愚か者だと言える人にも得意なことがある。その得意なことを見取り、伸ばしていくことが大事である」と江戸時代末期に吉田松陰は言葉を残しています。
 たびたびいろんなところで書いていますが「持ちつ持たれつ」な関係の中で、「ちょっと手貸して」が言える、相互扶助的な社会を目指していくことが何よりなんだと思います。


◆最後までお読みいただきありがとうございます。多様性と言ってもそれこそ様々ありますが、とりあえず大雑把に社会的な均質化と多様化について書きました。生きやすい社会を目指して。

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