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HSP自己テスト ② 「他人の気分」

みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


今日、私の住む地域では、窓を開けて過ごすにはいい風が吹いています。

本当は、エアコンをガンガンかけて暑さを過ごす日々よりも、こうして「自然のエアコン」が使える天気が続けば、人間の身体にも心にも、よりよいと思うのです。

風の、天気の香りを運んで来てくれる「優しさ」に感動した日中でした。


先週から勝手に連載を始めた、

エレイン・アーロン博士著「ささいなことにもすぐ『動揺』してしまうあなたへ。」のチェック項目を基準にした、実体験について

の日です。

HSP記事は関心を持ってくださる方が多いのかなと感じていて、休日だろう土日を中心に、掲載していこうと考えています。

では、本日も参ります。



💟

はじめに


最初にお断りさせていただきます。

この記事に書く、敏感さ、思考・考え方、感じる事は、すべて、一個人の感覚、体験や価値観、考え方に基づいています。

なので「あるHSP当事者の敏感さ」について「参考」として、ご覧ください。


また、各項目によって、「感じ方や刺激の察知度合いは、人それぞれ」という前提で、話を進めていきますので、

「こういう状態でないと、この項目には当てはまらないんじゃないか?」

「ちょっと気になるくらいなのに、この項目に当てはまると言っていいのか?」

「自分に、特定のレッテルを貼るみたいで、嫌だ。」

と、感じられる方や、持論を変えたくない方もいらっしゃるかと思います。

ですが、ここでの主張は変えませんので、閲覧の際は、「ご自身の判断」において、よろしくお願いいたします。


ある人が「悩んでいる、困っている」と感じている「敏感さ」が、テスト「項目」に、あてはまるか、あてはまらないかを、判断するための記事ではありません。


「判断基準」として「HSP自己テスト」をお知りになりたい場合は、申し訳ないですが、他のクリエイター様でお探しください。



💟

「他人の気分に左右される」


私が漠然と「人間関係がしんどい」と感じていた原因の一つです。

個人的に、この項目で悩んでいる人は多いのではないかなと、考えています。


この項目の「他人」ですが、

私は、私以外のすべての人間に対して、気分に左右されることが多いです。

家族、親戚、友人、上司、先輩、後輩、先生、同級生、知人、たまたまその場に居合わせた人・・・私をとりまく人間全員に適応されます。

他人の気分が「喜び」や「楽しみ」、「幸福」でいて、その状態で、気分を左右される時は、まだ自分で気分をコントロールすることに落ち着いて対処しやすいと思います。

ですが、他人の気分が「怒り」や「悲しみ」、「憎悪」になると、人との境界線が引けないまま、その気持ちを直に受け取ってしまうために、心身を消耗してしまう方が、私を含めて多いのではないかと考えています。


さらに個人的に、この項目でこじらせていることが、ありました。

自分の”親しい人”が、主に「怒り」や「悲しみ」の気分を抱えていて、自分とは”知人程度の人”が「喜び」や「楽しみ」の気分を抱えていることがあるため、結局、

”親しい人”と過ごすよりも、”知人”と過ごす方が、気持ちを楽に過ごすことができる

という、状態です。

今年の3月までが、こういう状況下にいたので、周りに人はいるけれども、悩んでいることや困っていることが、相談できないでいました。

ご親切に「悩んだ時や困った時は、言ってきて欲しい」と言ってくれる周囲の人はいたのですが、そのお言葉に甘えて「敏感さ」を相談すると、

・「それは、みんな乗り越えてきている」という根性論

・「人は気にしなくてもいい」と言いつつ、「敏感さ」を欠点のように言われる評価

・「ごめんなさい、私ではどうにもできないです」と、話をきいてくれること自体までも、放棄される

という出来事が続き、その時々で変わる「他人の気分に左右されて」疲れ切った経験があります。


「気分が変わること」が悪いことだとは思いませんが、「他人の気分に左右されること」が、日常生活に支障をきたすほどに困る場合は、

・HSPに理解を示してくれて、その分野の専門職やカウンセリングの人

・同じHSP当事者で、自分が「話しやすい」と感じる人

・非HSPでも「理解したい、分かり合いたい」と思い、その思いが行動から読み取れて信頼できる人

に、相談してみるのがいいのかな、というのが、私の所感です。

その道のプロや、自分を否定しない人に聞いてもらえることが、「他人の気分に左右されず」に、落ち着いて自分の気分をコントロールできる第一歩ではないかと、考えます。


ですので、

どんなに身近な人であっても、闇雲に相談を持ちかけず、自分の基準で厳しく精査して、「この人になら、『敏感さ』について言える!」と、声を大にして言える人を見つけることが、重要

だと感じました。



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実生活から、考えてみる


実生活の場面ほど「他人の気分に左右される」ことを実感する場所はないと、私は思っています。


身近な人ですが、「怒り」や「悲しみ」の気分が大きく、心身共に消耗した例に「職場の上司」が、これに当たりました。


うつ病が再発し、2度目の休職期間を経て、職場に復帰しようとした時、「対処法は自分で考えているので、見守って欲しい」ということを前提に、HSP気質のことについて相談しました。

その上で、「どうしても自分自身で対処できない時には、力を貸して欲しいです」ということも言いました。

ですが、上司から返ってきた言葉は、

「敏感に反応し過ぎだし、他人を気にせずに、もっと楽にしていたらいい」

という言葉でした。

上司に悪気はないと思うのですが、この言葉で、自分が持ってしまった「敏感さ」を「ふたをしていれば、いずれ気にならなくなる」と言われたような気分になったのです。

「どんな対策を考えているか」と聞かれたときも、きっちり答えたのですが

「もうHSPのことは分からないから、自分ができそうなことをしておいて」

と、言われた時には、さすがに心が折れそうになりました。


自分にとってのマイナスの環境下で「他人の気分に左右される」ことは、心身消耗だけでなく、「いのちそのもの」が蝕まれていきます。

無意識に「やっぱり自分はダメなんだ」とか「ほら、ろくなことない」と、自分で自分を追い込んでいくことを、知らずに続けてしまうからです。


「身近な人だからと言って、理解してくれるわけではない」

と、わかりました。

この考え方は、「自分を好きになること」において、貴重な経験になったのでした。



知人ですが、「喜び」や「楽しみ」の気分が大きく、心身共に幸せになれた例で「ショップの店員さん」が、これに当たります。


大学生時代に知り合った、ゴスロリのお店の店員さんで、私がまだ「繊細さ」について、HSPを知らず、あやふやな自覚を持っていた時から、お世話になっていた店員さんがいました。

「他人に見られるのは気になるけれど、このファッションを楽しむことはできませんか?・・・無理ですかね?」

と、聞いたところ、決して無理強いをせずに、根気強く私の服の好みや、好きな服の型、慣れるための色の組み合わせといったことを、教えてくださいました。

ゴスロリファッションを着るとなると、人の視線は覚悟しないといけないですが、自分が着たいと思うファッションについて、(TPOはわきまえつつ)「他人の気分」ではなく「自分の気分が、どうなりたいか」という、視点を授けてくださいました。

そして、最終的には、私に教えてくださったことを、私や他のお客様に「小冊子」にまとめて、無料配布してくださったのです。

私が「お手間をかけさせて、申し訳なかったです。」と言うと、

「綺羅さんから、こうして聞くことがなければ作らなかったですし、冊子を作ることで、他のお客様にも喜んで貰えるので、いいんですよ。綺羅さんにも、もっとこの世界を好きになって欲しいですから!」

と、輝かんばかりの笑顔で言ってくださったのを、覚えています。

私一人のためではないのは当たり前で、それでいて「繊細さ」を尊重してくださるご対応に、心揺さぶられました。


”その場限りの人”との関係であっても「喜び」や「楽しみ」の気分にふれることは、自分を「新たな場所へ導く力」を授けてくれます。

「その場だけ」であっても、その出来事を振り返るたびに、私はまなびなおせますし、思い出すだけでも、幸せな気分になれます。


「他人の気分に左右される」ことが、自分が好きな人で、お気に入りの環境で起こった時は、「喜び」も「楽しみ」も倍増される感覚です。

単なる「厄介な気質」ではなく、

「幸せ増幅装置」として、働かせてあげたい気質

だと、考えています。



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「気分を左右させて」自分を歓喜させる


私は「他人の気分に左右される」のは、よくもわるくも、

「喜怒哀楽のバリエーションが、広く深いもの」

と、考えています。

それが、肉体的にも精神的にも「苦しい」「辛い」と感じる時は、プロの力を借りて、自分の気分をコントロールできるほうが、心身に優しいと思うのです。


私自身も「他人の気分に左右される」ことに、「苦しい」「辛い」と感じていた時がありましたが、生きている限り、私は完全に一人では生きていけません。

ならばせめて、

「自分の気分を”楽しい”とか”嬉しい”に、左右してくれる人の所にいたいな」

と、思い、自分の気分が「苦しい」「辛い」と思う人間関係や、環境を、すべて手放しました。

こんな荒治療はしなくてもいいのかもしれませんが、私自身はこうでもしないと、自分自身が無意識に、自分の「繊細さ」を追い詰めていくので、敢えて「断つ」選択をしました。


なくなった一瞬は、悲しみと苦しみで毎日泣いていましたが、それでも

「他人の”しあわせ”気分に左右されながら」、自分をしあわせな気分で満たす方が、私にとってはしあわせです。


この気質が、”自分のしあわせ”や”相手のしあわせ”、ひいては”第三者へのしあわせ”や”世界のしあわせ”に貢献できる気質に育てたいなと、思います。



💟

トップ画像は 朱夏様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからの、スキやコメントやフォローで、私は今日もしあわせです!

この記事にお時間をいただき、ありがとうございます。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、連休に各々ゆっくりお過ごしできますように。



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