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『けものフレンズ』という、傑作アニメがあった。

たつき監督による『けものフレンズ』は、大ヒットしたテレビアニメーション作品である。

しかし、この「名作」が、放送終了後6年を経た現在にいたっても、いまだ適切な評価を受けないまま放置されているという現状は、「日本のアニメーション史」においても、決して看過できない、恥ずべき事態である。

もちろん、作品評価として、賛否両論いろいろあるというのは当然の話だが、『けものフレンズ』の場合は、シリーズ終了後の「続編制作」に関わるトラブル(俗に言う「けもフレ騒動」)が、あまりにも大きなものとなってしまったため(※ 関連した「殺人予告事件」まで発生し、逮捕者を出したりしたため)に、今となっては、その「負の記憶(印象)」のせいで、作品評価自体が、敬遠される事態になっているようなのだ。

(たつき監督の当時のツイート)

『けものフレンズ』が、どれほどの「大ヒット作」かといえば、例えば「Wikipedia」の、次のような記述ひとつ見ても、おおよそのところは、ご理解いただけるはずだ。

『(※ 2017年)ニコニコ生放送での3月23日の第11話配信が、「アクセスが集中しております」というエラーメッセージが表示され、視聴できないトラブルが発生した。これを受けてけものフレンズの公式ツイッターが「本日の『けものフレンズ』第11話のニコニコ生放送の配信において、瞬間的なアクセス集中が発生し、視聴画面にアクセスしづらい状況が発生しました。ご迷惑をお掛けしまして申し訳ございません」と謝罪し、翌日の24日23時に再配信すると発表した。3月25日に配信されたテレビアニメ「けものフレンズ(けもフレ)」の振り返り一挙配信が、これまで1位だった魔法少女まどか☆マギカ(まどマギ)日台同時一挙配信(2011年6月配信)を超えて歴代ニコニコアニメスペシャル史上最多コメント数を達成した。配信終了後の「今日の番組はいかがでしたか?」というアンケートでは、「とても良かった」が97.6%と高評価だった。』

『2017年8月1日、ニコニコ動画で第1期第1話の再生数が933万回に達し、長らくニコニコ動画のアニメカテゴリの再生数で1位だった『ご注文はうさぎですか?』第1話を追い抜いた。』

もちろん、「ヒット作」が必ずしも「傑作」だなどとは言えないし、私もそんなことは言わない。

しかし、身も蓋もなく断じてしまえば、「そこらのオタクが言っているのではなく、この私が、歴史的傑作だとまで断ずるのだから、傑作に決まっている。異論があるなら、名乗り出て、その根拠を示してみろ」ということになる。

無論、これも私自身に、作品論としての『けものフレンズ』論を書くだけの理解があってこその物言いなのだが、今のところ私は、まとまったかたちでの『けものフレンズ』論は書いてないので、ひとまずここでは、私個人の確信を語ったものとご理解いただければ、それでいい。これを、一般的な評価として認めろなどというつもりは毛頭ないのだ。

ただ、アニメに限らず、文学や映画などを中心として幅広く各種作品を楽しみ、幅広いジャンルの本を読んで、面識のあるプロ作家などをも相手に、あれこれ忌憚なく論じてきた者の確信として、あえて私は、このように断じてみせたのでである。

実際、私は、『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』『魔法少女まどか☆マギカ』といった、世間でも広く認められた、時代を画する大ヒット作品ばかりではなく、出﨑統監督の『あしたのジョー』(『2』を含む)『エースをねらえ!』といった作品や、高畑勲監督の『火垂るの墓』『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』などなど、日本のアニメ史に名を刻む傑作群についても、いろいろと書いてはきたけれども、あらためて「作品論」として書いたものは、ほとんどないと言っていい。

個々の作品について、比較的まとまったものを書くようになったのは、ここ3年くらいのことでしかなく、しかも、こうした「昔に視た傑作」というのは、こと改めて「作品論」を書こうとすると、「ぜんぶ、視なおして(再鑑賞して)からでないと」などと大いに構えてしまうので、ついつい面倒になってしまう。
それに、もともと、同じ作品をくり返して鑑賞するよりは、どんどん新しい作品(や、見逃していた評判作)を鑑賞したいタイプの私は、どうしてもこうした「鑑賞済みの、すでに評価の固まった作品」の作品論を、後追いで書く気にはなれないでいたのだ。
(※ 例外として、『伝説巨神イデオン』論があるので、ご参照願いたい)

だから、そんな私の中では、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』や『魔法少女まどか☆マギカ』と同様、『けものフレンズ』もまた、まったく区別のなく「いまさら、わざわざ論じるまでもない傑作」なのである。
「いまさら、私が論じるまでもなく、この作品は傑作なのだから、それで満足だ」という、そんなファン意識なのだと言えよう。

しかし、『けものフレンズ』の場合は、前記のとおりで、他の傑作群とは、「社会的な事情」が少々違っている。

例えば、前記の「Wikipedia」「批評」の欄を見ると、そこで紹介されているのは、作品の断片を捉えた「感想」にすぎないものや、「第1話を視て、視聴を辞めてしまった」という類いの「批評以前のコメント」までが収録されているその反面、まとまった「作品論」として紹介されているものは皆無で、全体としては「ケチのためのケチをつけるために、この批評欄をまとめた」という内容にしかなっていない。まさに「偏見を助長するだけ」の内容なのだ。

よく知られていることだが、「Wikipedia」というのは、立てられた項目について、好意的な者だけが書くわけではなく、いわゆる「アンチ」と呼ばれる人たちも書き込むことができることから、こうした偏りが引き起こされることにもなる。

「Wikipedia」の項目全体としては、大ヒット作らしく、実に内容豊富なものになっているにも関わらず、肝心の「評価」となると、いきなり、偏頗かつ貧相なものになってしまっているのだ。

(「まずいものは食べたくないのです」)

これは、この作品について、詳しく論じたファンは大勢いたけれども、プロの「評論家」や「識者」が、この作品についてのまとまった「論文」を書いておらず、ましてや、参照されるべき「評論書」なども刊行されていないためではなかろうか。

では、なぜ、そのような本や論文が書かれていないのかと言えば、それは『けものフレンズ』ファンの大半は、そのような評論本を、わざわざ買って読むタイプではなく、あくまでも「愛らしい作品」として、作品そのものを愛でられれば、それで満足できる人たちであろうから、「本を出しても売れないだろう」という見込みもあった一一ということかも知れない。

しかしながら、では「マニアックなアニメ作品に関する評論本」というのが、まったく刊行されないのかと言えば、決してそうではない。
ベストセラーにはならなくても、確実に数読みのできるマニアックな読者を狙った「マニア本」というのも、現に刊行されている。
例えば、アニメ評論家らによる、次のような書籍である。

(1)氷川竜介20年目のザンボット3』(太田出版・オタク学叢書・1997)

(2)中島紳介イデオンという伝説』(同上・1997)

(3)大山くまお・林信行編『アニメーション監督 出崎統の世界 一一「人間」を描き続けた映像の魔術師』(河出書房新社・2012年)

(4)別冊宝島編集部編『完全解析! 出﨑統 アニメ「あしたのジョー」をつくった男』(宝島社・2018年)

これらの書籍は、扱われているアニメ作品が発表されて、ずいぶん経ったから刊行されたものだし、(1)と(2)などは「オタク学叢書」として刊行されているとおりで、オタクやマニアには「名作」であっても、世間一般はもちろん、若いアニメファンなら作品名すら知らない、その意味では、今も昔も「マイナーな作品」についての本だと言えるだろう。
また、(3)と(4)は、アニメ版『あしたのジョー』(『2』を含む)を作った出﨑統監督を論じた論集だが、『あしたのジョー』を知っている人は多くても、出﨑統の名を知っている人は、(1)(2)の読者層と同じで、ごくごく限られている。

だが、これほど「マイナーな傑作(や作家)」を扱ったとしても、ひとまず評論書・研究書としてならば刊行できるのだから、『けものフレンズ』がいくら「マニア向けの作風ではない」としても、少なくともヒット当時は、ファンによる「考察記事」や動画が山ほど作られた作品なのだから、決して研究書・評論本が出せないような作品ではない。

では、なぜ、この作品の「批評書」が出ないのかと言えば、それはたぶん、この作品を「肯定的に評価する本」の公刊を喜ばない「アニメ業界のスポンサー」がいるからであろう。

以前、拙論「たつき監督『けものフレンズ』の悲劇と、KADOKAWA的なプラットホームシステム」でも少し論じたことだが、結局のところ、今の日本のアニメというのは、スポンサーがあってこそ制作も可能な「商品」なのだから、大手のスポンサー(業界ボス的な存在)に目をつけられた作家や作品は、実質的に「ホされる」ことになってしまう。

そして、そうしたトラブルが最悪の結果を招いたのが、他でもない、『けものフレンズ』の続編制作をめぐるいざこざ、いわゆる「けもフレ騒動」だったのだ。

したがって、アニメ業界に関連した仕事をしたい者は、たつき監督による『けものフレンズ』という作品を、すすんで高く評価しようとは思わない。言うなればそれは、業界「非国民」的な行為になってしまうからだ。

アニメの制作現場においては、その内心における共感者が少なくなかったとしても、表立って業界スポンサーの不興を買うようなことをすれば、個人的に「目をつけられる」恐れがある。

まして、そのスポンサーの中心にいたのが、東京オリンピック2020」のスポンサー契約をめぐる「贈賄罪」で社長が逮捕されるにいたった、メディアミックスの大手(独占)企業である「KADOKAWA(角川書店)」なのだから、それでなくても「出版不況」で本が出してもらえない書き手の多い出版業界では、大手のご機嫌を損じかねないことになど、あえて手を出したりはしないのではないだろうか。

だが、今、思いついたことなのだが、こんな状況だからこそ、今こそ、真っ当な『けものフレンズ』論を、自費出版でもいいから刊行すれば、それがネット通販限定であったとしてさえ、「火を噴く」可能性は十二分にあると思うし、これを公然と批判したり邪魔立てすることは、誰にもできないはずなのだ。
だから、一一私が、それをやる前に、心ある『けものフレンズ』ファンは、一人でも二人でもいい、それに挑んでみてはと、ここでお奨めしておきたい。

「評価されるべき傑作」が、「業界政治的な理由」で、いまだに適切な評価を受けていないのだから、そこで、そうした「適切な作品論」が世に出て、適切に評価されるならば、その本自体が、日本のアニメ史に名を残すような「事件」になる可能性だって、あながち否定はできない。

流行り物を後追いするだけではなく、やるべきことを独りでもやる、そんな志のある『けものフレンズ』ファンや評論家のあらわれ出ることを、私は心から期待したいし、私も努力したいとそう思う。

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ちなみに、私がこのような「檄文」めいた文章を、突然書く気になったのは、「note」でフォローさせていただいている「ポタポタ」氏の、「けもフレ騒動」に関する一連の記事を、昨日、読ませていただいたからだ。

もう「過去の話」になってしまった感のあるこの「悲劇」について、それでも「決して風化させはしない」という、ポタポタ氏の『けものフレンズ』ファンとしての熱い想いに触れて、私も、同じファンとして、『けものフレンズ』への想いを、新たにしないではいられなかったのだ。

だから、ひとまずポタポタ氏の記事を読んでほしい。

氏は、「けもフレ騒動」に関する記事を書くためだけに「note」を利用なさっているようで、記事自体は決して大した数でも量でもないから、すぐに読める。

ただし、これらの記事には、私も知らなかった(当時、追いきれなかった)情報がいくつも紹介されており、いわゆる「けもフレ騒動」が、決して「たつき監督の処遇をめぐって、スポンサーとファンが大揉めにもめた」などと簡単にまとめてしまえるようなものではなかった、という「事実」を知ることになるはずだ。

この「けもフレ騒動」は、決して、単なる「アニメ作品(アニメ監督)をめぐるトラブル」などではなく、「東京五輪贈収賄事件」にも通じるその本質として、「貪欲資本主義」の問題が伏在しているだという事実を、きっと感じていただけるはずだ。

「金のある者が、いち労働者である表現者を、好きに使い捨てて、その人間性を蔑ろにした」というのが、「けもフレ騒動」の発端であり、その本質なのである。

だから、ひとまず、是非とも、ポタポタ氏の記事をお読みいただきたい。
批評家としての自負に賭けて、氏の記事を、多くの人に強くお勧めしたいと思う。


(2023年6月26日)

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