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映画 『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』 : 「暴力のない世界」のための暴力

映画評:代島治彦監督『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』2024年)

「内ゲバ」という言葉は、もはや死語と言ってもいいだろう。少なくとも今の若者たちには通じない。すでに過去のものという意味では、「ガチョ〜〜ン」というギャグと大差ないのではないだろうか。

「内ゲバ」とは「内輪ゲバルト(暴力)」という意味である。つまり、「敵」との暴力的抗争ではなく、言うなれば「身内同士の暴力抗争」。
例えば、「右翼」と「左翼」が暴力的に対決するのなら、それは単なる「ゲバルト」で、わかりやすくもあるのだが、「右翼vs右翼」とか「左翼vs左翼」だと「内ゲバ」になる。

では、どうして「仲間同士で暴力的な闘い」をするのかというと、要は「近親憎悪」だ。
例えて言うなら、「他人の親」あるいは「他人の子」であれば、少々出来が悪くても、さほど気にならない。所詮は「他人事」である。
だが「自分の親」や「自分の子」の場合、少しでも「出来の悪い」ところがあると、もう我慢できない。その問題点を寛容に受け入れるなんて無理。なんと言っても、いつも近くにいて、いつもそれを目にしていなければならないんだから、イライラさせられるに決まっている。

それに、「身内」に対しては、「身内に対する責任」が生じる。
「自分の親なればこそ」「自分の子なればこそ」、その誤りを正さなければ、「子としての」「親としての」責任が果たせない。つまり、「自分の親」や「自分の子」の不行跡を放置したり黙認したりするのは、「身内=近親者」として「無責任」の誹りを免れない。いや、それ以前に、「自分の親」や「自分の子」の不行跡を放置したり黙認したりできるというのは、その相手に対して「愛が無い」とも言えるだろう。「愛」があるのであれば、当然のこととして、その「本人(相手=親や子)のため」に、注意を与えたり、叱責したり、時には「力ずく」でも、その不行跡を止め、改めさせるというのは、当然のことではないか。

だから、この映画が描いた時代、「左翼学生」が「左翼学生」に暴力を振るった。「彼ら」の誤りを正すことも「革命という共通の目的を実現するため」だと考えた。
つまり、「内ゲバ」というのは、「同じ思想や目的を持っているはずの者同士の暴力的抗争」を言うのである。

だが、この言葉を生んだのは、もっぱら「左翼学生同士の抗争」だったから、「内ゲバ」と言えば「左翼学生同士」のそれを指すものとなってしまい、仮に「右翼学生同士」が暴力的抗争をしても、「ヤクザ同士」が殺し合いをしても、それは普通「内ゲバ」とは呼ばれない。それは単に「党派抗争」とか「内部抗争」とかいった別の言葉で表現され、「内ゲバ」という言葉は、もっぱら「左翼学生同士の暴力的抗争」を指す「専門用語」となったのである。

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本作の内容は、次のとおり。

『1972年、学生運動終焉期に早稲田大学で起こった学生リンチ殺害事件をきっかけに、各党派でエスカレートしていった「内ゲバ」。これまでほとんど語られてこなかった内ゲバの真相を、池上彰佐藤優内田樹ら知識人の証言と、鴻上尚史演出による短編劇を織り交ぜて立体的に描くドキュメンタリー。監督は「三里塚に生きる」「きみが死んだあとで」の代島治彦

72年11月、早稲田大学文学部キャンパスで第一文学部2年生の川口大三郎が殺害された。彼の死因は早大支配を狙う新左翼党派・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)の凄惨なリンチによるものだった。第53回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した樋田毅のルポルタージュ「彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠」を原案に、殺された川口大三郎を知る当時の関係者や池上彰、佐藤優、内田樹ら知識人たちの証言パートと、これまでも学生運動をテーマにした演劇作品を数多く発表してきた鴻上尚史による短編ドラマパートにより、内ゲバの不条理と、あの時代特有の熱量、そして悔恨に迫っていく。』

「映画.com」・『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』解説より)

この事件についての「時代背景」を説明しだしたらキリがないので、私はここでそれをしようとは思わない。
ただ、ひとつだけ個人的なことを書いておくと、私が「笠井潔葬送派」を名乗って長年批判してきた、作家の笠井潔もまた、全共闘世代であり、新左翼小セクトのリーダーであり、理論家であった人だ。そして、左翼学生運動が崩壊した後、今度はマルクス葬送派」として、左翼運動に対して、自己批判としての総括を求め始めた人なのである。

ともあれ、本稿のここまでの記述で、この事件なり、この時代なりに興味を持った人は、まず、この映画のホームページに、ある程度の説明はあるから、そちらを参照してほしい。

これだけでは物足りないという人は、この映画の原作(原案)である、樋田毅のルポルタージュ『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を読んでほしい。
教えられることは、多々あるはずだ。

だが、同時代に生きた老人たち以外には、この事件にそこまで興味を持つ人はいないのではないかと思う。

かく言う私自身、「内ゲバ」の同時代人ではない。
「内ゲバ」の同時代人とは、私よりひとまわり上の、いわゆる「全共闘世代」であり、私は、その終焉を見て育った、「三無主義(無気力・無関心・無責任)」「しらけ世代」などと揶揄された、言い換えれば、熱い「学生運動世代」とは真逆に等しいとされた、まさに「反動」世代である。

私の世代は、ごく幼い頃に、「内ゲバ」事件の発生をテレビニュースなどで見て「この人たちは、なんで殺し合いなんかしているのだろう?」と、その意味がわからずに、ただ「そういうことをする人もいるのだろう」と思っていた世代である。
そして、その謎の回答として、この世に「犯罪者」がいなくならないのと同じレベルの事実として、殺し合いをしたがる人がいる、という感じで、「内ゲバ」事件の存在を受け入れていたのだ。

だが、それでも「内ゲバ」事件が象徴した、ある種の「理想主義」あるいは「完全主義」に対しては、違和感なり何なりを感じていたのだろう。「なんでそんなに必死になってるの? もっと楽しく生きればいいじゃない」という感じはあった。
彼らの目指す「理想」や、それを支える「思想」というのは、子供には難しすぎたから、ただ現象面だけを見て「無意味に凄惨な殺し合い」としか思えなかったのである。

しかし、「思想」というものを、あるていど勉強したと今となっては、彼らの「理屈」も、わからないではない。要は、

「理想実現のためなら、ある程度の現実的犠牲はやむを得ない。肝心なのは、理想の実現であって、理想を唱えることではない。つまり、具体的に実現を目指してこその、理想なのである。しかし、その実現を目指すのなら、八方美人では不可能だ。要は、ひとつの理想を実現するためには、別の理想を断念しなければならないこともある。つまり、暴力のない世界を実現するためには、暴力を使わなければならないことも、現実にはある。しかし、これは矛盾などではない。問題は、どちらの理想が、より重要なのかという優先順位の問題なのだ。暴力のない世界を実現するために暴力を使うのか、それとも暴力を完全否定して、現にある暴力的な世界を容認するのか。
もちろん、正解は前者である。暴力のない世界を実現すれば、もう暴力を使う必要は無くなるのだから、残念なことではあるが、過渡的な妥協であり、方便としての暴力は容認されなければならないし、その意味で、暴力をなくすための暴力は、正しい暴力なのである」

といったような、要は「目的は手段を正当化する」という、一種のマキャヴェリズムだ。

(「Z」のヘルメットを被る「中核派」のデモ)

だから、彼ら「左翼学生」たちは、「理想」に燃えて、「間違った者」たちを「正して」いったのだ。結局はそれが、「彼らのため」であり「彼らも目指した理想への近道」だからであると、そう考えた。
言うなれば「犯罪に手を染めようとしている友人を、殴ってでも止める」のと同じ「愛」に発した行動なのだと、彼らは考えたのだ。

だが、無論、このように考えた彼らは、間違っていた。
なぜなら、彼らは「自分たちが間違う」という可能性を想定し得なかったし、その点において「妄信的」であり、「未熟」であった。
また、本作でも描かれているとおり、彼らは、そうした自らの「未熟さ」を気づかせるような事実に直面した際に、その事実を直視する「強さ」を持っておらず、逆に、自身の「弱さ」を正当化する「自己欺瞞」に陥ってもいった。
要は、彼らは「身の程知らずの理想」を掲げ、そのために無理をし、自他を誤魔化し、インチキをしたのである。

本作で紹介される「川口大二郎リンチ殺人事件」は、もとより川口個人が憎くて、彼を殺そうと思って、殺したのではなかった。
ただ、彼を、その誤ちから目覚めさせて、その協力によって、「正義」を実現するために、川口に対して「本当のことを言え」「正直に吐け」と迫り、結果として、やりすぎて「殺してしまった」だけなのである。

普通であれば、そこまでやったら「死ぬかもしれない」というくらいのことはわかっただろうと、多くの人は思うかもしれない。だが、そうではない。
人間というのは、「目先のこと」に囚われて、当たり前の「少し先の結果」さえ見えなくなってしまうものなのである。

例えば、先の戦争における「対米開戦」などがそうだ。
当時でも、多くの戦争指導者たちは「アメリカと戦った負ける」と思っていたから、できればアメリカとの戦争を避けたいと思った。しかし、逆に言えば、アメリカ側からすれば、開戦すれば必ず勝てるという自身があったから、日本が戦争を避けたいと本気で思うのなら「こちらの提示した条件を、ぜんぶ呑め」ということになる。
だが、すでに(中国などに対して)戦争を始め、それなりの成果を挙げていた当時の日本の指導者たちは、そんな、あからさまに「負けを認める」ような条件を呑むことはできなかった。
アメリカと戦って、完膚なきまでに叩きのめされるよりは、相当厳しい条件(それまでの戦争で得た利益をすべて吐き出すというような条件)ではあれ、そちらを受け入れた方が、結果的には「正しい」というのはわかっていた。

一一だが、それを「自分個人の責任」で引き受けるわけにはいかなかった。「あいつが弱腰だったせいで、日本は戦争に負けた」「あいつのせいで、多くの犠牲を払って得た戦果をすべて失い、さらに大きな負債まで負ってしまった」「あんな奴は日本人ではない。大和魂を持っていない」「殺してしまえ! 責任を取らせろ!」と言われるに決まっていたからだ。
だから、誰かが「アメリカの提示する条件を、すべて飲みましょう。どう考えたって、我々の負けです」と言ってくれるのを待った。そして、みんなが、その意見の正しさを支持するようになれば、その段階で、自分もそれを喜んで支持しよう。だが、真っ先にそれを口にして、すべての責任をおっ被せられるのは御免だから、当面は様子を見よう一一と、戦争指導者たちは、皆が口をつぐんで、お互いに様子見に入ってしまい、降伏の機会を決定的に逸してしまったのである。
誰もアメリカとの負け戦など、やりたくなかったのに。

で、これは「川口大二郎リンチ殺人」とて同じことなのだ、「川口は中核(派)だ」という情報が仲間から寄せられれば、それを信じて、川口を調べるのは当然のことだ、義務でさえあると、彼らは考えた。
その場合、彼らは川口を「被疑者」として扱い、紳士的に「あなたは中核派ですか?」などと尋ねることはできなかった。正直に「はい、中核派です」などと答えるわけなどなかったからである。

だから、事実を明らかにするためには、ある程度の「暴力」は必要だった。
犯罪を止めるためには、警察や刑罰という「暴力」が必要なように、ミサイル攻撃を防ぐためには、迎撃ミサイルシステムという「暴力」が必要なように、川口の口を割らせるためには、多少の暴力は必要だったし、「許される」とも考えた。
なぜ「許される」のかといえば、彼らが「暴力のない理想社会の実現」を目指して「やむなく暴力」を振るっている、「自己犠牲的な、正義の戦士」のつもり、であったからだ。

「殴られる方もつらいだろうが、殴る方はもっとつらいんだよ」というのが、彼らの「論理」であった。
だから、その場に立ちあったものは、「暴力はいけない」とか「そこまでやってはいけない」などという「無責任な綺麗事」を口にすることはできなかった。そう言って「善人ぶる」のは簡単だが、それは「暴力のない世界を作るための革命」という大義を蔑ろにする、自分一個が可愛いだけの「逃げ口上」だと、仲間から指弾されるのは、目に見えていたからである。だから、殴られる側に立つのが嫌なら、殴るしかなかったのだ。「私は、こんなに必死になって、理想を求めているのだ」と。

そんなわけで、問題は、彼らが「狂っていた」からなのではなく、「弱かった」からなのだ。「弱かった」のに、「強いつもり」でいた。だから「強がらなければならなくなった」ために、自分の「保身」に必死で、これ以上やったら川口が死ぬかもしれない、というところまでは、頭が回らなかったのである。

つまり、「暴力」を否定するためには、自分が暴力によって「殺されても仕方ない」という覚悟が必要なのだ。その覚悟が無ければ、当然「対抗暴力」を振るってしまうし、時にはそれで相手を殺してしまうかもしれない。
もちろん、それを「正当防衛」だと主張することは可能だし、周囲もそれを認めてくれるだろう。要は「お互い様」だからだ。

だが、「正当防衛の暴力」を認めてしまうからこそ、「自衛のための戦争」が認められ、それを口実とした戦争もなくならないのである。

したがって、彼らの「内ゲバ」を「愚行だ」と嗤うのは容易なのだが、しかしそれは、彼らだけの愚行ではないのだ。
私たちが「暴力」を振るわないでいられるのは、たまたま恵まれた状況にあるからであって、私たちが特別に「倫理的に優れているから」ではない。

私たちに許されている選択肢は「暴力の否定を口にしながら、暴力を肯定する」か「暴力を否定して、殺される覚悟を持つか」の二者択一でしかない。一一だが、言うまでもなく、後者を選ぶことは、ほとんど誰にもできないのである。

ならば、あなたはどうだ?



(2024年6月26日)

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