『柄谷行人 対話篇 2 1984-88』 : 日本社会の 時流の〈外部〉へ
読書ノート:柄谷行人ほか『柄谷行人対話篇 2 1984-88』(講談社文芸文庫)
本書は、柄谷行人の対談6篇を収録している。
お相手は、精神病理学者の木村敏、医学者の小林登、経済学者の岩井克人、小説家の大岡昇平、思想史家の子安宣邦、小説家で日本文学研究者のリービ英雄。
見てのとおり、今回は「書評」とせずに「読書ノート」とした。なぜかというと、本書の中身について、これといって書きたいことはないからで、あくまでも、本書をきっかけとして、日頃は書けない(書く機会のない)ことを、思いつくままに書こうと思いついたからだ。
書評が書けなかった理由は、長期にわたってちびちびと読み進めた結果、最後の対談以外の内容を、ほとんど忘れてしまったからで、本書がつまらなかったということではない。
対談集だから、基本的には気楽に、細切れでも読めるだろうと、外出時の読書用にカバンに放り込んであったのだが、この数ヶ月、外出する機会も減ったし、電車に乗っている時間も減ったため、おおむね半年の時間をかけて、細切れに読んでしまったのである。
私は、本を読むときに、けっこう付箋を使うから、それを目安に読み返せば、本書の書評を書けないわけでもないのだが、そこまでして、無理に本書の内容に即したことを書こうという気になれない。まあ、だいたいいつでも、内容紹介文など書く気はなく、その本から気になった話題を拾って、好きに論じているだけなのだから、今回も、そう変わったことをするわけではないだろう。
ともあれ、内容を思い出そうとすると、まず「誰と対談してたんだったけな?」というレベルなのが私の記憶力だから、対談の詳しい内容など、まったく完全に思い出せない。
しかしながら、思い出せないからといって、何も身についていないわけではない。いちおう理路を追って読んでいるのだから、その理路については、そこそこ脳に刻まれているはずで、思い出せないというのは、そのままのかたちで再現しようとするから無理なだけだと思う。
だから、後になって、自分では気づかないうちに、本書で学んだことを「自分の発想したもの」だと思い込んで使うことになると思うのだ。そして、それはパクリではなく、要は「身についていた」ということなんだから、それでいいのではないかと思うのである。
私は、子供の頃から、いわゆる「短期記憶」が弱かった。目の前のものを丸暗記して、それをそのまま即座にアウトプットするということが苦手だった。だから、小学校時の「漢字テスト」に始まり、中高校での「暗記もの」のテストというのは、すべて嫌いで苦手だった。憶えてなくても、考えるだけで解けるようなテストならなんとかなるとは思ったものの、学校でのテストというのは、まず基本事項を憶え込んだ上でのものであって、それを憶えていないことには応用も何もない。だから、私は「国語」と「美術」以外は、おおむねダメだった。勉強は、端的につまらなかったし、私は昔から、つまらないことを無理してできる性格ではなかった。
で、本であれ映画であれ、私の書くものでは、内容紹介は、必要にかられて止むを得ず書かれることはあっても、それが目的ではない。内容紹介など、ネット検索すれば出てくるのだから、そんなものを「私が」書く意味などない。そんなものは、そんなものしか書けないライターが書けばいいと思っているので、私が多少なりとも内容紹介する場合は、その後に続く「分析」の必要上だけだ。だから内容紹介は、既成のものの「引用」で済ませることも多い。
それにしても、「note」の記事を見ていても、本当に「内容のないもの」が多い。
例えば、書評だ映画評だと言っても、内容紹介プラス、面白かったとか面白くなかったとかいった主観評価だけ。アニメだと絵柄が良いとか悪いとかいっても、好みの問題を出ない議論以前の議論でしかないし、多少分析めいたことが書いてあっても、全体としては「当たり前」のことしか言っていない。
そんなものを、なんでわざわざ書く気になるのかよくわからないが、そんなものでも、けっこうたくさんの「スキ」が付いていたりするから、それで嬉しくはなるのだろう。一方、「スキ」を押す者は、記事の中身の問題ではなく、それが「自分と似たような意見」だと、自分の感性を肯定されたような(同志を得たような)気になって、それで「スキ」を押すのではないだろうか。つまり、似たようなレベルの、似たような好みの人が「スキ」を押すのではないか。
無論、たくさんフォローして、フォローした相手の記事が読まなくても、とにかく片っ端から「スキ」を推していくというのをルーチンとしてこなし、その「お返し」として、自分の記事にも数十という「スキ」がつくというようなこともあるようだが、金儲けでそれをやっているのならばともかく、ただ「承認欲求」を満たすためだけでやっているのだとしたら、あまりにも虚しいことだと思う。「スキ」がたくさんつけば、それは嬉しいけれど、記事を読めば、その人のレベルが「スキ」の数相応のものか否かなど、一目瞭然にバレてしまうからだ。
それにこれは、心理学で言うところの、「共依存」に他ならない。自立できない者が、もたれ合いの関係で、グラグラしている自己を、なんとか保持しようとする、不健全な関係である。
誰だって、人に褒めて欲しいという気持ちはある。だが、人は、特別美男美女でもなければ、金や地位や名誉や特別な才能のある人でもないかぎり、「平凡な赤の他人」になど、興味がないのが当たり前だ。
「特別な人」たちを賛嘆する「凡人」が多くいるというのは、「偶像崇拝」として当然ではあるけれども、それほどでもない人が、不思議に多くの「スキ」を集め、支持されているとしたら、それは何か「裏がある」と見たほうがいいだろう。例えば、前述の「共依存」としての「私も褒めてあげるから、あなたも私を褒めてね」なんかがそうだ。
本当は、相手をそんなに高く評価しているわけではないけれど、「お返し」として褒めてもらうという「暗黙の交換条件」において褒めているだけなのである。
しかし、こういう「インチキ」をやり始めると、一生、実力をつける努力をしないまま、ずっとインチキを続けなければならなくなり、その結果その人は、死ぬまで本物の「自己承認」ができなくなる、というのが目に見えているのだ。
例えば、本書の内容を要約紹介して、それを記事にしたとしよう。それはかえって、内容について突っ込んだ議論をしたものよりも、多くの「スキ」をもらえるかもしれない。なぜなら、その内容紹介を読むだけで、その本を読んだ気になれるような「虎の巻」依存症の読者が、その記事が「役立った」という意味合いで「スキ」を付けてくれるからだ。
しかし、これは、この「記事を書いた人の中身」を褒めているわけではない。書いた人などどうでも良いが、記事は「手抜き」をするのに「便利」だった、というだけの話なのである。
もちろん、こういう「便利な記事」にも需要があるから、そういう記事を書く職業ライターは現にいるし、それも立派な仕事だとは言えよう。そのライターの代わりならいくらでもいるだろうけれども、ひとまず、その記事が「商品価値」を持つというのは事実だし、「職業労働」というのは、おおむねそういう、くだらなくて面白くもないことをやる代わりに、賃金をもらうといったものなのだ。一一だが、それを「未報酬」でやる、あるいは「スキ」を報酬としてやるのだとしたら、それはもう病的なまでの、自身の安売りではないだろうか。
世の中が、とにかく(売春であろうと何であろうと)「内容を問わず、他人から求められた者が勝ち=スキやイイねの多い者が勝者」というふうな感じになってきているから、若者たちが強迫神経症的にそうした「承認」を求めたくなるのはわかる。だが、それは結局のところ、巧妙な「搾取」の手口に乗せられているだけであって、その人は決して幸せにはなれない、私と思う。
この時代に、目指すべきは「他人の承認を求めずに、自己承認のできる確たる自分を作る」ことなのではないだろうか。
だとすれば、目先の「スキ=イイね」を求めるのではなく、真に自分が「尊敬できる目標」を持ち、それに向かって、自分を作り上げていくしかないのではないか。
「そんな迂遠なことなどできない」と思う人は多いだろう。また「自分には、特別な才能などないから、まともに努力したって何者にもなれない」と思う人もいるだろう。
だが、すぐには何者にもなれなくても、地道に努力している人には必ず相応の実力がつくし、またそうしたひたむきな努力をしている人を見ている人は必ずいるものだ。また、そうした生き方そのものが、高い評価の対象ともなるし、自負の根拠ともなるだろう。
だから、何処の馬の骨ともわからない人100人に「スキ」を押してもらいことよりも、たとえ100人から「キライ」だと言われても、真に自分が尊敬している人から「君はよくやっている」とひとこと言ってもらえる人生の方が、きっと幸せになれると、私は思う。なぜなら、そうした評価は、100人による実のない「バブル」評価とは、質が違うからだ。
柄谷行人が、リービ英雄と、次のようなやり取りをしている。
この対談は、1980年後半のおおむねバブル経済期になされたものなので、その当時はまだ、日本では「文芸雑誌」が生きていて、小説が掲載されると同時に、文芸批評家による文芸時評や評論なども、当たり前に掲載されていた。
しかも、今のように「基本ホメ」みたいな提灯記事ではなく、私が書いているような、忌憚のない酷評なんてものも、当たり前に掲載されていた。
つまり、文芸雑誌は、作家にとっても批評家にとっても、真剣勝負の場であった。だから、リービ英雄は、そうした刺激のある活発な状況が羨ましいと言ったのだ。
アメリカでは、文芸批評は「学問」になってしまっており、創作の現場とは、ほとんど無縁に等しいものになっていたため、そうした状況は、志ある小説家には寂しいものだ、と言いたかったのである。
しかし、日本で文芸評論家の仕事をしてから、アメリカに行った柄谷からすれば、「時流」に流されることなく、自分の研究をじっくりとできるアメリカのアカデミズムは、探求者にとっては気持ちの良い、望ましい職場環境だった。
日本では、文学を盛り上げるために、作家も批評家も、意志的に「時流」の中で働かなければならなかったのだけれど、それは「文学」本来の姿ではないはずで、そうした問題を象徴するのが、最後に語られた、
の部分だ。
そして今や、純文学は無論、文芸批評も「商品」ではあり得なくなった結果、出版界はひたすら「売れる話題作を作る」ことを目標にして、さらなる自転車操業にのめり込み、文学や批評の理想や、本来の使命などといったものは、もはや夢物語のようにしか感じられなくなっている。
そして、そうした環境しか知らずに育った若者たちは、ひたすら自分自身を「時流」におもねった「売れる商品」にすることにいそしむか、そんなレースから降りて趣味に徹するかの、二者択一を強いられている。
無論、「売れる商品」もあっていいし「趣味の創作」もあってしかるべきだ。だが、時間をかけて「良いものを書こう」とする人が報われない日本の状況というのは、結局のところ、創作の世界を貧困化させ、枯死させることになるだろう。
ことほど左様に、日本の文学の将来は決して明るくはないけれど、しかし、一時のスポットライトを求めて『使い捨て』の商品になることを求めるような自殺行為だけは、賢く思いとどまるべきだと思う。それはどう考えたって、不幸への片道切符であり、端的に言えば、型落ち商品のための、ゴミ捨て場への道でしかないからだ。
(2022年9月24日)
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