【展覧会レポ】大倉集古館「大成建設コレクション もうひとりのル・コルビュジエ ~絵画をめぐって~」
【約4,100文字、写真約20枚】
大倉集古館に初めて行き「大成建設コレクション もうひとりのル・コルビュジエ ~絵画をめぐって~」を鑑賞しました。その感想を書きます。
※本展覧会はすでに終了しています。
結論から言うと、建築家・コルビュジエのアーティストとしての意外な一面を知ることができて勉強になりました。ただし、展示のキュレーションを分かりやすくしたり、コルビュジエの美意識と建築との関連性などに丁寧な言及があると、さらに良かったと思いました。
▶︎訪問のきっかけ
訪問のきっかけは、1)智美術館に行ったときに大倉集古館も気になった、2)1つ前の展覧会は春画を扱い、今回はコルビュジエと、振り幅が大きく興味をもったためです。
▼過去に訪れた智美術館の投稿
▶︎アクセス
大倉集古館へは神谷町駅(日比谷線)から徒歩約10分。私は六本木一丁目駅(南北線)から歩いて行きました(約10分)。ご自身の電車の都合から考慮して、利用する駅を決めるといいと思います。
住所:東京都港区虎ノ門2丁目10−3
▶︎大倉集古館とは
実業家・大倉喜八郎(1837〜1928)が、1902年に自邸内に大倉美術館を開館。1917年には財団法人化、現存する日本最古の私立美術館となりました。
1923年、当初の建物と所蔵品の一部が関東大震災により消失。震災を免れた倉庫に残された作品を基本として、伊東忠太の設計(施工:大成建設)による耐震耐火の陳列館を建築、1928年に再開館(伊東忠太は橿原神宮、平安神宮、靖国神社なども手掛けている建築家)。
1962年、1997年に工事を実施(1998年に登録有形文化財に指定)。2014年から2019年にかけて、谷口吉生の設計(施工:大成建設)により、地下の増築を含む改修工事を行いリニューアルオープン。谷口吉生は、葛西臨海公園のクリスタルビュー、水族館のガラスドーム、GINZA SIXなどの建築も手掛けています。
▼葛西臨海公園のクリスタルビュー、水族館のガラスドームに関する投稿
建築基準法が建設当時から変わったことで、免震構造にリニューアル。地下の建築は曳家工事といって、6mを6時間かけて移動したそうです。
収蔵品は、大倉喜八郎が文化財の海外流出を嘆き、蒐集した日本・東洋各地域の古美術品と、大倉喜七郎が蒐集した日本の近代絵画などが中心です。国宝3件、重要文化財13件、重要美術品44件を含む美術品約2,500件が収蔵されています。
館内は全て撮影禁止でした。受付の方に「2階のテラスは撮影可能ですよ😄」教えてもらいましたが、テラス席で特に撮るべきものもありませんでした。
▶︎大倉喜八郎、大倉喜七郎とは
大倉集古館は、その名の通り大倉喜八郎と大倉喜七郎により、建てられ、美術品が収蔵されました。父が喜八郎で、長男が喜七郎です(ややこしい…)。名前にある数字が減るのは珍しいです。将来的に大倉喜マイナス一郎も出てくるのでしょうか…🤔
大倉喜八郎(1837~1928)は、上野のアメ横で干物店を開業、その後、戊辰戦争では大倉鉄砲店で富を築きました。明治維新後、大倉組商会を設立(そこから大成建設も分社化)。喜八郎が起こした企業は、現在のリーガルコーポレーション、日清オイリオグループ、サッポロビール、あいおいニッセイ同和生命などが残っています。
大倉喜七郎(1882~1963)は、父の死後、大蔵財閥の2代目に。1930年にイタリアで「日本美術展覧会」を開催。出品作品はすべて喜七郎が買い上げ、主な作品は大倉集古館に寄贈しました。尺八とフルートを合わせた新しい楽器「オークラウロ」を開発するなど多彩な方だったようです。1962年にホテルオークラを設立しました。
▶︎「特別展 大成建設コレクション もうひとりのル・コルビュジエ ~絵画をめぐって~」感想
まず「なぜ大成建設?」と思いました。大成建設は大倉財閥から派生した企業で、大倉集古館の建設、リニューアルも大成建設が施工したことが関係しているからだと思います。なお、館内にはその経緯がどこにも書いてありませんでした。隠すことでもないし、来場者はみな気になると思うため、説明した方がいいです。
戸田建設も森ビルも、建築系の企業はアートに造詣が深いです。建物とアートは、空間をつくる上で切り離せないものだからでしょうか。
展覧会は、大きく5つに分けて構成されていました。
1)ピュリスム 1920年代【2階】
2)女性たち 1920年代以降【2階】
3)象徴的モチーフ 第二次世界大戦後【1階】
4)グラフィック 1950年以降【1階】
5)建築家としての業績【地下】
私は「3」から始まる構成に違和感をもちました(大倉集古館は1階の「3」から鑑賞を推奨)。結局、「1」から見た方が分かりやすかったです。
なお、1階の導線も分かりづらく、来場者は右から左から入り乱れて鑑賞していました。受付で「あちらからご覧ください」など口頭で促すなどすれば解消できると思います。
キュレーション全体からも「置いただけ」感がありました。コルビュジエの言葉や考えなども随所に補足するとさらに良くなったと思います。
また、キャプションのほとんどが日本語表記だけだった点も疑問でした。大倉集古館は、The Okura Tokyoの目の前にあるため、外国人が来館することは自明です。
大倉喜七郎は、イタリアで「日本美術展覧会」を開催するほど世界に目を向けていました。日本を代表するホテルの名前を冠した美術館が外国人に不親切でいいのでしょうか?英訳すべきキャプションの数も多くなかったです。
来場者は予想以上に多かったです。中でも、お年を召した女性が多めのように感じました。コルビュジエが女性に人気がある点は意外でした。
✔️1階
1階は、抽象的な闘牛の絵から始まります。画風も題材もピカソとそっくりでした。四角四面な建築がコルビュジエの印象に残っていたため、エモーショナルな絵を描くとはつゆ知らず。1mm単位の精密さが求められる建築と、大胆で自由な抽象画(時に超現実主義的な絵)は、直感的に結びつきませんでした。
▼過去に訪れたピカソの闘牛作品がある美術館
1950年、コルビュジエは、インドのチャンディガールで建築に携わりました。そこでは「モデュロール」という独自の概念が活用されています。
モデュロールは、フランス語のmodule(モジュール・寸法)とSection d'or(黄金分割)から作ったコルビュジエによる造語です。183cm(6フィート)を基準にして建物を設計する考え方です。コルビュジエの美意識と緻密さが垣間見れました。
▼コルビュジエがつくったチャンディガール現地を訪れた方のnote
✔️2階
2階は「ピュリスム」から始まります。ピュリスムとは、コルビュジエとオザンファンが作った造語です。キュビズムから派生し、幾何学的に単純化し、黄金比率や正方形を基準にして厳格な構図で描く手法です。
コルビュジエはピカソとも交友がありました。これらの説明を知っておくと、コルビュジエのアートと建築との接点が見えてくるため、2階からの鑑賞を推奨した方がいいと思いました。
また、コルビュジエは重量感のある裸婦の絵を多く描きました。中には、裸でレスリングをする裸婦の姿も…。1929年の南米訪問が影響したとのこと。
✔️地下
コルビュジエの建築は、7か国にある17資産がユネスコの世界文化遺産に登録されています。代表的な建築がパネルや模型で紹介されていました。
1階と2階を見て、コルビュジエに特徴的な絵を描く一面があることは分かりました。建築もアートです。根っこの部分は、アーティストの感性がないと務まらないのでしょう。ただし、その感性をどのように建築に活かしたのか?建築はいつ勉強したのか?などが展覧会で触れられていないため、モヤモヤが残りました。
▶︎まとめ
いかがだったでしょうか?建築家のコルビュジエに、自由でエモーショナルな絵画を描く一面があったと知ることができて良かったです。これを機に、大倉集古館にも初めて行くことができました。なお、展示のキュレーション(順番、展示方法など)には疑問を感じる点が散見されたことや、コルビュジエの美的感覚がどう建築に活かされたのかなどの言及が少なかった点は少し残念でした。
▶︎今日の美術館飯
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