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平成の終わり。 自閉症スペクトラムの始まり。

こんにちは。
note初心者の女、38歳です。

3月にやっと自閉症スペクトラムの診断が下りました。

本当に、やっと、なんです。

今回は初投稿に甘え、診断が下りるまでの半年間を、支離滅裂に記させて頂きます。

転職6回、人間関係と早起きと暗算がとにかく苦手。これが私のテンプレです。
辛いと感じれば、逃げて来ました。
何かと心身に負荷がかかります。

でもとうとう、自分への強い疑念が積り積もった、2018年下半期。

あぁ、もうだめだ。
こんなに社会に、人に、適応できない私って本当は何者なんだろう。

暇さえあればネットで自己診断し続けた結果
私は発達障害に当てはまった。

どうしよう、誰かに打ち明けたい。
まだ診断されてもないのに
一体なんのために?
今までの自分に言い訳をしたいから?

ベットの中で悶々としていた年末。
ヤフー知恵袋にもお悩み投稿したなぁ。

●そして平成の幕が閉じる

SMAPも安室ちゃんもイチローも、いいとも、めちゃイケ、みなさんのおかげてしたも、38歳の青春をあやし続けてくれた象徴が、形を変えたり無くなって実感する、平成の終わり。

え? 私って、ただ息してきただけじゃん。

アラサー女子なら、ここで海外へ一人旅に出るタイミングかも。

話は逸れますが、今でも度々私の頭をかけめぐる歌があります。

「今のままでは今のまんま 今のままでは今のまんま」

これは中学生の頃聞いたCMソングの歌詞。
私の人生を簡潔に表している様で、忘れない。

●私のアナザースカイに出会う

アラフォーの私が自分探しに行ったのは
海外ではなく、発達障害の検査をしてくれる病院。
別のクリックでうつ病で
13年間治療をしてきた私にとって
ターニングポイントとなる
正にアナザースカイ的な場所だった。

●軽度発達障害の診断が下りるまでの過程

2018年11月
現医師に相談。「発達障害ではないので検査は必要ない。でも気になるなら自費で受けてみては。」(そこで検査は実施していなかった。)

11月中旬
近隣で大人の発達障害の検査のみしてもらえる病院を探し出し、受診。

12月
知能検査実施。「この結果は来年になります。」おあずけ。

2019年1月
ホステス(退職)でお客さんと食べに行ったカキでノロ。死ぬ。
検査結果は2月に延期。憎き同伴出勤。

2月頭
検査員さんから「診断は、今までの病院でお願いします。」と結果用紙を渡される。
またおあずけ。

2月下旬
いつもの病院で結果を見せるも
「私、発達障害専門医じゃないので検査したところで聞いて。でも数値的に、ギリギリADHDではないと思うんだけど。」
おあずけに次ぐおあずけ。

3月頭
検査病院で「あなたは自閉症スペクトラムの可能性が高いので、簡単な検査を今からしましょう(秒)」で簡易検査実施からの
「やっぱりあなたは、自閉症スペクトラムのボーダーラインにいる人だね(秒)」

やっと。
やっと私の正体がわかった。

私って自閉症スペクトラムなのね。

ネットで調べたら、ASDとも言うらしい。
何かアルファベットの響きがかっこいいし、そう自称しようと思う。

3月下旬
思いきって知人に話させてもらい、感謝。
彼氏にASDを持つ人がいて、カサンドラ症候群を知る。

2019年4月 
無職 独身 実家で母と二人暮らしの現状キープ。今までより少し諦めることを覚えた。気もする。

これまでのでたらめな生き方が、発達障害に起因しているならば、意外と理にかなった行動ばかり取ってたんだ、と変に納得をしてしまいました。

平成の終わり、自分にADSとADHDのボーダーライン、二次障害でうつ病という決断を下し、私は私の令和のスタートを切ります。

これ以上、他人の価値観で生きないために。

平成お疲れ様でした。
あなたはどんな令和のスタートを切りますか?

ありがとうございました。