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炎天下、毎日畑に行けますか?

https://note.com/mina_career/n/ndebc0ba03db8

↑前回のもや

循環型循環型自然と共存共存!

なんとなくSDGs
なんとなく環境に良いことがしたい


都会から離れたい
田舎に憧れ
農業って素敵
畑を持ちたい。

みんな何かをきっかけに関心を持って
地産地消や自分の畑で取れた野菜をいただく
生活に参加をしていると思う。

パーマカルチャーを調べた時に
私は個人の取り組みにフォーカスされ過ぎていること
そしてなぜか時代の退化させる方法にあこがれを持っている
そんな気がして
私が抱えている問題意識と
今活動が盛んになっている取り組みに参加している人たちが

見ている問題点がどこか違うように感じた。

ーーー

私の地元では農地が余っている問題がある。

豊かな自然があってお水も綺麗で
土地もあって農機具もある。
ただ、体力がない。
ただ、人がいない。

みんな農業を引退したり、
お亡くなりになったり。

田んぼを埋め立てて住宅を建てるところもあるが、
宅地と農地は実は別で
農地→宅地にする過程でかなりコストがかかる。
宅地にすると税金も上がる。

だから放置されている土地が増えて
遺産相続の話になっても
無駄に税金がかかる農地の押し付け合いが始まる。

土地はメンドクサイ。

畑は畑
田んぼは田んぼで
使えればいいのにそれが出来ない状況がある。

都心部ではお金を月額で支払って農地を借りて
農作物を作る人もいる。

私の地元では土地が余って
放置すると雑草だらけになって
ご近所さんに迷惑になるから
お互いに代わりに管理してもらって
なんとかやっている。

有機農法や自然との共存に興味を持って
農作業に興味を持って
農業に参加する…
までの取り組みが多いけど

私はその農業の先の問題を知っている。

極端な話をすると、
家庭菜園をして毎食の食材をまかなえれば
それで循環型社会を実践していることに
満足感を得るかもしれない。

でもそれはまだ「人」を中心に小さく回っているに
過ぎないと思う。

循環は社会全体で回さないと
問題の解決に至らない…とか考える。

農家に参加する人が多くても
私の地元の余っている土地が使われるわけではない。
余っている土地を農業がしたい人に行き渡ってこそ
循環だと思うし、
作り過ぎたジャガイモをみんなで食べて
腐らないようにできてこそ循環。


各家庭にコンポスト
各家庭でノントレー野菜の購入
各家庭で有機農法の野菜の購入
各家庭でお野菜を余すことなく調理

各家庭でのお願いベースで
興味のある人だけが取り組むだけじゃ
循環はしない。

ーーー

昔見たおおかみこどもの雨と雪。
主人公一家が自分の家の分だけの農作物をこじんまり作ろうとするけど
そうではなくて、たくさん作るように地元のおじいさんに指導される。

実りの時期を迎えて、ご近所さんで分け合って
ジャガイモを譲って卵をもらって
人参を譲ってお米をもらって…

たくさん農作物を作る意味を主人公が気づくシーンがある。

その通りだとなんだか考えた。

自分の家から生ごみを出さないことを頑張るんではなく
少し高い有機野菜を買うのではなく
自分の為の家庭菜園を楽しむのではなく。

パーマカルチャーの文化に取り組むのであれば
趣味の家庭菜園で終わらせるのではなく
循環出来る"仕組み"を考えるのが
カルチャーを考えることに繋がる気がした。

ーーー

農家さんの現象には体力の限界というものがある。

20代30代が自然の大切さに気付いて稲を手で植える。

自己満足のように感じた。
自然の大切さやお米の稲に触れるのはいいと思うけど
これだけでは循環はしない。

わが家の稲作。手でなんか植えない。
20年前から機械で植えている。

アグリカルチャーへの参加に
手作業で参加するのってとても時代を退化させているように
感じてしまう。

せっかく楽にできるように便利にできるように
農機具を開発して土地の形もきちんと機械が通るように
整備したのに。
また手作業の農業に魅力を感じるのは
循環はしないと思う。

わが家は1日3回は畑、田んぼの様子を見に行く。

歯磨き感覚のように見にいく。

水やり行ってくる
田んぼの水止めてくる
のろしを準備してくる…

家の掃除をするような感覚で
田畑に向かう。

歯磨きのように「超楽しい!!!」「だる…」
のようなテンションの浮き沈みなく
田畑に向かう。

これが出来て自然との共存だと思う。
楽し!!!!と感じている趣味の家庭菜園。
飽きがいつか来る。

ダイエット。英語学習。
これらと同じように、こつこつ毎日、
毎日暑いけど畑の虫を除去して
草むしりして。
これが無心で出来るようにならないと
習慣にはならない。

私の地元では無心で農作業が出来ていた人たちが
体力の限界で泣く泣く辞めていく。
急に畑が取られたらもう何したらいいのか
みたいな人が多い。

今パーマカルチャーに注目している人は
農業に焦点を当てすぎていると思う。
せっかく先人が進めてきた便利な世の中を
逆に敵視しすぎているように思う。

高いけど頑張って有機野菜を買う。
衛生面気になるけどノントレーの野菜を買う。
匂いが気になるけどコンポストで肥料を作る。
暑いけど月額料金かかるから畑に向かう。

頑張って●●する。出来たら●●する。
は、自分中心で循環していると思う。

私の地元は農薬使ってないし
野菜は譲り合いだからトレーとかないし
畑は癖で行くし。

誰も無理してない。もう根付いている文化。
ただ、不便も多い。

この不便をそんなに気にせず
生きている。

スーパーで野菜を手軽に手に入れられていた人。
その人がわざわざ汗水流す農作業に参加するのは
正しいと思わない。

無理なく、歯磨きのように
嫌でも好きでもなく
自然の
作る→消費→作る→消費…
に参加できる仕組みを考える事。
なんでそれが難しいのか。実はここが問題なんじゃないのか。
そうやって考えて取り組めば
進んだ技術を踏み台にして
その人の"便利"を作って
その人の"メリット"を作って
みんな気付けば循環に入っている。それが
パーマカルチャーが根付く方法だと考えた。

買った野菜が(知らなかったけど)有機野菜だった。
入ったレストランが(知らなかったけど)作り過ぎないように手間をかけているところだった。
毎日決まった時間に行くのが苦じゃない近くに畑がある。

無理しないで自分の得意で循環にするっと入る。
農作物を無心で出来る人が作る
販売が無心で出来る人が販売する
調理が無心で出来る人が調理する

農作物をたくさん作りまくって儲けたい!
販売をしまくって元取りたい!
たくさん調理してコスパよくしたい!!
そうやって無理が生じるから

そうやって過度にしちゃうから弊害として
農薬を使いすぎたり
売れないほど仕入れて腐らせて
作り過ぎた料理を捨てることになる。

それを何とかしようとしてまた無理が出る。

足し算をしないで引き算をしないで
掛け算で輝けるような
そんな仕組みを作れるようにまずは私が
するっと循環に入りたいとか考えた。

みなさんはどう考えるんだろう。

。。mina。。


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