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エッセイ

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過去が今へ繋がる時間、日常生活にふと感じたこと、私が見つけたストーリーを書いていきます。
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風のことばー姉妹のことと、幸せについて

風のことばー姉妹のことと、幸せについて

向田邦子さんが亡くなって没後40周年で、今日まで表参道のスパイラルで展示が行われた。

わたしたちと向田邦子
ーいま、風が吹いている

世界を旅していた様子がわかる写真、手書きの原稿、器、洋服。彼女の生きていたスタイルが感じられる展示だった。
台湾に行く飛行機で、1981年に亡くなった。
向田邦子の生きていた姿が、風のようにスッと通りすぎていく。
『徹子の部屋』での出演映像が流れていた。
「ものを

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光になる時

光になる時

顔合わせの日の朝は、心から憂鬱な気分で、逃げ出したくなる。

カーテンを開けると、灰色の空。
今日は顔合わせで、今から稽古が始まるのに、天気が悪いから、なんかやっぱり嫌な予感がする、、、稽古場が崩れないかな。火事にならないかな。。
今日の顔合わせが突然なくならないかな。
そんな無意味な妄想を朝から繰り返し繰り返しながら、緊張と不安をごちゃ混ぜにして出かける用意をする。

今日は立ち稽古ではないけれ

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降りみ降らずみ、雨のおと

降りみ降らずみ、雨のおと

週末、雨の音を聴きながら寝る朝の時間が好き。
浅い夢から現実に誘われる時間、外でザァザァと雨の降る音が聞こえる。
この音が聞こえたら、「さぁ、もうちょっと寝ていて良いですよ。今日は休みだから」という天の許しを得たような気がする。
そうすると、私はまた眠気に引き込まれながら雨の音を聴き、少しずつその音も遠のいていく。

私、初めて雑誌の定期購読を始めました。
アラフォーにして、自慢気に言うことでもな

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人は「土から離れて生きられない」ラピュタでシータが言ったこと。

人は「土から離れて生きられない」ラピュタでシータが言ったこと。

【鴨川古民家再生プロジェクト①】出会い

2021年、年が明けて私はふとこの言葉を思い出した。

人は、「土から離れては生きられないのよ。」

これは宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』でシータが言うセリフ。
改めてこの言葉を思うと、今、まさに人は「土と共に生きる」ことを再び取り戻す時代なのではないかと感じる。
2020年、パンデミックの影響で都市から田舎へ移住する人、移住まで行かずとも、キャンプが出

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雲の上で乾杯を

雲の上で乾杯を

私の祖母は大正15年(昭和元年)生まれ。
日々の楽しみは、夕食前の「いっぱい」だ。
毎日、この一杯を飲まないことには、決して食事に手をつけない。
お酒好きの祖母は、健康の理由から母にちょっと薄められた「いっぱい」を口にして本当に美味しそうに飲んでから夕食を始める。

改めて祖母のことを書こうと思うと、まだ死んだわけでもないのに涙が出そうになる。私と祖母は、普通のおばあちゃんと孫よりは少し深い関係。

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開業「THE AOYAMA GRAND HOTEL」   バレリーナの夢の跡

開業「THE AOYAMA GRAND HOTEL」 バレリーナの夢の跡

私が舞台女優をしていた頃、ミュージカル女優という枠なのに踊りの苦手な私は、必死にバレエのレッスンに通っていた。
場所は青山にある「ベルコモンズ」へ。
ここ、ベルコモンズの上階にあった「青山ダンシングスクエア」は故・小川亜矢子先生が日本で初めてチケット制で、様々なジャンルが習えるダンススタジオを開いた場所。

沢山の女優やバレリーナが、大舞台に出ることを夢見て通った場所。
私は、先生の凛とした美しさ

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渋谷に文化をつくった男

渋谷に文化をつくった男

引っ越しの荷物を纏めて本棚の整理をしていた時、特別な思いを持って久しぶりに手に取った2冊の本がある。
2冊とも、書いたのは別々の人だけど、両者とも私にとっては生前とても近くにいた人物だ。
一人は、元東急文化村の社長、文化村開発の中心人物で、渋谷に文化をつくりあげた田中珍彦さん。もう一人はスーパーポテトの創設者、無印良品のブランドや日本のインテリアデザインをつくりあげたうちの一人である杉本貴志さんだ

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