さとう未知子

早稲田大学演劇科卒業。舞台女優を経て建築デザイン事務所PR フリーランスPR/フォトラ…

さとう未知子

早稲田大学演劇科卒業。舞台女優を経て建築デザイン事務所PR フリーランスPR/フォトライター 建築・ものづくり・風土・旅・地域と人・エッセイ / 淺沼組 GOOD CYCLE PROJECT note記事執筆中 https://note.com/asanumagoodcycle

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  • 建築とデザイン

  • エッセイ

    過去が今へ繋がる時間、日常生活にふと感じたこと、私が見つけたストーリーを書いていきます。

  • 世界に恋して

  • あの時生きた人たちのカタチを求めて 天草・島原紀行

    私が天草・島原に旅したはなし。歴史・風土・人を感じる旅。

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石と水、空間デザインのイマジネーション

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」(鴨長明『方丈記』) 鎌倉時代初期に書かれた方丈記は古典三大随筆の一つである。 鴨長明の生きた時代は、源平の争乱があり、福原遷都があり、安元の大火あり、震災、飢饉と、、度重なる人災天災に見舞われた。その中で、鴨長明は賀茂川のほとりに小さな庵をつくり住んだ。川の流れを見つめながら生まれたであろうこの名文句が多くの人に愛

    • 「人新世の『資本論』」を地域のものづくりで読み解く

      私たちは、今、どんな時代を生きているのだろう? 私の求める豊かさってなに? これまで生きてきて、「豊かさ」ということをこんなに考えたことはなかった。もう、豊かなものに生活は溢れているし、それが当たり前の中で生きてきた。でも、コロナ禍で少し自分が変わった。 今ある豊かさを享受できない、制限を受ける生活を強いられるようになると、これまで「豊かだ」と思っていたものが、実は便利なものに取り違えていたような気がして、本当の豊かさはもっと今、実は手に届かない所にあるような気がして、追

      • 循環することと、建築について

        アートビオトープ 水庭にて那須塩原にあるart biotop「水庭」に訪れた時、印象的だったのは静かな森の中で聞こえてくる「ポコポコポコ」という水の音だ。 ここは、建築家、石上純也によって作られた約160個の池からなる人工的な庭。かつて水田だった土地に、大きさや形状の異なる池と、318本の木々が移植され作り上げられた。 この「ポコポコポコ」という水の音は、近くを流れる川から水を引いて池に流される水の音で、この水は池を循環してまた川へと戻っていく。 かつてあった水田の水門を使用

        • 私が、私らしく生きること

          【関係人口】と【ジェンダー】にまつわるインタビュー 自分が、自分らしく生きようとする姿は美しい。 彼女を見て、そう感じた。 朝倉なりさんは、私の友人で、私たちはある地方創生の勉強会で出会った。 その勉強会は「しまコトアカデミー」という、雑誌のソトコトと島根県の行政がコラボレーションをして「関係人口」を創出する講座だ。 「関係人口とは、観光以上、移住未満の関係性がこれからの地方を活性化させる」というスローガンの元、ゆるく自分の人生と地方を結びつけようという目的で開催されてい

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        記事

          風のことばー姉妹のことと、幸せについて

          向田邦子さんが亡くなって没後40周年で、今日まで表参道のスパイラルで展示が行われた。 わたしたちと向田邦子 ーいま、風が吹いている 世界を旅していた様子がわかる写真、手書きの原稿、器、洋服。彼女の生きていたスタイルが感じられる展示だった。 台湾に行く飛行機で、1981年に亡くなった。 向田邦子の生きていた姿が、風のようにスッと通りすぎていく。 『徹子の部屋』での出演映像が流れていた。 「ものを書くことは、書く技術というのは氷山のほんの一角で、 考えたり感じたりすることが多

          風のことばー姉妹のことと、幸せについて

          降りみ降らずみ、雨のおと

          週末、雨の音を聴きながら寝る朝の時間が好き。 浅い夢から現実に誘われる時間、外でザァザァと雨の降る音が聞こえる。 この音が聞こえたら、「さぁ、もうちょっと寝ていて良いですよ。今日は休みだから」という天の許しを得たような気がする。 そうすると、私はまた眠気に引き込まれながら雨の音を聴き、少しずつその音も遠のいていく。 私、初めて雑誌の定期購読を始めました。 アラフォーにして、自慢気に言うことでもないけれど、ちょっと大人の嗜みのような気がして嬉しい。 それは、女性が読むファッシ

          降りみ降らずみ、雨のおと

          図書券から受け取ったもの。与えられたもの、与えるもの

          今はもうなくなってしまった図書券。 子供の頃、良く大人たちから頂いていた。 クリスマスの時、お誕生日の時。 そして、夏休み・冬休みで大阪にある母の実家に帰る度、私に図書券をくれるおじさんがいた。祖父の行きつけの京割烹料理「和光庵」の大将だ。 私たちが大阪にいる間に、祖父は必ず一度はそのお店に連れて行ってくれる。その時は、近くに住んでいる親戚も呼んでみんなで会食する。 そうすると、大将は必ず孫たち全員に3000円の図書券を用意してくれていた。 孫たちが3~4人、多い時は5人集

          図書券から受け取ったもの。与えられたもの、与えるもの

          人は「土から離れて生きられない」ラピュタでシータが言ったこと。

          【鴨川古民家再生プロジェクト①】出会い 2021年、年が明けて私はふとこの言葉を思い出した。 人は、「土から離れては生きられないのよ。」 これは宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』でシータが言うセリフ。 改めてこの言葉を思うと、今、まさに人は「土と共に生きる」ことを再び取り戻す時代なのではないかと感じる。 2020年、パンデミックの影響で都市から田舎へ移住する人、移住まで行かずとも、キャンプが出来るように山を購入する人も増えた。 その土地の上に、立つ。 生きる場所と生活が繋

          人は「土から離れて生きられない」ラピュタでシータが言ったこと。

          光になる時

          顔合わせの日の朝は、心から憂鬱な気分で、逃げ出したくなる。 カーテンを開けると、灰色の空。 今日は顔合わせで、今から稽古が始まるのに、天気が悪いから、なんかやっぱり嫌な予感がする、、、稽古場が崩れないかな。火事にならないかな。。 今日の顔合わせが突然なくならないかな。 そんな無意味な妄想を朝から繰り返し繰り返しながら、緊張と不安をごちゃ混ぜにして出かける用意をする。 今日は立ち稽古ではないけれど、時代劇だからもしかしたら浴衣が必要かもしない。 台本が入っているか何回も確認

          光になる時

          雲の上で乾杯を

          私の祖母は大正15年(昭和元年)生まれ。 日々の楽しみは、夕食前の「いっぱい」だ。 毎日、この一杯を飲まないことには、決して食事に手をつけない。 お酒好きの祖母は、健康の理由から母にちょっと薄められた「いっぱい」を口にして本当に美味しそうに飲んでから夕食を始める。 改めて祖母のことを書こうと思うと、まだ死んだわけでもないのに涙が出そうになる。私と祖母は、普通のおばあちゃんと孫よりは少し深い関係。 私は、紛れもなくおばあちゃん子だ。 祖母は、戦前の奈良町育ち。師範学校を出て

          雲の上で乾杯を

          『ふたこビール醸造所』ービールを飲んで、街を知る②

          夕暮れの時間が好き。刻々と色が変わり少しずつあたりが薄暗くなる頃。 昔の人は、その時間帯、道ゆく人の見分けがつかなくなって 「誰ぞ彼?(たれそかれ)」=あなたは誰ですか?と語りかけたことから、 たれそかれ→たそがれ→黄昏という言葉になったと言います。 二子玉川から遠くない場所で育った私は、学校帰り、黄昏時に川辺で友人と「語って」帰るのが好きでした。多摩川べりでマック片手に「語る」のが、ちょっと贅沢な時間。そういえばあの頃、「語る」という言葉に特別な魅力があったな。 生活のそ

          『ふたこビール醸造所』ービールを飲んで、街を知る②

          『遠野醸造』物語ービールを飲んで、街を知る旅

           10月の半ば、久しぶりに降り立った東北の地は思った以上に寒くて、当たり前だけど、これが東北だと肌で感じた。 新幹線の中から見えたのは黄金色の畑と、少しずつ色づき始めた山の色合い。一足早く、天高く、馬肥ゆる秋。 クラフトビールで街づくりを知る私が今回、東北に来たのは遠野に行くため。そして、遠野でクラフトビールに出会うため旅に出ました。 クラフトビールには「地元でできる特産品を使って美味しいビールが作りたい」とか「ビールを作って街に人を呼びたい」という地元への愛が込められてい

          『遠野醸造』物語ービールを飲んで、街を知る旅

          渋谷に文化をつくった男

          引っ越しの荷物を纏めて本棚の整理をしていた時、特別な思いを持って久しぶりに手に取った2冊の本がある。 2冊とも、書いたのは別々の人だけど、両者とも私にとっては生前とても近くにいた人物だ。 一人は、元東急文化村の社長、文化村開発の中心人物で、渋谷に文化をつくりあげた田中珍彦さん。もう一人はスーパーポテトの創設者、無印良品のブランドや日本のインテリアデザインをつくりあげたうちの一人である杉本貴志さんだ。 杉本貴志さんは2018年に、 田中珍彦さんは2019年に亡くなった。 二

          渋谷に文化をつくった男

          ななちゃんといた街

          私はこの街が好きだ。 この家に引っ越して来てから、よくベランダに出て空を眺めるようになった。私の家は、国道246と並行する旧大山街道添いに面していて、住宅地の中にもいくつもバーやお店が並び、ベランダに出ると人の息遣いが感じられる。 みんなが家にいるとどこか独りで住む自分の孤独を感じてしまう。 でも、ここは誰かが道を歩いていたり、飲みに出ている人の影、人の生きている営みが感じられる気がして、寂しさを感じさせない。 私は、特に、夏の終わりの頃の日曜の夕暮れ時、ベランダに出て広い空

          ななちゃんといた街

          天草・島原、隠れキリシタンに触れる旅② 海色の服とマリア様と四郎様

          女は旅するたびに綺麗になる 九州編 荷造りの早い女になりたい。 旅の前日にはサッと荷物をまとめて、持ち物も軽く、心の赴く場所に旅をするのに憧れる。 でも、実際の私は荷造りと引っ越しが何よりの苦手だ。 だいたい荷造りをするのは、前日の(というか、日付が変わった当日の)夜中、ゴソゴソと引き出しから着ていく服を用意する。 何を着て行こうか全然決まらなくて、ウロウロしながら荷造りしているとあっという間に空が薄明るくなる。 早く寝なきゃと思うと余計にドキドキして眠れず、大抵出発の日は

          天草・島原、隠れキリシタンに触れる旅② 海色の服とマリア様と四郎様

          私が天草にたどり着くまで 天草・島原、隠れキリシタンに触れる旅①

          点と点が長い年月を経て結ばれていつの日か線となり、壮大な叙事詩のように、いつしか私を主人公とした物語が出来上がるようなことがある。 このコロナに翻弄された約5ヶ月間、色々な苦しいことがあり悶々としていた私に母は、 「必ず導きの道はあるわよ」 と言ってくれていました。 そうかぁ、導きの道かぁ。 この響きに惹かれて、この言葉を聞くと、焦らずとも、いつかは光る道に出会えるような気がして少し心が落ち着くのでした。 私は運命的なものを求めるたちだ。 例えば、本屋に行けば何か私

          私が天草にたどり着くまで 天草・島原、隠れキリシタンに触れる旅①