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図書券から受け取ったもの。与えられたもの、与えるもの

今はもうなくなってしまった図書券。
子供の頃、良く大人たちから頂いていた。
クリスマスの時、お誕生日の時。
そして、夏休み・冬休みで大阪にある母の実家に帰る度、私に図書券をくれるおじさんがいた。祖父の行きつけの京割烹料理「和光庵」の大将だ。

私たちが大阪にいる間に、祖父は必ず一度はそのお店に連れて行ってくれる。その時は、近くに住んでいる親戚も呼んでみんなで会食する。
そうすると、大将は必ず孫たち全員に3000円の図書券を用意してくれていた。
孫たちが3~4人、多い時は5人集まり、大人と同じものを食べさせてもらう。
幼いながら、私の好きな料理は「鯛の薄造り」だった。
最後のシメは、「カチン粥」と言って、おかゆに一口サイズのお餅が入っている。そこに、付け合わせの漬物をザッと全部入れて食べる。
これが、祖父から伝わるカチン粥の食べ方で、今でも親戚が集まると皆この食べ方をする。お漬物を豪快に入れる感じが大好きだ。
子供の頃の舌の体験は重要だと思う。
私は、このお店が人生最高のレストランだ。

私が幼稚園の時、祖父は癌に犯された。
その日、祖父が寝ている横で、私はお昼寝をさせられた。
二人きりの部屋で私が祖父の方に横向きになって寝ていると、
祖父も私を見ようとこちら向きになり、向かい合った状態になった。
祖父はとても嬉しそうな顔をしたと思う。
私は、なんだか見つめ合ったその状態が恥ずかしくて、すぐに祖父に背を向けてしまった。

あの時は祖父が病気なんて余り考えてなかった。
一緒に向かい合って寝ればよかった。
幼かった私は、祖父との思い出をあまり覚えていない中、
その時のことは後悔と一緒に鮮明に覚えていて、思い出すと泣けてくる。

私には2つ離れた年の近い従姉妹がいて、母親たちは私たちのことを「親友従姉妹」と呼ぶほど、ずっとくっついて遊んでいた。
祖父が寝ている横の部屋で私たちがママゴトをして遊んでいて、寝ている祖父の耳に
「そろそろ鯛の薄造りが食べたいよね」
というおしゃべりが聞こえてきたらしい。(今考えても大変生意気な子供!私は、この時の記憶はないのだけど、母から聞いた話だ。)

「こんなちっちゃな子供がそんなことを言うなら食べさせにゃいかん」と、祖父は病魔の体をひきずって、私たちを和光庵に連れて行ってくれ、それが祖父が行った最後の親戚揃っての「和光庵」での会食になった。

大将は、祖父が亡くなった時、泣いていた。

大変な時に、とてもお世話になったと。
祖父が亡くなった後、和光庵に連れて行ってくれるのは祖母になった。
私たちが行くと、大将は引き続き図書券をくれた。

今になって思うと、私は、祖父の生き様と、友情を忘れない大将の恩義を、図書券を通して有り難くあやかっていたんだ。

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図書券は図書カードの出現と共に余り使われなくなってしまって、
ついには2005年に新規の図書券の発行が終わってしまったらしい。
そう言えば、もう見ることはなくなってしまった。

図書券のカバーにこんな言葉があったのですが、覚えている方いらっしゃいますか?

少にして学べば、即ち壮にしてなすことあり。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。

私は、幼い頃から好きな言葉を覚えようとする癖があり、この言葉を気に入っていた。最近になってふと、あれはなんだったのだろうと調べたら、
これは江戸時代の儒学者・佐藤一斎が書いた「言志四緑」に収められた言葉だと知った。

昨年オープンした角川ミュージアムの館長を務められる松岡正剛さんが佐藤一斎について詳しく書いています。https://1000ya.isis.ne.jp/1489.html
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佐藤一斎は、佐久間象山やらを門下に置いて、林家の塾長となり、西郷隆盛もこの「言志四録」を愛読していたらしい。つまり、佐久間象山に学んだ勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬もこの流れを受け、それがまた次の代で、伊藤博文・高杉晋作・木戸孝允・山縣有朋に引き継がれて、日本の近代国家の目覚めとなった。

この中には、人を奮い立たせる「気」の立つような言葉が収められています。

凡そ事をなすには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。
人に示すの念有るを要せず。

人の生き方とはどのような世も同じなんだとハッとした。
私は小さい頃から「天命」というものが必ず有ると信じていた。
この世に生まれてきた理由。
何か、世になすべきことが有るから、生まれてきたと信じたい。

天に尋ねる。

天や空に聞いたからと言って、答えが降りてくる訳ではない。
つまり、自分の胸に手をやって、自分の心に宇宙を持って生きて行く。
宇宙と言っても神秘のものではなくて、論理。つまり、思考することだと思う。天は自分の心に有る。

人の軸で生きない。
自分の思う事を信じて歩みなさい。

私の勝手な解釈で、このような意味かと思った。

ちなみに、佐藤一斎の影響を受けた西郷隆盛は、同じような事をこのように言っています。

人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、
我が誠のあらざるを尋るべし。

自分の道を突き進むなら、あとは全て責任も自分に有る。
うまく行かなければ、それはあくまでも自分の「誠」が足りなかったと思う。

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今年はnoteを更新して書く力をあげようと思い、自分の過去のことを掘り起こすと今まで風景として通り過ぎてきたことが大切なことだったと教えられる。祖父のことを近くに感じ、図書券のカバーを思い出し、佐藤一斎の言葉に再び出会った。

改めて思うと、幼い頃には気が付かなかった、祖父からの恩恵、祖母からの恩恵、私にまつわる沢山の人たちからの心を与えられてきたのだと思う。
私は、図書券を通して、祖父の「徳」を与えてもらっていた。
今、私には初めて甥が生まれて特に思う。
自分では覚えていないけれど、私が産まれてきた時も、沢山の人たちの喜びと、愛情を与えられてきたのだろう。
私が今まで受けてきたもの、今度は与える側となり、次の世代に何をしてあげられるだろう。
命は、こうして、私が祖父からもらったものを引き継ぐように、見えない見えないものが伝えられて今、この生が有るような気がする。

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