見出し画像

『遠野醸造』物語ービールを飲んで、街を知る旅

 10月の半ば、久しぶりに降り立った東北の地は思った以上に寒くて、当たり前だけど、これが東北だと肌で感じた。
新幹線の中から見えたのは黄金色の畑と、少しずつ色づき始めた山の色合い。一足早く、天高く、馬肥ゆる秋。

画像1

クラフトビールで街づくりを知る

私が今回、東北に来たのは遠野に行くため。そして、遠野でクラフトビールに出会うため旅に出ました。
クラフトビールには「地元でできる特産品を使って美味しいビールが作りたい」とか「ビールを作って街に人を呼びたい」という地元への愛が込められている。つまり、ビールを知ることで、その土地の風土と人を知ることができる。全く同じビアスタイルでも、作る場所と人によって全く違う味が作られるのがビールの面白いところ。造り手の顔を知って飲むビールは余計に美味しく感じます。
ビールを求めて、街づくりを知る。そんな旅に出るようになりました。

クラフトビールを調べていると、どうやら「遠野が面白いらしい」ということを知りました。しかも、その遠野で醸造所兼タップルームのある店舗「遠野醸造」を設計したのは、私の親しい友人でインテリアデザイナーの増田太史さん。自分にもちょっとゆかりがあるのならば、今すぐにでも遠野に行くしかないだろうということで、秋深まる季節、岩手県遠野市に行って来ました。

画像2

新幹線で新花巻で下車、そこから釜石線に乗って遠野に向かいます。
新花巻で降り立った時のヒンヤリとした空気!思わずフードを被る。

画像3

画像4

遠野でランチ

遠野醸造の代表袴田さんに、増田さん経由で取材をお願いして快諾して頂きました。そして、取材の前にどこかオススメのランチはないかと紹介していただいたのがこちら。レトロな喫茶店「パブ&レストラン TAKUMI」の絶品オムライス。

画像5

画像6

中はトロトロ。卵3個分の集大成を見よ。
普段、オムライスにさほど関心のなかった私も唸りました。
ふわふわと食べられるオムライスは、なかなか東京でもお目にかかれない逸品です。

画像7

ちょっとした飾りにカッパが使われているのがかわいい。

画像8

そう。ここはカッパの故郷。

画像9

駅に降り立った瞬間このカッパが目に飛び込んで来て、「怖いーーーー!!」と叫び声をあげた私たち。こういうところは、この地に来てしか分からない。どうしてこんなリアルな感じで作ったんだろ!!
そして、これがこの街で受け入られたことが地方ならでは。
私は嫌いじゃないけど。笑

画像10

遠野の里

岩手県遠野市はちょうど岩手県の中心部に位置します。盛岡から三陸海岸を結ぶ沿岸沿いにあり、かつては交通の要衝として栄えた場所でした。この遠野を一躍有名にしたのが、民俗学者の柳田國男でした。柳田國男が遠野出身の佐々木喜善(鏡石)から聞いた話を集めて出版したのが『遠野物語』です。

此話はすべて遠野の人、 佐々木鏡石君より聞きたり。・・・

遠野の町は南北の川の落合にあり。以前は七七十里(しちしちじゅうり)とて、七つの渓谷おのおの七十里の奥より売買の貨物を聚め、その市の日は馬千匹、人千人の賑わしさなりき。

柳田國男の上記の記述にも「馬千匹」とある通り、遠野の馬は、農耕や駄賃付け、山仕事などの労働力だけでなく、馬市での貴重な現金収入源として人々の生活と切り離せないものでした。
そのため、人々は馬を大切にし、馬の繁殖と成長を願って駒形神社にお参りし、数多くの絵馬が奉納されました。

画像11

画像12

遠野市立博物館に行くと、人と馬との暮らしの様や、遠野の人々のかつての生活、「町」「里」「山」の暮らしを知ることが出来ます。

オシラサマ信仰

遠野には、馬と人が結びつき信仰となった「オシラサマ信仰」という祈りのかたちがあります。私は、遠野の民話を語り継ぐ、語り部の方からその物語を聞きました。

画像13

むかす、あったずもな。(昔むかし、あるところに・・・)

とある農家に、美しい娘が父と母と暮らしていました。
その家には、美しい馬が一頭あり、娘はたいそうこの馬を可愛がり、
父親が馬屋に行くと、娘が馬に話したり楽しそうに笑ったりする声が聞こえていました。
ある時、年頃になった娘に父親がそろそろ嫁に行く先を見つけなけらばと言ったところ、娘は
「おらァ、ウチの馬と夫婦(めおと)になりてぇ」
と言って、両親はたいへん驚きました。
父親は激怒して、
「バカモン!!大切に育てた娘を、馬になんかくれてやれるか!!」と言って、その晩、馬を桑の木にくくりつけて斧でその首を切ってしまいました。
娘は嘆き悲しみ、馬の首にしがみつき泣いていると、なんと、そこに光が差し、馬が現れ、娘を連れて天へと駆け上って行きました。

たった一人の娘を失ってしまった両親は「なんて可哀想なことをしてしまったんだ」と悔やんでも娘は戻って来ませんでした。
ある夜、両親はそれぞれ不思議な夢を見ました。
娘が夢の中に現れ、
「私は、大切に育ててもらったのに、なんの恩返しもできなくて親不孝な娘でした。その代わりに、今から伝えることをやってみてください。
○月○日、庭の臼の中、見てけろ。その中に虫が入っていて、その虫に桑の葉を食べさせると、まゆッコになって、旗を織れば高く売れるから」
と言って、旗の織り方も教えて夢から消えて行きました。
父と母は全く同じ夢を見て、不思議に思いましたが、娘の言った通りにしたところ、不自由なく暮らせるようになりました。

そこから、馬と娘の像に綺麗な布を着せてお祀りする「オシラサマ信仰」は東北の家の神として養蚕・農業の神・馬の神、また、お知らせ・予言の神様となりました。
どんどはれ。(おしまい)

画像14

画像15

伝承園にあるオシラサマ。馬と娘が一対になって祀られている。

これが遠野の物語の世界の一部です。

画像16

人は山に生かされ、死ねば山に帰る。遠野の里の魂は山とともに生きていた。

画像17

さて、遠野の民話の世界や風土を知ったところで、私たちはお目当の
『遠野醸造』へ向かいました。

ビールが人を結ぶ「ハブ」になる、コミュニティーブリュワリー

夕暮れの遠野の街を歩くと、古い建物を残してリノベーションされた町並みが明かりを灯し、とても美しい光景でした。

画像18

画像19

そして、遠野醸造へ。

画像20

今回、取材を受けてくださったのは、遠野醸造の代表を務める袴田大輔さんです。袴田さんは、大学卒業後、ファーストリテイリングに就職。ユニクロで店舗マネジメントや新店舗立ち上げなどの経験を積みました。
店長経験など大きな仕事でやりがいはあるものの、袴田さんが感じるようになったことは、大量生産されたものを売るということへの違和感でした。「自分で作り出したものを、カウンター越しに渡せること」
そういう仕事ができるのはビールづくりなのではないかと、転職を決め、横浜にある醸造所で働き始めました。

画像21

袴田さんがクラフトビール に出会ったのは、大学時代、バックパッカーをした頃のこと。大学を一時休学し、世界30各国を巡りました。
「それまではビールといえば、居酒屋で乾杯に飲むもの、と言うくらいにしか思っていなかったんです。でも、世界中を回って見ると、ビールは土地によって作り方や飲み方が違うと言うことに気がつきました。それからバックパッカーのサブテーマが「ビールを土地土地で飲むこと」になり、ラベルを集めたり、オクトーバーフェストに参加したり、旅に出て、ビールが奥深いと言うことを知りました。」
その当時は、ビールを自分で作るなんて考えてもいなかったそう。
ただ、土地によってビールの美味しさが違うことを知り、就職した後も、ビアバーを巡るようになったと言うことです。

画像22

ーーーー遠野でビールをつくろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

「アパレルの会社を退職して、ブルワリーで働いていた時に、遠野でビールプロジェクトの募集を知りました。
遠野がホップの里からビールの里を目指していくと言う、街全体、官民が一体になった大きな流れがあり、その中で自分たちが醸造所をつくろうという時に、拠点となる場所を作りたいと思いました。
そこで、ビールを製造することができて、そこで、ビールを味わえる。
そこで、街の人たちがビールについて学べて、そこに県外からも人が集まり、コミュニティが作れる。
ホップの生産地だからこそできるコミュニティー拠点を目指しました。」

こうして、遠野醸造は作られ地域と人を結ぶ「コミュニティーブルワリー」として多くの人を集めるようになりました。

ーーーー自分の故郷ではなく、遠野の移住を選んだ理由はなんでしょうか?

「理由は二つあり、一つ目は、ホップの産地であることが大きいです。
原材料をすぐ側でつくっているので、生産者さんとコミュニケーションを取りながらやっていけることに面白さがあります。
もう一つは、ここにたくさんのプレーヤーが集まり、様々な人と関わり大きなものを目指していけるからです。
ここでは、先程も言ったようにホップ農家の生産者さんがいて、行政の人、ビアツーリズムの会社をやろうとしている人、街づくりの人、様々な人がいます。ここに仲間がいるということが大きなことです。」

袴田さんの言葉通り、今、遠野にはたくさんの移住者集まっています。ビール・ホップにまつわる人だけでも20人程いるという。
遠野市とキリンがホップとビールを軸にした街づくりはTKプロジェクトと呼ばれ、そこに多くの人が集まってきました。

画像23

遠野醸造で食べられる、ビールのおつまみにぴったりな「パドロン」も、ビールの里プロジェクトにより遠野で栽培されるようになりました。
横浜から遠野市に移住した吉田さんが、キリングループ主催の農業経営者育成プログラム「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」に参加し、キリンビールの浅井さんと出会います。
この二人が出会ったことで、「遠野パドロンブランディングプロジェクト」生まれ、遠野にホップだけではない、ビールのおつまみになるパドロンが生産されるようになりました。

画像24

こちらも遠野醸造で食べられる「国産ホップの若芽入りソーセージ」。こちらもTKプロジェクトからビールの里を象徴するかのように生まれた商品。
柔らかいジューシーなソーセージにホップのハーブの香りがすっきりとした味わいになっています。

こうして一人一人の様々な取り組みが、「ビールの里」のストーリーを作り上げていきます。

私が気になったのは、移住というと、元の住んでいた人たちからの反発や、軋轢があるというのがどこの地域でも問題となっていること。
袴田さんに、そういった悩みはなかったのでしょうかと聞いてみました。

「元々、遠野はよそ者を受け入れるという土台があった場所だと思います。
それには、遠野の地理が関係していると思う。遠野は街道が通り、内陸と沿岸を繋義、多くの人たちの通り道となった場所でした。
東日本大震災の時も、遠野が中継点となって、災害支援が行われたりもしました。地理的には山に囲まれ閉ざされているように思いますが、道が通っているため、様々な話が持ち込まれて遠野物語ができたとも思います。
バックグラウンドがバラバラな人がここに集まって街づくりをするのが面白いところです。」
昔から交通のハブだった土地を、今、ビールをハブに街づくりが行われています。風土が人を育み、またそこに人が街を育んでいく。歴史を引き継ぐストーリーが見えるような気がしました。

そして、この遠野醸造のタップルームも、この場所の歴史を引き継いでいます。

画像25

画像40

画像41

元は酒屋さんだった建物をリノベーションして遠野醸造タップルームが生まれました。
2017年4月に袴田さんが遠野に移住をして、すぐに醸造所の物件探しを始めましたがなかなか街中に醸造所に適した物件を見つけることが出来ませんでした。そして、2017年10月にこの場所と巡り会います。

ーーーお店を作る時に大切にしたことがありますか?

「お酒にまつわる場所の歴史を尊重して、かつての雰囲気を引き継いでビールをつくりたいということです。ここの酒屋のおじいさんは、近くにあった酒蔵の杜氏をされていました。そういったお酒にまつわる関係のある場所と出会えた時には、ここしかないと思いました。
出来るだけ、当時使っていたものを残すようにしました。この床も当時そのままのもの。そして、壁に並ぶ照明も、酒屋さんの時には、ディスプレイの冷蔵庫を照らすのに使っていたものです。また、入り口入って右のところにある壁に空いている空間は、元は固定電話が置いてあり、そこで注文を受けていたところをそのまま残しています。」

画像26

設計した私の友人、インテリアデザイナーである増田太史さんは、ここの設計に関して、できるだけ『地産地消』にこだわりたいと、木材は全て岩手県の花巻市にある木材店から調達し、地元の林業を活かすことにしました。また、天井板も剥がしてみると味わいのある木と鉄が現れたために、途中で計画を変更してそのまま梁を見せることにしたと言います。
「お店を作る過程から地域の人と共有して、地元の人に愛されるお店にしたい」という袴田さん達からの願いから、店内で使用するスツールはDIYで作れるようにパーツを設計。
SNSで集まった人たちと一緒にワークショップを行い、完成させました。

画像27

床も経年変化から味わいが感じられます。

画像28

袴田さんと、増田さん、夏のホップ畑での写真。
私が遠野に出発する前、「あそこのビールは本当に美味しいから楽しんできて!!」と遠野醸造ビールを絶賛していた増田さん。
オープンから2年経って、地元の人からも県外の人からも愛されるお店となっていました。

遠野醸造の新たな挑戦

オープンしてから2年となりますが、遠野醸造も新型コロナウィルスの影響で売り上げが下降し、一時は店をクローズにしていたと言います。
そこで問題となったのは、ビールが売れずに残ってしまった事態。遠野醸造ではつくったビールをその場で飲んで頂くか、もしくはテイクアウトという方法でしかビールを売ることはできません。遠野醸造の持つ酒造免許では、ボトリングをすることが出来なかったのです。
そこで手を差し伸べたのは、同じ岩手県にある「いわて蔵ビール」です。行き場のなくなったビールを瓶詰めをしてもらうということが実現されました。
無事に瓶詰めされたビールたちは、オンラインで瞬く間に売れていきました。

遠野醸造ではオープン当初から専用ボトルで持ち帰ることのできるビールのテイクアウトを行なっていました。コロナの影響でますますテイクアウトの需要も増えたようです。
そして、ここに来て、遠野醸造は新たな挑戦を始める事にしました。
それが、創業以来初めての、缶ビールの製作!!です。

遠野醸造のビールは「コミュニティブルワリー」としての役割からも、ここに来て飲んでもらう、というコミュニケーションを大切にしていました。
例えば、ブルベリーを使ったビールをカウンター越しに出した時に生まれるお客様との会話。
「どこで作られたブルーベリーですか?」
「近くの松崎町というところですよ。ブルベリー食べてみますか?」
こういった、やり取りをしながら「自分で作ったものをカウンター越しに渡したい」というのは、創業前からの袴田さんのこだわりでした。

ただ、新型コロナウィルスの影響で、遠野に来たくても来ることのできないお客様も出て来ました。そうした時に、「樽生以外の選択肢」を持つという考えに変わったと言います。

そこで、遠野醸造さんで取り入れたのは、アメリカから超小型のカンニングマシン。醸造設備一式が買えてしまうほどの投資で取り寄せた機械が、いよいよ動き出しました!
発表されたのは、遠野から帰った後の10月20日。袴田さんと、遠野醸造取締役メンバー田村さんとでオンライン乾杯。遠野の乾杯の発声は、
「レッツ」「ホッピンーグ!!」

画像29

画像30

少しだけカンニングマシンの様子もオンラインでご紹介頂きました。

なぜ、缶なのか?
取材の際に、発表より一足早く、缶の製造に関する思いを聞かせて頂きました。そこには、袴田さん初め、遠野醸造の方達の品質に対するこだわりの思いが溢れていました。
今回、缶の製造を決めたのには3つの理由がありました。
・品質面のこと
 遠野醸造のビールは無濾過で加熱処理をしていない生ビール。酸素の混入をできるだけ抑えられて、タップルームの美味しさをそのまま届けられるよう、瓶ではなく缶の選択をした

・携行性
 輸送の送料などお客様の負担や持ち運びやすさを重視した

・リサイクル率
 瓶より缶の方がリサイクル率が高く、環境に優しい

5-10年後に入れるより、今このタイミングで入れたいと決断されたとのことです。
この超小型サイズの卓上型カンニングマシンは日本初上陸とのことです!
遠野に行けなくても遠野醸造のビールが飲める!!プロダクトとして流通すると、今まで届けられなかった人に届けられるようになる。
きっと、これでますますファンが増え、またこうしてできたファンはきっと、いつか遠野に行こうと思うようになるような気がします。
遠野の人たちの思いがたくさん入ったビールですから。

仕事は細部に宿る

画像42

袴田さんに取材をお願いして、印象的だった言葉があります。
それは、仕事は細部に宿ると思って、ビールを作っている。という言葉でした。
遠野醸造でビールづくりを始める前に、半年間、全国のブルワリーを巡って研修を受け、リサーチをしていた頃。そこで学んだことは、ブルワリーごとに使っている設備や、ポリシーが異なるということ。様々な醸造所を見て、細かな作業から学ぶうちに、
「どうやったらクリアで雑味がなくて、何杯飲んでも飲み飽きないビールが作れるか」
ということを意識し、それが今でも続いていると言います。

「菌を扱う仕事なので、まず衛生管理を第一にする。丁寧に殺菌しているか、普段の清掃ができているか、細かいところの積み重ねと心配りでビールは作られます。
例えば、バルブの開け方一つにしても、バッと開けると酵母にストレスを与えてしまう。そういう細かい仕事の積み重ねで品質が作られると思っています。
決して、タンクの外を拭いていたらビールが美味しくなるかというと、そういう訳ではないんですが。(笑)
でも、そういった意識を持ってビールを作るということで、美味しいビールが作れると思っています。」

画像43

遠野でビールを飲んだ夜

取材を終えた私たちは、夜の開店を待って再びお店を訪れました。
お待ちかねです。。

画像32

画像33

画像34

画像35

「遠野醸造物語」を伺った後に飲むビールは格別に美味しかったです。
爽やかでクリアな味わいに、何杯でも飲めてしまうビール。

また、お食事も美味しい。遠野パドロンの素揚げ、ホップを使ったソーセージ、豚モツのトマト煮込み、ラム肉ロースの叩き。

画像36

画像37

ビールの話を聞きながら、またお料理の話を聞きながら遠野の恵みを沢山頂きました。

画像38

遠野醸造には、農家さんと毎年コラボで作るサンクスセゾンというビールがあります。農家に感謝をするビール。

ホップ栽培が行われる地でビールを作ることで、ホップ栽培とビール醸造をお互いがお互いを勉強し合いながらビールをつくることができる。
どんなホップがビールに合うのか、
我々が使うホップがどうやって作られるのか。
冬場になると、農業の閑散期で農家さんがお店に立ってくれることもあるらしいです。そうすると、お客様も、ホップ栽培のお話を聞くことができます。まさに、遠野ならではの景色。

画像43

遠野に来て、街は人がつくる。ということをこの目で見ることができたような気がします。
ビールを飲んで、街を知る旅。
これからも、ビールの里が育っていく姿を、そしてまだ見たことのない景色が見られることを楽しみにしています。

画像39

街を愛することで、人生がより豊かになることを感じられた旅でした。

この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

53,206件

#この街がすき

43,827件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?