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雲の上で乾杯を

私の祖母は大正15年(昭和元年)生まれ。
日々の楽しみは、夕食前の「いっぱい」だ。
毎日、この一杯を飲まないことには、決して食事に手をつけない。
お酒好きの祖母は、健康の理由から母にちょっと薄められた「いっぱい」を口にして本当に美味しそうに飲んでから夕食を始める。

改めて祖母のことを書こうと思うと、まだ死んだわけでもないのに涙が出そうになる。私と祖母は、普通のおばあちゃんと孫よりは少し深い関係。
私は、紛れもなくおばあちゃん子だ。

祖母は、戦前の奈良町育ち。師範学校を出て大阪で教師となり、そこで同じく教師をしていた祖父と出会い、大恋愛を経て結婚した。
小さい頃、祖母が大切にしまっていたラブレターをみんなで読むのが好きだった。祖母は小学校、祖父は中学校で教えていたため、校舎が違い、いつも生徒にお使いで「これ、〇〇せんせに運んで」と言って、お互いに手紙を運ばせて伝書鳩をさせていたらしい。(そんなことあるのか!!)

祖母のラブレターの中で私の好きな一節は、

私は、あなたにこの思いが受け入れられないなら、道端の雑草のように、
人に踏まれながらもひっそりと生きています。(と言う流れの後に、)

「私の好きな花、、それはスミレ。         圭子 」

それは、おばあちゃんがまだおばあちゃんじゃなくて、圭子だった時の話。

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大恋愛が実って二人は結婚し、祖父は祖母の家の婿養子に入り、大阪の船場で家業を継ぐこととなった。
母曰く、祖母はそこまで幸せな妻ではなかったようだ。
何と言っても祖父がモテる。昭和の男で、大酒呑みで、癇癪持ちですぐカッとして、祖母には辛く当たっていたそう。
でも、母を含める3姉妹の子供たちには愛情深くて良い父親だった。
祖父が会社の若い女の子と恋に落ちた時には、
「アンタはうちのお父さんの外の顔しか知らん。そんなに好きやったらうちにおいで。」と言って、しばらく、本妻と愛人が一つ屋根の下に暮らしたこともあったそう。

「お父さん、本気で好きやったら妾にするんでもよし。ほんでも、すると決めたら、女の人生、一生見たらなあきませんで。」
と言って、祖父はひるんだらしい。
すったもんだもあって別れた二人だけれど、ある結婚式に夫婦揃って出かけて行った席で、まだ祖父と彼女が別れていないことを知った。
祖母は、家に帰ったところで、着ていた着物をバサッと脱ぐと、
断ち切りバサミで帯をザーーっと両断したらしい。
怖くて、誰も何も言えなかったと。

私が生まれた時、二人はすでにおじいちゃんとおばあちゃんだったけど、
私はこのエピソードが祖母の武勇伝のように好きだ。
昭和の女。胸のうちに炎がある。

そんな激しい結婚生活も、子供たちが嫁に行き、孫が生まれ、二人の静かな時間がようやく訪れようとした時に、祖父はあっけなく67歳で亡くなった。
祖母は、それから10数年以上、軽い鬱のような状態になり、電話しても
「死にたい死にたい」と言うようになり、
祖父が亡くなってからは仏像を彫るようになった。

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私たち家族と祖母のつながりは深い。
祖父が亡くなった頃、母は離婚をした。
実家に帰る選択はしなかったけれど、祖母は私の父がわりのようだった。
私は、休みの度に大阪の家で過ごして、祖母の行きつけの喫茶店に行き、
祖母に奈良や京都に連れて行ってもらい、仏像や万葉集について教えてもらい、お小遣いもたくさんもらった。
祖母がいることは絶対な安心感があって、私たちの今は祖母のおかげである。

祖母が83歳の時、ハワイに移住した私の姉に会いに行きたいと言い出した。もう、その頃は祖母も老齢の難しい性格になっていて、母や叔母は困憊していて誰も連れて行きたくないと言うし、私はちょうどその時期仕事の間で体が空いていたので、私が祖母のお供の役を買ってでることになった。
おばあちゃんと孫の珍道中。

大阪人で、気性の荒い祖母は口もエライし、ワガママだし大変。
お腹が空いたと言って突然騒ぎ始めるし、車椅子に乗せても「ガタガタする」と言って文句を言うし、ワガママいっぱいでたくさん喧嘩もした。
でも、念願のハワイにも来れて、なかなか会えなかった私の姉にも会えて、祖母はとっても楽しそうだった。
そして、これが、祖母が行った最後の海外旅行になった。

私は、無事に帰還した時、親戚中から「よく行って来てくれた」と絶賛の嵐を受けた。
でも、みんなは知らない。大変だったけど、私には最後に、一生心に残る景色が見られたこと。

帰りの飛行機の中。
祖母は、楽しかった旅の余韻があるのか、機内食がでる時に「ワインが飲みたい」と言って、赤ワインを注文して一人で飲み始めた。
そして、酔いが回って来て鼻唄をうたって、それから一言、歌うようにしてこう言った。


「あー、お父ちゃんに会いたいなぁ。」


その時、私は知った。
おばあちゃんは、おじいちゃんと出会って本当に幸せだったんだ。
おばあちゃんは、ハワイに来れて本当に楽しかったんだ。
そして、今、とっても幸せな気分だから、おじいちゃんに会いたくなったんだ。

おばあちゃん、今、雲の上でおじいちゃんと乾杯だね。

祖母は窓際のシートに座っていて、
私には、少しほろ酔い顔の祖母と、その後ろに見える空の雲が、
どんなハワイの美しい景色より忘れられない光景となった。

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