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風のことばー姉妹のことと、幸せについて

向田邦子さんが亡くなって没後40周年で、今日まで表参道のスパイラルで展示が行われた。

わたしたちと向田邦子
ーいま、風が吹いている

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世界を旅していた様子がわかる写真、手書きの原稿、器、洋服。彼女の生きていたスタイルが感じられる展示だった。
台湾に行く飛行機で、1981年に亡くなった。
向田邦子の生きていた姿が、風のようにスッと通りすぎていく。
『徹子の部屋』での出演映像が流れていた。
「ものを書くことは、書く技術というのは氷山のほんの一角で、
考えたり感じたりすることが多くの部分を占めると思うんです。
感じたり、思ったりすることの量を多くすることが大切じゃないかしら。」
と言うことを話されていたのが心に残った。
そして、スパイラルの奥の吹き抜けのスペースには、大きな滑車が組まれ、そこから彼女が書いた言葉が風に乗って落ちてくる仕掛けになっていた。

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私が拾い上げたのはこちらだ。

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「姉妹(きょうだい)というものは、ひとつ莢(さや)の中で育つ豆のようなものだと思う。大きく実り、時期が来てはじけると、暮らし方も考え方もバラバラになってしまう。」ドラマ「阿修羅のごとく」

姉妹について

私は、最近、姉妹について良く考えていた。
私は女子校で6年過ごしたため女子の友人が多く、見渡してみるとどうも「長女」「末っ子」の気質が存在するような気がする。(そして、一人っ子というのはまた別だ。)

妹から見たら、姉は支配者で自分の上にいつまでも君臨しているもの。うちの家でも、姉は絶対的な存在だ。姉は姉としてのプライドを持っている。

妹には、プライドは必要ない。姉から見たら、気楽な存在だ。
姉が勝ち取って来た道を、さも昔からそこにあったように歩き、疲れたらちょこんとそこに腰掛けて、誰かから抱き上げてもらう瞬間を待っている。自分の存在の脅威となりながらも、放っておけないのが妹。

確かなのは、どちらが先にせよ、甥や姪が産まれたら何よりも可愛い存在で、ひたすらに自分の母性を呼び覚まし、愛情を注ぎ込む。

一旦、ヒビが入ったら、姉と妹をつなぐ道は誰も立ち入れない荒んだ悲しみの道になる。

姉は一生、妹を気にかける存在で、
妹は一生、姉に恋い焦がれる。
同じ莢から飛び出した豆は、永遠の片割れなのかもしれない。

「幸福」(短編小説集「隣の女」より)

私は、向田邦子さんの小説が好きだ。昔から、好きになった作家の本を集める癖があり、向田邦子にハマった時期がある。没後40周年ということで、実家から何冊か持ち帰ってきた。改めて読み直すとスゴイ。この人は、家庭の話を書くのが本当に素晴らしいと、改めて向田邦子という人のすごさを思い知った。
中でも、衝撃を受けたのがこの「幸福」という短編だ。

二人の姉妹がいる。
姉は、器量が良く、妹はちょっと冴えない。
そして、妹には決定的なコンプレックスがあった。汗を掻くとじっとりと香ってくる臭い。彼女には軽い腋臭があった。
妹には、恋人がいた。
冴えない男で、工場で働いている。
「ハッキリと物を言わずに金も時間もいい加減である。人生にもと言ってもいいかもしれない。ゆっくりと無感動に、牛が草を食むように仕事をし、牛が反芻するように素子を抱いた。」

ある日、父親が倒れたという知らせを受けて、姉妹は伊豆に住む父親の元へ集まる。そこに、素子は恋人を連れて来た。
それには、理由があったからだ。
姉と恋人の顔を合わせるため。そして、確かめたい。
二人に、過去、何かあったのか----

というストーリーだ。
姉妹、お互いに秘密を抱えて生きていく。
「それじゃ、しあわせ掴めないよ」
そう言われても、彼女の幸せは、今握り返してくれる力強い指の力を信じて、「これも幸福なのじゃないか」と感じている。

人の幸せって、なんなのか考えさせられる。
「それじゃ幸せになれない」
はたからみると、そう言われるようなことが何度あっても、
それでも自分の幸せは自分にしか分からない。
逆もある。はたから幸せそうに見えても、当人しか分からない息の苦しさもある。
ずっとこの呪縛で生きていくのかという未来と、
今ここにあるものを手放せるかどうかの選択で、
人生は全く違うものになる。

他人が思う「幸せ」というものを求めて生きていくことはない。
大切なのは、自分が今あるものに幸せを感じられるかどうかだ。

人の歓びと哀しみ。この先も、紙一重で生きていくのかな。



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