業務用(プロフェッショナル向け)機器の技術を核に民生用機器にも別格の性能持たせている会社 その5.12 私の推したい会社 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
私の推したい会社は、業務用(プロフェッショナル向け)機器の技術を核に民生用機器にも別格の性能持たせている会社です。
その理由を一言で言えば、業務で使われる程最先端で信頼性が高い技術を民生用に昇華して日々の暮らしの中に活かせるからです。
今までの経緯
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具体的には例えばソニーさん。
その1.0では民生用の製品は皆さんの染みの少ない放送業務用制作機材に絞ってご紹介し、今後の期待感まで吐露させて頂きました。その辺りはこちらをお楽しみ下さい。
如何でしょうか。街で見かけるソニーさんの製品とは全くの異なるプロフェッショナル向けの機能美を感じる製品群って素敵ですよね。
このとんでもない高価な業務用製品向けの技術が民生用にもフィードバックされていると思うと、何かお得感を感じませんか?
というオチでした。
その1.1はソニー・インタラクティブエンタテインメントグループさん。研究所が手掛けた際物(きわもの)を民生用、しかもゲーム機という最も大衆ウケするプラットフォームにというお話でした。
その1.2は、ソニーさんとCBSソニー(ソニー・ミュージックスタジオ)さんの話です。ソニーさんの民生用製品を元に、ソニーさんとCBSソニーさん(ソニー・ミュージックスタジオ)さんが業務用製品を共同開発され、余りの好評のためにその業務用製品は、今ではまるで民生用製品の様に販売されているという珍しいお話でした。
その1.3は、業務用の可搬型テープレコーダーが、私的な演奏会や鉄道·自然等の生録音のニースに応える形で民生用製品に仕立てられ大ヒットしたというお話でした。その名はカセットデンスケ。
その2は、鉄道や機械等に用いられる業務用の電気モーターが、家電として掃除機、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの民生品の心臓部として転用されるというお話でした。
その3は、流体力学と誘導機技術(誘導電動機(モーター)・誘導発電機(発電機)ともに成り立つ技術)から始まり電力インフラやエレベーター等の業務用機器をしつつ、扇風機から始まりエアコン等の民生用機器へその技術を展開されているというお話でした。
その4は、造船業から始まり鉄道車両、航空宇宙、エネルギー・環境、精密機械・ロボット分野等でプロフェッショナル向けのソリューションを提供されていて、その技術を二輪車、ATV(四輪バギー車)、多用途四輪車、パーソナルウォータークラフト「JET SKI®」といった民生品に生かされいる会社のお話でした。
その5.00から連作で時計メーカーさんを推したく、その前フリとして時計の歴史をご紹介しました。
その5.01は、時間軸は明治少し前辺り以降、地理的には日本に絞り今日的な時計の価値についてその背景を共有させて頂きました。
その5.02は、鉄道網の発達と時計について振り返ってみました。
その5.03は、義務教育の普及と時計について振り返ってみました。当たり前過ぎて意識しなくなっている程陳腐な内容ですが、網羅性という意味で抑えて執筆しました。赤面する程基本的な内容も恣意的に含まさせて頂きました。
その5.11は商社として輸入時計の販売と時計修理を開業し、業務用製品と民生用製品をしたたかに糾(あざな)いながら時計の分野で世界的な地位を築いたセイコーグループさんにまつわる私的なエピソードのご紹介でした。
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今回は、セイコーグループさんの業務用製品と民生用製品を逆境をも成長の機会としてしたたかに糾(あざな)ってきた歴史を振り返ってみたいと思います。
商社からメーカーになり、掛時計、懐中時計、目覚置時計と掛・置・懐中時計の3部門をもつ我が国唯一の総合時計工場になられ、その後も海外からの新鋭量産装置や自社製の製造設備を導入され成長されていったのです。加えて日露戦争、日中戦争、第二次世界大戦により、強制的に軍需品への転換命令が出される度に、精密さが要求される砲弾の信管等の製造に従事しつつ、業務用としての極みである軍用の厳しい基準での機械加工に関するノウハウが軍から移転され、大量生産方式などの技術を進化させたというお話です。
近代的な産業としての時計製造としてはまだまだ黎明期であった1877(明治10)年「服部時計修繕所」として中古時計の修理・販売をされ、1881(明治14)年には商社として輸入時計の販売と時計修理を服部時計店として開業されています。横浜の外国商館が仕入元で、そこへ安定して支払を続けたことで信用を得て優先的地位を確立したそうです。創業来安売りに巻き込まれず品質を良くして利益の出るやや高い価格を設定するという方針なので、それに賛同できない方にはお勧めできない会社さんということでしょうかね。でも世界中で認められている大企業になったということはそれが受け入れられているという証拠ですね。
商社から直ぐにメーカーになられます。1892(明治25)年に精工舎を設立。製造の容易な掛時計からスタートし協力会社を吸収するなどして、自社内で全てを一貫して製造する体制を整えられます。これにより品質管理が行き届き品質向上が図られました。懐中時計、目覚置時計と製品ラインナップを広げて国産時計を定着させて行かれました。最新鋭の動力用蒸気機関や工作機械等を多数購入した大量生産体制を整えられます。と、ここまでは順調だったのですが…
1904(明治37)年に日露戦争が始まります。強制的に軍需品への転換命令が出され砲弾の信管等を製造することに。軍用ということで正に業務用の極み。しかしこの逆境をしなやかに受け流し、軍から機械加工に関するノウハウを移転、大量生産技術も大きく進歩させたのでした。
そしていよいよ製造装置も自社開発にも。1908(明治41)年に「ピニオン自動旋盤」を自社開発し生産性を飛躍的に高めたのです。業務用やその極みの軍用の技術とこの製造装置の自社開発で民生用懐中時計を大量生産。また中国への輸出も開始されるのでした。
世界で腕時計の量産が始まる1910年代、1913(大正2)年には国産初の腕時計を発売されます。翌年1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦で腕時計は軍用としても世界的に普及し大成長されたのでした。
1923(大正12)年に関東大震災により工場、営業所などが全焼。生産・販売は中止されますが、これをも逆手に取って製造設備を最新鋭に一新しさらなる飛躍を遂げられます。
今度は軍用ではない業務用。1929(昭和4)年に懐中時計が「鉄道時計」として認定され、欧米の鉄道時計の独壇場を切り崩しました。
その辺りはその5.02は、鉄道網の発達と時計についてもお楽しみ下さい。一応再掲しますね。
1937(昭和12)年の日中戦争、1939(昭和14)年の第二次世界大戦、1941(昭和16)年の太平洋戦争で再び兵器類の生産に移行、民生用時計は略生産中止となります。
しかし戦後、日本政府の「民需品の生産力の回復」「輸出立国」施策を上手に利活用され早期復活を果たされたのです。
その辺りの詳細は以下をご参考になさって下さい。
正に私が好きになる会社のパターン…。
運命に身を任せながらも業務用技術と民生用技術を跛行的に成長させ、逆境をも成長の機会としてしたたかに糾(あざな)っていかれるて来られたのでした。
ですからセイコーグループさんは私の推したい会社なのです。
つづく
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