「助かった命」後悔今も 東松島市矢本・岩井光子さん(78)

東松島市矢本の岩井光子さんは、東日本大震災の津波で夫の孝悦さん(享年69)を亡くした。最愛の人の死を受け入れられずふさぎ込んだが、それを見かねた周囲の勧めで、平成28年からカフェを経営。人と触れ合うことで次第に心の落ち着きを取り戻した。子どもたちは実家を離れ、今は孝悦さんが大切にしていた愛猫のミミと〝2人〟暮らし。「周囲の支えで前を向くことができているが、夫を失った悲しみは消えない」とし、復興を1

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5年かけ町内会軌道に 石巻市のぞみ野・佐々木茂太郎さん(80)

石巻市ののぞみ野第一町内会で会長を務める佐々木茂太郎さんは東日本大震災当時、大街道南側にあった自宅兼印刷工場で被災した。避難所やみなし仮設での生活を経て、現在は市営新沼田第二復興住宅に暮らし、町内会として地域コミュニティーの再生に注力する。10年を前に新型コロナウイルスが各種行事やサークル活動に影響を及ぼしているが、復興を階段に例えて「8割以上進んでいる」と歩みを振り返った。

 佐々木さんは震災

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伝統的工芸品 仙台箪笥

宮城県の伝統的工芸品、仙台箪笥。

本日の写真は#つたえ手 として伝統工芸の魅力を伝える御縁を結んで下さった六本木、東京ミッドタウン
@thecovernippon 様より。ご許可頂いたので以下リポストさせて頂きます。2020.03.20
#Repost @thecovernippon with @make_repost
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日本大震災から9年、三陸鉄道全線運行再開の嬉しいNEWSが届きまし

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とても嬉しいです😊ありがとうございます❤️
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医療者の経験を後世に 石巻市立病院看護部長・﨑山晶子さん(58)

石巻市立病院は震災から5年半後、市内中心部の石巻駅前に移転再建された。看護部長の﨑山晶子さん(58)は、旧北上川河口にあった旧病院の開院(平成10年)と同時の採用。訓練で津波への対応を確認していたが、周囲から孤立してしまう状況は想像していなかったという。語り部として各地の看護師の研修で体験を語ってきた﨑山さん。あの日を忘れず、市民に信頼される病院づくりに向ける。

 﨑山さんは震災当時、病棟の看護

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悔やみつつも教訓今に 石巻市八幡町・高須賀正忠さん(44)

石巻市八幡町に住む高須賀正忠さんは、灯油販売や住宅設備などを手掛ける㈱高須賀商店の5代目。店は約130年にわたって地域と共に歩んできた。東日本大震災では事務所が津波に飲まれ、自宅も大きな被害を受けた。その中で唯一無事だったタンク車を使い、被災した地元を回って燃料を届け続けるなどした。

 店は明治23年に創業した老舗。燃料販売の店舗としては市内で最も古く、地域の中で歴史を刻んできた。高須賀さんは「

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2018/3/27 東日本大震災の被災地への旅

私が旅をするきっかけ、そして自分自身と向き合うようになったきっかけとなった、東日本大震災の被災地へ行った高校卒業旅行の記録を紹介する。

初めて行ったのは2年半前の2018年3月だけど、自分の価値観が明らかに変わったというほど発見が多く、とても思い出深い。そんな東北被災地旅のシリーズをこれからしばらく紹介していこうと思う。

東日本大震災が発生したのは2011年3月11日で、当時私は小学5年生。

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スキありがとうございます!🥰🥰🥰
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(2019.11.4)1年半ぶりの飯舘村

2019年11月4日にFacebookで投稿した記事を写真やタイトル等ちょっとだけ整えて転載しています。大学の教授が活動されている福島県飯舘村に久しぶりに訪問した時の話です。

ー*ー*ーここから転載ー*ー*ー

赤や黄色に色づいた木々や、朝晩の「ピーン」とした空気に、あぁもう直ぐ冬だな〜と。黄色の菜の花畑がすごくきれいだったものの人気がなくてどこか寂しげだったというのが前回の記憶。今回は、きれい

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(2018.5.2)まずは知ることから。初めまして、飯舘村。

2018年5月2日にFacebookで投稿した記事を写真やタイトル等ちょっとだけ整えて転載しています。大学の教授に福島県の飯舘村に連れていっていただいた時の話です。

ー*ー*ーここから転載ー*ー*ー

4/28.29で飯舘村に行ってきました。生まれて初めての東北で、もちろん震災後初めてでした。菜の花畑や満開の桜がたくさん目に入ってきてすごく素敵で、村のいたるところに汚染土が入ったフレコンバックが

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短くも長くもあった日々 石巻市中央・正岡賢司さん(72)

東日本大震災から9年半が過ぎ、国の復興期間も本年度末で一つの節目となる。震災は津波で被災した沿岸部だけでなく、復興事業に伴って内陸部も含めた広い範囲で地域の姿を変えた。道路、橋、施設。記憶にとどまる前に移り変わっていった景色も数多い。当時描いていた10年後の姿と今の姿。震災から10年が近付く中、石巻地方の人々に復興の階段を尋ねた。「10段あるとすれば、あなたは今、何段目ですか」。

変化した街並み

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「ふっこう」

震災において「復興」はよく使われる言葉だ。

じゃあ、復興ってなんだろう?

震災の跡が無くなることが復興?

復興って本来はポジティブな言葉なんだろうけど、私にはマイナスに感じられることもある。

もしかしたらこれは、数年間放置された土地だったから余計に強く感じる感覚なのかもしれない。

あの日、津波が来て、全てが流された。

家も、家族も、友人も、学校も、全部が流された。

町が全て瓦礫だらけ

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