見出し画像

能登半島地震の被災地視察に行ってきました(3/3:馳知事、わかったこと)

能登半島地震の被災地視察のレポートです。
この前はこちらからお読みください。


19時00分 石川県庁 着  馳知事・西垣副知事と意見交換

今回の視察の最後に、石川県庁で馳知事・西垣副知事と意見交換する時間をいただけた。
馳知事は、元衆議院議員。直接にお会いするのは初めてだが元高校教師でもあり、自民党文教族の中心人物だった方だ。

馳知事からは、「石川県創造的復興プラン」を作成したこととそのポイントとして以下の4点を上げられた。

1)二地域住居のモデル確立
2)官民連携復興センターの設立
3)自律分散型エネルギーの確立
4)ドローンやマイナンバーを活用するなど日常と災害時を分けないフェーズフリーの実現

また、どの地域でもお祭りが中心的な行事だったので、それを復興できるように努めたいとも。

すべてが心強かった。

質疑の時間があったので、僕からは以下のように述べた。

今回の能登半島地震の復興には、カタリバの今村久美さん、雨風太陽の高橋博之さん、RCFの藤沢烈さんなど13年前の東日本大震災の復興支援で活躍をした当時の若手が、その知見を活かして中心となって活躍している。

ぜひ、石川県の今の若者たちにも彼女ら彼らと一緒に復興の最前線で活動していただき、どこかでまた起きるかもしれない震災では、石川の若者たちが復興を支えていくと思います。

実際、復旧・復興アドバイザリーボードには、安宅さん、太刀川さん、菅野さん含めて6名の知人が名を連ねている。

知事も副知事も「皆さんにはとてもお世話になってます!」と名前が出てきたことを喜んでくれているようだった。

わかったこと

その時、何かが降りてきた。
「あぁ、こういうことなのか」
と思った。

20歳の学生の時は若造だった。若さと元気だけが取り柄だった。35歳の時は生意気だった。行政をあちらにして、自分たちでできるとわがままだった。

今、2024年。
気がつけば、みんなアラウンド50代だ。
今では若者代表として末席を占めるわけではなく、もはや中心メンバーとして名を連ね、その発言や行動は岩盤を貫き組織を動かし、法律を作り、予算を産み出す。

僕がやれなくても、やっている仲間たちがいるのだから、そこを全力で応援することこそが職責なのではないか

という意識が降りてきた。

帰りがけには、西垣副知事がUSJLP(日米リーダーシッププログラム)の先輩であることがわかり、大いに盛り上がる。

21時03分 金沢駅 発(夕食 新幹線の中でお弁当)

すべての視察が終わり、金沢駅に着いたときに、西垣副知事が6月末で退任されることを知り、残念に思った。

しかし、後任が同じく経産省の浅野大介氏と知って顎が外れるくらいビックリする。

思い出せば浅野大介に出会ったのは2018年頃。僕が新陽高校の校長の時だ。

お互いに教育界の異端児であり、いろんなところで講演をご一緒し仲良くなった。

経産省ながら文科省のGIGAスクール構想を実現するという力業を発揮した尊敬する友人が副知事になるのだという。

浅野大介とは、仕事ができて愛のある公務員だ。


浅野新副知事のもと、復旧・復興は大いに進むだろうと確信してやまない。

そしてその活動を自分のできることを精一杯やって支えていきたい。

右が浅野大介さん
函館みらい大学を訪問した時の記念写真


1月からずっとモヤモヤしてきたが、いろんなことが晴れてきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?