TADAYA 若女将

石川県能登半島にある和倉温泉多田屋・6代目若女将です。2024年1月1日16時10分に…

TADAYA 若女将

石川県能登半島にある和倉温泉多田屋・6代目若女将です。2024年1月1日16時10分に起きた能登半島地震を記録したいと思いnoteを始めました。能登の復興、和倉温泉の復興、旅館の復興を願いアップしていきたいと思います。

最近の記事

能登半島地震における旅館の記録㉛

3月26日 保育園へ看護師さんと仕事の引継ぎ 私が保育園でさせて頂く事は、園児や職員の体調管理や健康管理。消毒液の作成や、備品の管理。0歳~1歳児保育の手伝い。ほけんだよりの作成。感染症対策。子供達の検診の準備。なかなかやる事があるぞ。大丈夫か私…。園長先生に【子供の名前を覚えるのが最初は大変かも】と言われた。きた~!子供の名前か!最近の子供の名前は難しいぞ。子供の名前を間違えたら一気に嫌われる!小学生とは違って名札を付けていないのでこれは大変だ。 4月1日 若女将・保育園

    • 能登半島地震における旅館の記録㉚

      noteを始めてから今回で30回目の投稿となりました。この節目に多田屋の復興ビジョンの記事をUP出来る事をとてもうれしく思います。ただ、本当に先は長く、そう簡単な事ではありません。地震から3ヶ月が経ち、スタッフと経営者の想いを共有し合い、やっとスタートに地点に皆で並ぶ事が出来ました。チーム多田屋が復興に向けて一歩を踏み出します!途中止まってしまう事があっても、たくさんの人たちの想いを大切に、一歩一歩進める事に感謝し、そして何より多田屋らしく前に進んで行きたいと思います! 3

      • 能登半島地震における旅館の記録㉙

        3月13日 多田屋の仲間 送迎バス達、新天地へ! 多田屋は今までたくさんのお客様を送迎してきたバス達とお別れする事を決めた。営業再開が見込めない中、バスを維持していくのも大変なのだ。 私は本当に悲しかった。色んな思い出があり過ぎる。多田屋バスが出発する前にはバスに乗り込みご挨拶する女将さんを見て、見様見真似でやってきた若女将としての務め。多田屋バスに乗ってスタッフ皆で行った研修は本当に楽しかった。 そして最後に本当に大活躍してくれたバス達。今回の地震で大切なお客様を乗せてく

        • 能登半島地震における旅館の記録㉘

          3月1日 小中学校に不二家さんからショートケーキがプレゼントされる。不二家さんは1月の中旬から被災した小中学生にイチゴのショートケーキをプレゼントしてくれている。そして3月1日に娘の中学校・息子の小学校にプレゼントしてくれた。実は3月1日は娘の誕生日。給食の時間にクラスの皆んながショートケーキを集めてホールケーキにしてHappyBirthday!をしてくれたと娘は学校から帰ってくると嬉しそうに言った。今までで最高のお誕生日になったね!と私は言った。震災後本当に色々な企業さんが

        能登半島地震における旅館の記録㉛

          能登半島地震における旅館の記録㉗

          震災から3ヶ月、能登の余震は少なくなってきている。ただ、日本全国で地震が起きている。私が大地震として記憶しているのは一番最初が阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、能登半島地震、東日本大震災、熊本地震、そして今回の能登半島地震。今までは…本当に他人事だった。正直言って、自分が被災者になるとは思ってもみなかった。こんな事は今後、日本でも世界でも絶対に起きて欲しくないと切に願う。切に願っているが、皆さん準備だけはして下さい!社長が17年前に【こんな事二度とないと思うから、記録として大

          能登半島地震における旅館の記録㉗

          能登半島地震における旅館の記録㉖

          ここで1月1月の記事をまたUPさせて頂きたい。客室係スタッフの記録である。彼のレポートも1月1日の様子が詳しく書かれていた。 ~客室係スタッフの記録~ 1月1日15:00 業務開始。 私は個室食事会場の担当となり、テーブルセッティングや料理の提供準備、チェックイン後のお客様の客室へのご案内業務を行っていた。 1月1日16:06 私はお客様にお部屋のご案内をしている最中だった。当館で最も海から近い貴賓室・利久2階のお部屋で立っていられない程の激しい揺れを感じる。お客様はリピー

          能登半島地震における旅館の記録㉖

          能登半島地震における旅館の記録㉕

          2月5日 気象庁は、最大震度7の能登半島地震から5週間経過したことを受け、今後1~2週間は最大震度5弱程度以上の地震に注意するよう呼び掛けた。 2月11日 12:36 緊急地震速報が鳴る  能登半島沖 震度4 私は子供二人を乗せ、車で金沢に向かっていた。慌てて車を停める。怖い、怖い。息子が息が止まる…。という。娘は慌てて夫に電話をする。 自宅では、夫は大女将の部屋に飛び込み、女将は避難経路の確保に玄関の扉を開けに走る。思ったよりは揺れなかった。でも体や心が恐怖で震える。

          能登半島地震における旅館の記録㉕

          能登半島地震における旅館の記録㉔

          社長が本格的に動き出した。 震災後は来客の対応をしたり、多田屋の施設の内部状況の情報を集めたり、統括部長と今後の多田屋について話をしたりしていた。その社長が多田屋としての動きだけではなく、ついに和倉温泉復興の為に大きく動き出した。 実は社長、東京2020の石川県の聖火ランナーに選ばれた。コロナの影響で実際には沿道を走れなかったけど、聖火ランナーとしてセレモニーに出た。 どうして選ばれたのか…。旅館の社長だからと言われることもあるけれど、これは全くの忖度無し。社長は今後の能登

          能登半島地震における旅館の記録㉔

          能登半島地震における旅館の記録㉓

          定点カメラを見ていた予約課長が、【若、危なかったですね。】そう私、地震直後に多田屋の駐車場に走った時に、私の横で灯篭が倒れて来たのだ。まったく記憶はないが、映像を確認すると、ひょい!と横にジャンプしてよけている。一歩間違えば大怪我どころじゃなかったかもしれない。 1月21日 施設管理スタッフより 利久ボイラー室で作業をしています。照明器具が雨漏りで濡れて漏電していたので、器具から配線を外しました。熱交換器や濾過器、貯湯槽の水抜きをしましたが、2号貯湯槽が破損したのか空っぽで

          能登半島地震における旅館の記録㉓

          能登半島地震における旅館の記録㉒

          多田屋にとって温泉街に向かう道とは逆側にも大切な道路がある。 お客様の送迎は温泉街を通る事が多いが、電車の時間に間に合わないお客様や、お客様の忘れ物を届けたりと急ぐ場合にも使う大切な道路である。 多田屋をよく知る観光バスの運転手さんは、この道を使って多田屋まで来てくれる。その大切な道路に実は、ゴミを捨てていく人がいるのだ…。 本当に悔しいし、辛い。 そのゴミ拾いを多田屋スタッフで毎回している。 コロナで温泉街が静かになった時も異常にゴミが増えたが、今回も増えた…。2月に多田屋

          能登半島地震における旅館の記録㉒

          能登半島地震における旅館の記録㉑

          2月の前半まで、息子は午前中は自宅でオンラインでの授業だった。オンライン授業はコロナの時から始めたものなので、小学生もタブレットを上手に使いこなす。私はオンラインが始まる前には旅館に行くので、オンライン授業がどのようにやっているのか、あまり知らなかった。 2月5日 オンライン授業が始まっても家にいたので先生の声が聞こえてきた。【今日は、仮設トイレの使い方について授業します!】授業が午前中だったのが、いよいよ終日になる為に学校に仮設トイレが設置されたのだ。我が息子は小学校5年

          能登半島地震における旅館の記録㉑

          能登半島地震における旅館の記録⑳

          七尾市内は全体的に斜めになっているように感じる。 車を運転していても、信号機や電柱や木が斜めになったままで、私も体が自然と右に傾きながら運転しているような感覚になる。子供との車の中の会話も【あれ?前からあれは斜めだった?あの木はあんなに道路に出てた?】 1月15日 物流がすこしずつ動き始める。当館にはお客様のお荷物が残っていたのでお送りする手配と挨拶文の作成をフロントスタッフが行う。 お客様から励ましのメールを頂いたり、それを確認する事ができるようになる。この頃から私は何を

          能登半島地震における旅館の記録⑳

          能登半島地震における旅館の記録⑲

          多田屋は2016年に玄関を新設した。会長にはずっと玄関を改装したいという思いがあり、北陸新幹線開通(東京⇔金沢)の翌年に新設することができた。 昔の玄関を知っているお客様は、玄関の方向や趣がガラッと変わったので、【多田屋さん、どこかいっちゃったのかと思ったよ~】と言われることも多々あった。その玄関は正面の扉が歪みで完全に閉まらないという状況ではあるが、今の所目立った損傷はない。 玄関からフロントに向かう廊下が多田屋の自慢でもある。大浴場の屋根の色と七尾湾の美しさをご覧になり

          能登半島地震における旅館の記録⑲

          能登半島地震における旅館の記録⑱

          今年は暖冬と言われているが、もちろん雪が降る日もある。旅館がcloseしてから2ヶ月になろうとしている。寂しさと寒さで館内は冷え切っている。電気代も押さえる為に、スタッフは厚着をしてそのまま仕事をしている。旅館にかかる固定費をどれだけ抑えられるかも、経営者としては考えていかなければならない。みんな協力ありがとう! さて、前回の記事で調理場の片づけをしたとUPしたが、2日間であっという間に終わってしまった。みんな仕事が早すぎるのだ…。 このスタッフのパワーを今後は旅館の復興

          能登半島地震における旅館の記録⑱

          能登半島地震における旅館の記録⑰

          地震から10日目息子が泣いた。 久々に家族7人で囲む夕食。夫がふと息子にお箸の持ち方を注意した。そこから何か緊張の糸が切れたのか、ポロっと涙を流した。 大丈夫だよ。と声をかけると次はボロボロ泣き出した。皆が大丈夫だよ、と言うとボロボロボロボロと声を上げて泣き出した。しかも鼻血が出て来た。 そして留目は…乳歯が抜けた。 娘が、息子が【津波から避難する為に山に一緒に上った時に、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と手を合わせて助けて下さい、助けて下さいって言ってたんだよ】と教えてくれた。

          能登半島地震における旅館の記録⑰

          能登半島地震における旅館の記録⑯

          ある日の朝のミーティング。社長が復興における様々な動きが少し遅い気がする。【若女将に任せればチャッ!チャッ!とやってくれるのにね】と言った。これ、社長なりの皮肉。また、言ってるわ…と思ったら、まじめな予約課長(名運転手)が、うんうんと頷きながら【有事の時は強烈なリーダーシップが必要です】と言ったのだ。そこで一瞬間があったが、社長が【強烈なリーダシップ!若女将は強烈だよね!】と笑う。ムカッ。予約課長、私は最大の誉め言葉だと受け止めているよ。ありがと。 社長はその日から、事ある

          能登半島地震における旅館の記録⑯