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能登半島地震における旅館の記録㉙

3月13日 多田屋の仲間 送迎バス達、新天地へ!
多田屋は今までたくさんのお客様を送迎してきたバス達とお別れする事を決めた。営業再開が見込めない中、バスを維持していくのも大変なのだ。
私は本当に悲しかった。色んな思い出があり過ぎる。多田屋バスが出発する前にはバスに乗り込みご挨拶する女将さんを見て、見様見真似でやってきた若女将としての務め。多田屋バスに乗ってスタッフ皆で行った研修は本当に楽しかった。

多田屋バスに乗って出かけたの楽しかったよね!

そして最後に本当に大活躍してくれたバス達。今回の地震で大切なお客様を乗せてくれた。このバス達がいなかったら避難所にも行けなかった。1月2日に金沢にお客様をお送りすることも出来なかった。1月2日に金沢行の運転手をしてくれた予約課長がバス達に言葉を残してくれている。

~スタッフを代表して予約課長から多田屋バス達へ~
金沢や富山などよく行きました。県庁忘年会の送迎や、大雪で列車不通のため金沢駅まで送迎、和倉温泉新人研修で水族館へ、高岡伏木のリピータ様、中国からのお客様グループを能登空港まで送り、わくわく夏祭りの送迎、毎日の和倉温泉駅、ホタルツアー、思い出は数知れず、最後は元旦のお客様を1月2日に金沢駅までの送りでした。またスタッフを載せて社員旅行も、ハイディワイナリーも行きましたね。歴代運転手、○○さん、○○さん、○○さんも腕が良く、バス自体の寿命も長持ちしました。次の行先は海外かも、外国では日本語が書いてあるバスは人気なので、みなさん海外で見かけるかもしれません。長い間ありがとうございました。

3月14日 息子が3学期の図工の作品を持って帰ってくる。作品名:人生 
こんなに感受性の強い息子だったかな…。

人生はどうなるかわかないことを表しました

3月16日 息子のサッカーの試合で粟津に行く。実は和倉にはとても素晴らしいサッカーコートやテニスコートがあり、国際試合や全国各地から合宿や試合が行われスポーツの街として賑わっていた。しかし、今回の震災ですべての施設が被害を受け、また選手を受け入れる施設が被災している為、スポーツを通しての活動も止まってしまっている。息子のサッカーチームは今までになく遠い場所での試合や練習をしている為、親の私達も送り迎えが非常に大変である。ただ、子供達がサッカーができる環境を皆さんが一生懸命考えてくれているので有難い。息子がサッカーをしている姿を見ていると、スポーツはやっぱりすごいな、と思う。

金沢↔敦賀 新幹線延伸のお祝いで
ブルーインパルスが飛行
息子の試合より、ブルーインパルスに夢中

3月18日 ついに私の4月からのお手伝い先が決まる。なんと保育園で看護師としてお手伝いさせて頂くことになった。私の中では全く保育園という選択肢はなかった。お話を頂いた時に事情をお聞きすると、3月末で看護師さんが退職されるとの事。理由は今回の震災がきっかけで引っ越しされるのだ。看護師さん退職の後は、今いる先生でなんとかやり繰りしようと仕事を分担する方向で考えていたけれど、園児が熱を出した時や何かあった時にとてもじゃないけど不安だとの事。そっか…。保育園か…。子供達と一緒に過ごすのか…。実は私、ずっと小児科の看護師だったのだ。これもご縁なのかな。我が娘や息子もお世話になった先生方もいる。ちょっと自分が考えていたお手伝いと違ったが、子供達は宝だ。能登の復興に子供達の存在が光になるはず。社長に、保育園を乗っ取らないように、いずれ園長就任って事にならないように、と言われた。はい…大人しく黙々とお手伝いします。

ほけんだよりの作成も私のお仕事になりそうです…

3月22日 天皇皇后陛下・輪島市と珠洲市を訪問。
被災者をお見舞い。私も輪島や珠洲の状況は3ヶ月経った今も、映像を通してでしか確認出来ていない。社長や私も一度足を運んで会いたい人もいるのだが、色んな思いが錯綜し、訪問するにも迷惑になるのではないかなど色々考えてしまう…。

続く…


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