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能登半島地震における旅館の記録㉒

多田屋にとって温泉街に向かう道とは逆側にも大切な道路がある。
お客様の送迎は温泉街を通る事が多いが、電車の時間に間に合わないお客様や、お客様の忘れ物を届けたりと急ぐ場合にも使う大切な道路である。
多田屋をよく知る観光バスの運転手さんは、この道を使って多田屋まで来てくれる。その大切な道路に実は、ゴミを捨てていく人がいるのだ…。
本当に悔しいし、辛い。
そのゴミ拾いを多田屋スタッフで毎回している。
コロナで温泉街が静かになった時も異常にゴミが増えたが、今回も増えた…。2月に多田屋スタッフが集まりゴミ拾いをした。

ゴミはゴミ箱!
こんな当たり前の事が出来ない人がいる

会社としてやろう!と毎回言うわけではなく、スタッフが自ら天気予報を見て号令をかけてくれる。
今回も本当に色んなゴミを拾う事となった。
長靴や、お皿がまとまった物。コンビニの袋ごとのゴミ。何を食べたか一目で分かるもの。恥ずかしくはないのか!毎回拾いながら、スタッフも何か言わずにはいられずゴミに思いの丈をぶつける。今回もみんなで思いをぶつけながら歩いたが、終わってしまうと不思議な事に怒り以上に気分がスッキリするのだ!

何故、こんな捨て方をするのか…
出来上がった作品だけお家ですか?
BANDAIさんが喜びませんよ

こういう事をする人は絶対に幸せになれない。
ゴミ拾いをするスタッフにきっと徳がまわってくると思いながらやっている。和倉温泉はたくさんのお客様が来るところ。そのおもてなしをする道路にゴミを捨てる神経がわからない。腹を立てながら歩いていたら【若!確か数年前、ゴミ捨てた人に説教しましたよね!】1人のスタッフが言った。

今回もかなりありました
これをさらに捨てる作業をあなた達は
多田屋の大事なスタッフにやらせるのですか?

あれは数年前、拾ったゴミの中に捨てたであろう人が特定できる物を見つけた。社長がその人が務めているかもしれない会社社長さんと知り合いだった為、ダメもとで連絡を取ってくれた。その人はすでに退社されていて、その会社にはいないようだったが事情を話すと、その人に連絡を取り、多田屋に行くように伝えてくれたとの事。その人が本当に来るかはわからなかったが、対応する事になったのは私…。え?社長が対応しないの?

その人は、多田屋に非があるかのように入って来た。私に向かって文句を言いたげに、顎を上げて体を横に揺らしながら向かって来た。でも、こちらは絶対に悪くない。私は優しく冷静に、【ゴミを捨てていませんか?】捨てていない、何の証拠があるのか、因縁つけるな、と結構な事を言われた。
私は相手が言いたい事を終えたタイミングで、では私の攻撃始めます!と言わんばかりに、じゃじゃ~ん!と背中の後ろからその人が特定できる物を出してお見せした。【これに見覚えはありませんか?あなたの物ですよね?証拠になりませんか?】  ………。

子供達が考えたとても素敵な標語
これが目にも心にも入らないのですね

さっきまでの勢いはなんだったのか…。急に静かにシュンとしてしまった。【和倉温泉にはたくさんのお客様が来て下さいます。あなたもその恩恵あずかっている一人じゃないのですか?この自然と温泉と食事があって、お客様がいらして下さるからこそ、私たちがここで生活できるのではないですか?こんな事したらダメだと思いますよ。】 すみません…。
【もうやめましょうね。絶対にいいことないですよ。悪い事したらバレるようになっているんですから…。】夫にもこれぐらい優しく言えたらいいのに…と思いながら落ち着いて話をしたのを覚えている。

さすがに、玄関まではお見送りしなかったが、背中を丸めて帰る後姿は見届けた。事務所に戻ると、定点カメラで心配そうに見ていたスタッフ達が拍手をして出迎えてくれた。いつも何かあると大体私が対応するのだが、スタッフ達は何かあったらすぐに駆けつけられるように、事務所内の定点カメラを見ながら待機してくれている。社長は、僕の人選は間違ってなかったよね!と言わんばかりに親指を立ててGood👍と嬉しそうに私にやって見せた。

天気がとても良い日には最近この子が
多田屋の玄関のベンチに座っています
招き猫になってくれるのかな

1月18日 各方面のマスコミから取材依頼の問い合わせがあり。この頃から取材依頼が多くなる。多田屋としては一旦取材をお断りする方向でと社長が決める。この時点では旅館としての方針がまったく決まっていないという事、他社に比べて被害が少ないであろうという事、色んな思いがあるが、多田屋としては取材を受けて発信するのではなく、今は発信する場を選び自分達自らの言葉で情報を発信したいという考え。今後多田屋としてのフェーズが見えたら取材を受けるかもしれないが、今の時点ではお断りすると決めた。(現時点ではお受けしている)

1月19日 社長と統括部長と私で、今の現状やこれからの事を話すのではなく、記憶が薄れる前に1月1日のスタッフ皆の動きや、多田屋の記録を残してもいいのではないかという話になる。で?誰やる?若女将でしょ!と二人からnoteというツールを紹介される。使い方がまったくわからない。詳しいスタッフに教えてもらいながらアドバイスを頂き、19:28に最初の記事をなんとかUPする。

震災前、旅館では毎日色んな事がありました。それが当たり前の事だと思っていました。でもそれは当たり前の事ではなかったのです。旅館がcloseした今は、何もないようでもやはり色んな事があります。どんな小さな出来事も大切にしていきたい。多田屋はお休み中ですが、私は貴重な時間を頂いたと感謝をしながら毎回このnoteを書いています。

続く…


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