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能登半島地震における旅館の記録㉕

2月5日 気象庁は、最大震度7の能登半島地震から5週間経過したことを受け、今後1~2週間は最大震度5弱程度以上の地震に注意するよう呼び掛けた。

2月11日 12:36 緊急地震速報が鳴る 
能登半島沖 震度4
私は子供二人を乗せ、車で金沢に向かっていた。慌てて車を停める。怖い、怖い。息子が息が止まる…。という。娘は慌てて夫に電話をする。
自宅では、夫は大女将の部屋に飛び込み、女将は避難経路の確保に玄関の扉を開けに走る。思ったよりは揺れなかった。でも体や心が恐怖で震える。

2月13日 小学校から息子が学習教材をもらってくる。Benesseさんからのお心遣い。被災して初めて知る各方面からの優しさ。未だ学校に登校できていない友達、転校して行った友達。同じ習い事を辞めてしまった友達。子供達はこの震災をどのように受け止めているのだろう。SOSがちゃんと出せたらいいのだが…。

息子はとても喜んでいました!
大切に使いますね!

和倉小学校の子供達は、夫や私の事をみんなよく知っている。子供達の親も和倉小学校卒業生だったりもする地域密着型の小学校。子供達はとても賢いので、車の車種とナンバーを覚えて誰の親かを把握している。だから私が学校への送迎をすると、子供達が元気に手を振ってくれる。私もそれぞれの子供達に手を振る。何年生になるまで手を振ってくれるかな…。

1月6日に私は和倉小学校へ行った。小学校の様子がどうなっているのか、PTAの役員の一人として何かやるべき事があるのか、ないのかと小学校へ行った。すると小学校に避難している子供達が私を見つけると【ねぇ!多田屋さんやれそう?多田屋さんつぶれない?】と聞くではないか。『…。どうだろう…。』【多田屋さん頑張って!だってそうじゃないと獅子舞をやれる場所が無くなってしまうから…。】

また獅子舞できるといいね

そうか、そうだった…。和倉の子供達は実は春祭りと秋祭りに各旅館で獅子舞を披露してくれていたのだ。子供達にとっても、旅館の存在はやっぱり意味があったのだ。私は子供達に『多田屋がんばるよ!獅子舞をまた、たくさんの人に見てもらおうね!多田屋がんばる!』と約束した。

2月14日 10:32 能登地方 震度4
ドンッ!
と下から突き上げるような衝撃。旅館の外に飛び出す。小学校よりメールがある。【本日(14日)、10時32分ごろ地震による強い揺れを感じましたが、本校児童は、無事に過ごしています。授業をそのまま継続しています。】息子も机の下に隠れるのが早くなったと言っていた。

余震が続く中、旅館に出勤してないスタッフが時々顔を見せてくれる。みんな手ぶらで来ればいいのに、必ず差し入れを持って来てくれる。スタッフが元気そうで本当に良かった。

スタッフが持って来てくれた差し入れ
和菓子屋さんの焼印が頑張ろう能登になっていた。

2月15日 息子の誕生日。息子が11歳になって出来るようになった事を発表してくれた。コンビニおにぎりの包装が上手に開けられるようになった。海苔も1ミリも破れないで綺麗に巻ける!と得意気に発表する。これは震災後の学校給食の賜物だ。娘も上手になった!と言っていた。出来なくなった事…お風呂に1人で入れなくなった…。地震が怖くて1人では入れない…。トイレはギリギリ大丈夫。だけど1人でのお風呂と寝るのは怖くてできないんだ…。それを知った家族は、『いいじゃん!いいじゃん!じぃもばぁも一緒に入りたいから一緒に入ろ!』息子は照れ臭そうにしていたが、嬉しそうだった。我が息子、SOS出せたじゃないか。良かった…。

同日夜中、北陸地方春一番が吹く。雷、大雨、強風。建物がすごい揺れる。地震で弱くなっている建物が嵐で崩壊するのではないかという恐怖と戦う。よく眠れなかった…。

館内から見る能登の空
確実に広がってるよね…

先月、ある請求書が届いた。12月20日に客室の露天風呂を新しくした、その請求書が届いた。請求書を受け取ったスタッフが社長に申し訳なさそうにしていたけど、【気持ちよくお支払いしますよ!それはそれ、これはこれ。いつも大変お世話になっている業者さんだし、これからもっとお世話してもらわなくちゃいけないから!】と笑いながら言った。その日いたスタッフみんなが笑う。

12月20日に綺麗にした露天風呂とお庭
1月1日に壊れてしまった露天風呂

壊れてしまった物はまた直せばいい。でも心が壊れてしまったらそれはそう簡単には治せない。震災から3ヶ月になろうとしている。先は長い。心は壊れないようにしなくては。

続く…


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