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能登半島地震における旅館の記録㉓

定点カメラを見ていた予約課長が、【若、危なかったですね。】そう私、地震直後に多田屋の駐車場に走った時に、私の横で灯篭が倒れて来たのだ。まったく記憶はないが、映像を確認すると、ひょい!と横にジャンプしてよけている。一歩間違えば大怪我どころじゃなかったかもしれない。

私の横に倒れてきた灯篭 今もこのまま

1月21日 施設管理スタッフより
利久ボイラー室で作業をしています。照明器具が雨漏りで濡れて漏電していたので、器具から配線を外しました。熱交換器や濾過器、貯湯槽の水抜きをしましたが、2号貯湯槽が破損したのか空っぽでした。お風呂に塩素を入れていたクロリネーターのコリテックス錠剤を出して分解してあります。配管の割れも確認されてるのと、大浴場は空なのに地下ピットから水が流れ込んでいるので、コンクリートの割れからの漏水かと思われます。エステ側の壁の亀裂からも雨漏りがありました。

私にはまったくわからない世界

旅館に巡らされている配管は素人の私にはまったくわからない。このnoteに色んな写真をUPしているが、ほとんどが施設管理スタッフが撮影してくれたものである。高架水槽に水が上がったとしても、どこで漏水があるかわからない。七尾市の断水が終わったとしても、旅館の水が出るということではない事に気付く。

見た事もない旅館の内部

この頃から、お客様から無事に荷物が届いたという連絡が入るようになる。その連絡と共に色んなものを送ってくださった。みなさんがそれぞれに考えて送ってくださるのがわかる。お客様の顔が見えるだけに、嬉しくなる。

社長が嬉しそうに撮った写真

ここで1日に多田屋から避難所である和倉小学校まで送迎した2台のバスのうち1台のバスを担当してくれたフロントスタッフの記事をご紹介したい。

~多田屋フロント・バスの運転をしてくれたスタッフの記事~
統括部長より和倉小学校が避難場所になっていると聞き、半ば強引にバスへの乗り込み、お客様情報照合を同時進行する。私の役目はドライバー兼避難所での誘導担当。温泉街は陥没箇所やガレキ落下がかなりあり、各ホテルの非常音が鳴り響き、さながら戦時中の様な感じであった。街中の道路は往復するたび道路状況が変化しており、立ち往生しかけたり避難場所まで行けるかと言う不安の中、なんとか無事到着。
津波警報があった為、和倉小学校のある場所は大渋滞で、狭い道なのでターンもできず、悲惨な状況であった。一度間違えてその大渋滞の中に入ってしまったが、自分は避難に来たわけではない旨とお客様の移送中である旨をまわりの方達に話すと、みんなで協力して抜け出すのを手伝ってくれた。合計5往復程でお客様は、ほぼ全員避難完了。多田屋スタッフが現地で混乱しながらもお客様と合流できたと連絡があり一旦ほっとした。
あの時は携帯のサイレンがひっきりなしになっていた為、焦燥感から自分自身正しい判断ができていたのかが不安であった。正しい判断なのかを確認する術もなく、とにかく誰も命を落とさないようにと必死であった。避難後半からは疲れが出て来たお客様やスタッフもいた為、出来る限り声をかけて周り、それは自分にも言い聞かせるように大丈夫だよと言っていたのを覚えている。

客室スタッフが避難の為に上った多田屋の坂の映像を1月2日に撮影してくれていた。和倉の街中も同じような状況だったに違いない。バスを運転したスタッフは地震直後、真っ暗で見えない魔の道路と戦いながら大役を果たしてくれた。本当に本当にありがとう。

お客様から送られてきたもの

~お客様のお手紙の一部より~
和倉小学校に案内して下さった男性スタッフの方も、とても落ち着いて対応して下さいました。マイクロバスを運転してくださっていたスタッフの方も、道がガタガタなのに素晴らしいハンドルさばきでパンクせず送りとどけて下さり、「荷物をとりにもどりたい」とおっしゃった方がいたので、またガタガタの道路を往復したのですが、やはりパンクせず和倉小学校に無事送って頂き、「お客様第一」のおもてなしの気持ちがスタッフの皆さんからとても伝わりました。

泣けるな…。
泣くのは悪い事じゃない。
泣けるからこそ、また明日から頑張れるのだ!
お客様、そして多田屋スタッフの皆んな!本当に本当に無事で良かった…。

続く…

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