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能登半島地震における旅館の記録⑰

地震から10日目息子が泣いた。
久々に家族7人で囲む夕食。夫がふと息子にお箸の持ち方を注意した。そこから何か緊張の糸が切れたのか、ポロっと涙を流した。
大丈夫だよ。と声をかけると次はボロボロ泣き出した。皆が大丈夫だよ、と言うとボロボロボロボロと声を上げて泣き出した。しかも鼻血が出て来た。
そして留目は…乳歯が抜けた。

3歳の時の息子
まさしく3歳児のように泣いた

娘が、息子が【津波から避難する為に山に一緒に上った時に、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と手を合わせて助けて下さい、助けて下さいって言ってたんだよ】と教えてくれた。え、そうなの?知らなかった…。
知らなかったよ…。そんな話全然知らなかった…。
地震から、10日間、子供達にあの時の事を特別聞かなかったし、ましてや特別な言葉もかけていなかった。地震直後、【パパ、ママ頑張って!】という言葉を二人からもらって私達は頑張れたけど、夫と私は旅館の事ばかりで子供達に対して特別な事はしていなかった。なんなら、余震が起こってもパパとママは旅館!あなた達は自分で逃げなさい。自分の事は自分で!おじいちゃん、おばあちゃんを助けるのはあなた達の役目!という、無言の圧力をかけていた気がする。私たちは父と母である事より、社長と若女将。旅館がうまくいけば、子供達もうれしい。都合のいいように、疑いもせずにそう思っていた。【怖いよね、地震の中頑張ってるよね】と抱きしめてあげるべきだったのか…あげるべきであった。

津波との恐怖と闘いながら、
息子やお客様はこの景色をみていたのだ

娘にも【大丈夫?ごめんね。パパママ何もしてあげらなかったね…】と言うと、『え?大丈夫やよ!友達とLINEとか電話とかしとるし、全然平気!じぃ(会長)ばぁ(女将)おばぁちゃん(大女将)もおるし気にしなくて大丈夫!』【……。】お、恐るべし中2女子。【じゃ、じゃぁ、お言葉に甘えて旅館の事がんばるわ…。】震災後、女性は強い!と言われるが、娘は私の遺伝なのか生物学的観点からなのか、強い。

1月11日 息子が通うサッカーチームが
子供達を集めて体を動かすイベントをしてくれた!
息子も久々に会う仲間に笑顔だった

号泣した息子と夫はお風呂に入りに行く。こういう時は父親が一番。母親の私は色々聞き出してしまうから。お風呂から帰って来ると息子は笑顔だった。夫に【何話したの?大丈夫だった?】と聞くと、『ワンピースの話だよ。大丈夫そう!』そ、そんな感じ?それでいいのか…それでいいと思うよ、それでいいんだ。

そりゃ、私達親もワンピースには勝てないわ!

1月10日
調理場の整理の為に4名出勤して頂く。
1つでも多くの冷蔵庫や冷凍庫の電源を消す為に、急いで食材や調味料の整理をする。片づけられるだけで感謝しなくてはいけない。
調理場も半分傾いている。多田屋が復興した時に同じ場所に調理場を再建するのか、多田屋のスタッフ皆んなが、お客様や能登の人の事を思いながら考えたお食事がお出しできる日がいつ来るのか…。未だ全くもってわからない。
鼻がもげそうな臭いを放つ食材もあった。ふと、地震が冬場で良かったのか…。と考える。【みんな!腰を痛めないようにしてね!けがをしないように!】

業務用の調味料の重さにびっくり!

とても一日では終わらない。
時間はあるし…あまり急がなくてもいいので、とりあえず全て見えるように出してから考えよう!水が出ないので、床がベタベタ。皆が歩くたびに奇妙な音がする。あと2週間ぐらい我慢すれば洗い物ができるだろうと軽く考えていた。

今も山のような洗い物が残っている

同じ10日に、のとじま水族館のジンベイザメ2匹が死亡したというニュースが入った。のとじま水族館は、和倉温泉に宿泊された方ならば、一度は訪れた事があるのではないだろうか。地震によって、ろ過・加温装置が停止し、水温は通常の25度から約17度にまで低下。水の濁りがひどくなり、7日にはジンベイザメの様子が目視で確認できなくなった、とのこと。私の中では地震でジンベイザメ死亡が結びつくはずもなかった…。飼育員の方々もさぞお辛かったに違いない。

みんなの人気者でした…

のとじま水族館にも、復興に向けてのドラマがきっとあるはず。七尾市の子供達は、何度も行く水族館。小さい頃から遠足と言えばのとじま水族館。
のとじま水族館館長さんより

我が娘の生き物デビューはのとじま水族館でした

私たち家族も、のとじま水族館が好きだ。
また、必ず行きます!

続く…

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