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復興はいったい何をしている?

 旅行が好きだ。2024年の3月、東北に一人で旅にでた。一人旅は初めてのことで、初日や2日目は、帰りたいばかりと思っていた。盛岡市のゲストハウスに泊まったとき、オーナーや宿泊客と話したことで、心が和み、そこで得た情報を頼りに、ネットでは見つけられなかった朝市にも行くことが出来た。一人旅のコツを掴んだ感じがした。南下しつつ、震災遺構をめぐった。東日本大震災が起きてから13年、やっと海と大地をこの目でみることができた。復興は終わったのか、否。進んでいるのか、否。このまま、自然発生的に村を作るかのような、消極的な動きに見えた。また、訪れようと思う。もっと知りたい。幼かった僕が、受け流していた3.11のこと。もう幼いも、遠いも通用しない。復興して、めでたしめでたし、ではなく、今僕にできることは、その地に足を運んで、この目で見て、考えることだ。大学で忙しいが、来る夏期休業にそなえ、本を読み、思いを綴ろう。
 原発が爆発して、いっとき多くの人やもの、動物が大量の放射線を浴びた。それが、今に至るまで多くの困難を招いたのは言うまでもない。福島産のものを食べる人・食べない人、地元へ帰る人・帰らない人。震災前に戻すことが復興とは思わない。これからを生きる人が選んだ選択肢を、みんなが自然なことだと思えて、その時、初めて復興したといえるのではないか。いまだ被害者の苦しみを消費するような報道がなされる。鵜呑みにしてはいけない。町を活性化することでいえば、復興は町興しと地続きである。
 逆に言うと、普段からの街興しが一種の防災になる。限界集落のような場所が被災して、復興の手が届かないなら、それは災害ではなく、自然消滅といっていいのではないか。
 そして、町興しと観光は密接だ。旅人にお金を落としていってもらえれば、町は潤う。
 余韻を残すこと、想像する余地を与えること。観光が目指すべきなのは1日で周りきれるルートではなく、何年経っても思い出させる土地性とその歴史の厚みである。訪れても目新しさを失わないのは、厚みがあるか、変化しているかだろう。その点、震災遺構も観光資源になる。そう考えると、復興と町興しと観光は三つ巴になってクルクル関わり合っている気がした。姿を変えて出てくるが、実はみんなやってることはいっしょなのかもしれない。僕は何が出来るか。町興しについて、考えてみたい。
 無責任なことを言ったかもしれない。ただ、何にでも言及することは誰にも邪魔されないと思う。これからも問題に目を向けていきたい。

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