見出し画像

“世界遺産を超える横須賀製鉄所” 業務用(プロフェッショナル向け)機器の技術を核に民生用機器にも別格の性能持たせている会社 その5.01 私の推したい会社 当たり前過ぎて意識しなくなっていること 


 私の推したい会社は、業務用(プロフェッショナル向け)機器の技術を核に民生用機器にも別格の性能持たせている会社です。

 その理由を一言で言えば、業務で使われる程最先端で信頼性が高い技術を民生用に昇華して日々の暮らしの中に活かせるからです。

 具体的には例えばソニーさん。

 その1.0では民生用の製品は皆さんの染みの少ない放送業務用制作機材に絞ってご紹介し、今後の期待感まで吐露させて頂きました。その辺りはこちらをお楽しみ下さい。

 如何でしょうか。街で見かけるソニーさんの製品とは全くの異なるプロフェッショナル向けの機能美を感じる製品群って素敵ですよね。
 このとんでもない高価な業務用製品向けの技術が民生用にもフィードバックされていると思うと、何かお得感を感じませんか?
 というオチでした。

 その1.1はソニー・インタラクティブエンタテインメントグループさん。研究所が手掛けた際物(きわもの)を民生用、しかもゲーム機という最も大衆ウケするプラットフォームにというお話でした。

 その1.2は、ソニーさんとCBSソニー(ソニー・ミュージックスタジオ)さんの話です。ソニーさんの民生用製品を元に、ソニーさんとCBSソニーさん(ソニー・ミュージックスタジオ)さんが業務用製品を共同開発され、余りの好評のためにその業務用製品は、今ではまるで民生用製品の様に販売されているという珍しいお話でした。

 その1.3は、業務用の可搬型テープレコーダーが、私的な演奏会や鉄道·自然等の生録音のニースに応える形で民生用製品に仕立てられ大ヒットしたというお話でした。その名はカセットデンスケ。

 その2は、鉄道や機械等に用いられる業務用の電気モーターが、家電として掃除機、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの民生品の心臓部として転用されるというお話でした。

 その3は、流体力学と誘導機技術(誘導電動機(モーター)・誘導発電機(発電機)ともに成り立つ技術)から始まり電力インフラやエレベーター等の業務用機器をしつつ、扇風機から始まりエアコン等の民生用機器へその技術を展開されているというお話でした。

 その4は、造船業から始まり鉄道車両、航空宇宙、エネルギー・環境、精密機械・ロボット分野等でプロフェッショナル向けのソリューションを提供されていて、その技術を二輪車、ATV(四輪バギー車)、多用途四輪車、パーソナルウォータークラフト「JET SKI®」といった民生品に生かされいる会社のお話でした。

 その5.00から連作で時計メーカーさんを推したく、その前フリとして時計の歴史をご紹介しました。

 今回は、時計と社会のかかわりを今日の時計の価値という視点から巻き戻して少し深堀りさせて頂きたいと思います。5.00では広くグローバルな視点で世界史的なアプローチでの整理をさせて頂きました。その上で時間軸は明治少し前辺り以降、地理的には日本に絞り今日的な時計の価値についてその背景を共有させて頂きます。

 その原点は横須賀製鉄所です。その恩恵に与(あずか)った富岡製糸場は民生用の製品を扱っていたので素直に富岡製糸場と絹産業遺産群として世界遺産に登録されるに至っています。

富岡製糸場と絹産業遺産群 | しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ

 一方横須賀製鉄所はというと、相対的に余り知られていないのは、以下の経緯からなのだと思います。

 それは早い時期に徳川幕府から業務用の極みたる軍用、つまり日本海軍の所管となり、終戦直後にほ米軍が接収しました。1947年(昭和22年) には米海軍艦船修理廠 (SRF) 設立され当時の設備が米軍管理下となりました。そしてそのまま今に至っているからなのです。

 その辺りの経緯は以下が詳しいので宜しければご覧になって頂ければと思います。世界遺産の富岡製糸場は、横須賀製鉄所の民生分野での成果の一つという位置づけなのです。

横須賀海軍工廠

 その横須賀製鉄所。

 西洋式の時刻·時間管理を本邦に導入し定着させた先駆けなのです。(以下横須賀市の資料を抜粋、一部加筆修正)

 フランス人により労働管理をされていた横須賀製鉄所では、仕事の始まりも終わりも西洋式の時計で行われ、労働時間は午前6時30分から午後5時30分までと決められていました。江戸時代の日本でも和時計がありましたが、季節で時間の長さが変わってしまい、地域も限定されていたため、広域での共通時を定めることはありませんでした。

 横須賀製鉄所では製綱所(船に使うロープを製造する工場)の上に時計台を建設して、この時計を所内での標準時として、15分以上遅れで出勤すると欠勤扱いにされてしまいました。

横須賀製鉄所内の
製鋼所と時計台


西洋式の時刻·時間管理の普及を図るためでした。これによって分単位での時間管理が定着し、今日的な時計の価値が一気に高まりました。

 また、これとともに、西洋式の曜日制度も採用され、日曜日を休日することにしました。更に労働者への給与は、当時では珍しい月給制度を採用するなど、横須賀製鉄所では江戸時代は大きく違った労働管理や時刻·時間管理が行われていました。
 
 その辺りの詳細は以下をご参考?なさって下さい。

横須賀製鉄所(造船所)|横須賀市

 横須賀製鉄所は終戦直後に米軍が接収されたまま、現役として稼働しているため、歴史的価値への認識を事実上抑制されている現状が有りますが、是非フラットな目線でその歴史的価値を再認識して頂く切っ掛けになればと思っています。

 ということで横須賀製鉄所は本邦の西洋式の時刻·時間管理の普及の一翼を担ったのです。その結果として時計の普及が進むのですが、諸般の事情で当たり前過ぎて意識しなくなっているのだと思いますが、この機会に横須賀製鉄所の歴史的価値に対して再度ご認識頂ければと思います。

御参考
 こちらも横須賀製鉄所の果たした役割を端的にまとめて有り良く描けています。


この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?