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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2023年12月の記事一覧

人間とは唯一の「狂った生物」である

人間とは唯一の「狂った生物」である

例えば日の光。
暑い季節は鬱陶しいくらいなのに、 寒い季節になると、 そのありがたみがわかる。
「あー、これは必要なものなのだ。」 と思い出せる。
十分足りている時は、 その「必要性」「重要性」に気づけないんだよな。
不足してはじめて気づけるところがある。

だから「足りない」ことも、悪いことばかりではない。
(…と、 何とか思おうとしています。笑)

日の光も、 透明な雨も、自分の真上にい

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「無意味なもの」に存在する「意味」

「無意味なもの」に存在する「意味」

たとえば。
何故、 ガラスでなくてはだめなのか。

別に、同じように無色透明な、たとえばアクリル素材とかプラスチック素材とかでもいいじゃない。
それなら壊れたりしないのに。

プラスチックにはなくて、ガラスにあるもの。
――質感の違い?

ガラスの質感って、一言で言うと 「壊れやすそう」。

そういう事か。

そこをつきつめると、「花は散るからこそ美しいし、生は限りがあるからこそ尊い。」なんて、

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悪魔とは契約しないで済みそうです。(笑)

悪魔とは契約しないで済みそうです。(笑)

「そんなにそれが欲しいなら、 お前が今持っているものの中で命以外の一番大切なものと引き換えでなら、くれてやってもいいぜ。」
と、提案されたら。
……まあまず断ろうと思うので、 私の人生、 そこそこ精神的には事足りているようではあります。(笑)

以下は、少々長い余談だけど。

先日、軽度だが認知症を患っている方とやりとりすることがあり。
「記憶内容」は勿論、「自分で自分を」「現在という時間を」

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「わかりにくい地図なら見ないほうがまだマシ」説にもどこか似ている

「わかりにくい地図なら見ないほうがまだマシ」説にもどこか似ている

四六時中誰かに憧れはする。(妄想病。笑)

が、真面目な話をすると。
よくよく考えてみれば意外と、 誰か別の人になりたいわけでもないのだ。

つまるところ、自分ではない誰かの記憶で誰かの感覚で誰かの人生を、少なくとも「ここからは」生きたくはない。

――私は別にそれほど自分が好きでもないし、愛せたら絶対良いだろうと解ってはいるがあまり自分を愛せない。

しかし、それでもそうなのだ。

当たり前の事

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「私」と「私の身体」の意見は必ずしも一致しない

「私」と「私の身体」の意見は必ずしも一致しない

スマートフォンを修理に出していた時、代替機をお借りしていたのだが。

機能はほぼ同じ。
でも、 いつも使っていた自分のスマホが、傍らにないだけで、 なーんか、落ち着かなかった。

――スマホですら、そうなのだ。

自分の身体の「代替機」はない。
自分の身体は、この世に二つと存在し得ない。

たとえば甘いもの。

精神的には、すごく求めている。
摂取すれば「幸せ~」と心が叫んでいる。

しかし、

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「生きた心地」がする・しない

「生きた心地」がする・しない

「生きた心地がしない」と言える時は、まだ生きている。

そのセリフはむしろ 「生きている証」のような気がする。

「生きている心地」なんて 「元から存在しない」「知らんわ」「考えてみるすべもない」 っていう時は、 もしかすると実際、半分死んでいるかも?とも思う。

自分の「生きた心地」――最近、どうだろう?

「生きた心地がしない」というのは、「生きた心地にさせてくれ!」という ある種の「訴え」「

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「もう会えない人」はいない

「もう会えない人」はいない

この歳にもなると、「何年もずっと連絡をとっていない人」 というのは数限りなくいるのであるが。

そのうちの皆が今でも 「連絡をとろうと思えばとれる」と、実際私は「思い込んで」過ごしている。

――ふと「今どうしているだろう」とは思うが。

このまま、「会おうと思えばいつでも会えるはず」と、「思い込んで」過ごすのだろう。

「もう会えない」と、知る必要がないからだ。

「また会えるだろう」と思っ

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どんな正当な理由で殴られたとしても殴り返したくなるのが人というものだから

どんな正当な理由で殴られたとしても殴り返したくなるのが人というものだから

※タイトルについて、誤解を生むと行けないので、まず先に。
私個人は「いかなる理由があろうとも、暴力に正しいものはない」という考え方です。
その「大前提」をもってして、これを書いています。

(では本文へ。)

自分の不満の原因が、100%他人にあり自分に非が全くなかった場合だとしても。
それを解消するには、やっぱ「自分には」または「自分で」何ができるのかを考えないと、どうにも「具体的」にならない。

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時間とは、実は「ずいぶんと有限」なものである

時間とは、実は「ずいぶんと有限」なものである

「もう一度行きたかった」とか 「一度でいいから行ってみたかった」とか そういう場所の数と。
「でももうこの先、自分は行くことができないような気がする」場所の数。
この二つに、ほとんど差がなくなってしまった ……みたいな感覚が、最近ある。

……これだから、電気を点けるのも忘れてしまう休日の日暮れ時はイヤだよ。(笑)

でも、もしかすると、こういう気持ちからの新たなスタート、っていうのが、 自分には

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そして他者の「弱味」もまた案外見えてないんだよな

そして他者の「弱味」もまた案外見えてないんだよな

こちらからはうらやましくしか見えない人にも、 その人にはその人なりの、 場合によっては他人には計り知れないような、困難を抱えていたりもするんだよなー。
だからホント、「誰かと比べる」のも 「人をうらやむ」のも、 意味ないから、(それを全くのゼロにするのは難しくとも、それでもなるべく)ほどほどにはしたいなー。

結構多くの人が、(現実のほう、「実生活」のほうでは、)自分が抱える「弱味」は、なるべく他

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「生きていく上でいろいろ面倒」だから「心が頑丈になった」のかも?

「生きていく上でいろいろ面倒」だから「心が頑丈になった」のかも?

子供の頃には、 生きていくのがこんなにも 「面倒」なものだとは思いもしなかった。
が、 反面、子供の頃には、 長らく生きているだけで勝手に、 自分がこんなにも「頑丈」になっていくともまた、 思いもしませんでした。(笑)

自分をこんなにも「頑丈」にして助けてくれたものは何?
――いろいろあるだろうが、その一つは確実に「言葉」「文字」かも。

もし頑丈になりたければ読んで読んで読みまくるってのも一

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分け合えるものもあれば、分け合えないものもある。

分け合えるものもあれば、分け合えないものもある。

ありきたりな台詞かもしれない、が、「分け合えば、 喜びは2倍になるし、 悲しみは半分になる」というのは、その通りなのだと思う。
だから皆、人に気を遣い過ぎず、 もっと語ればいい。 喚けばいい、騒げばいいのだ。
「私事で恐縮」なんて思わずに。
――だって、この世のすべては所詮、元を辿って辿れば、誰かの私事になるわけではありませんか。

と、いいつつ。

一人で抱く幸福感 (だいたい漠然としてい

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「皆で同じものを信じたい」気持ちはわからなくもないが

「皆で同じものを信じたい」気持ちはわからなくもないが

違うバラバラな意見、バンバン出し合えばいいのだ。

で、何を採り、何を信じるかは、「個々人の」自由。

「みんな同じものを信じなきゃいけない」とか、 土台ムリな話なんだから、 はじめからやめたほうがいい。

「みんなで同じものを信じているから、繋がっていられる」という、それ自体が、「幻想」(なので、いくらでも崩される)だと思うし、更に言えば、それは「人間というもの」を否定する考え方だと思う。

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「わからない」から始まるのでいい

「わからない」から始まるのでいい

「わかり合えない」と嘆いたり 「わかってもらえない」と落胆したりするのは、「わかってくれていいはず」という思い込みがあるからかも?

しかし、それで更に怒ったり揉めたり争ったりするくらいなら、「基本わからない」のほうがいいのかもしれない。

あるいは、(この逆パターンとして、)相手を「わかるわかる!」なんて簡単に思いこんで、実は全然わかっていなかったということもまたあるわけだしな。

――「わかる

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