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そして他者の「弱味」もまた案外見えてないんだよな
こちらからはうらやましくしか見えない人にも、 その人にはその人なりの、 場合によっては他人には計り知れないような、困難を抱えていたりもするんだよなー。
だからホント、「誰かと比べる」のも 「人をうらやむ」のも、 意味ないから、(それを全くのゼロにするのは難しくとも、それでもなるべく)ほどほどにはしたいなー。
結構多くの人が、(現実のほう、「実生活」のほうでは、)自分が抱える「弱味」は、なるべく他者に見せずに生きようとしているように思える。
でも中には(実生活の中でも)それを見せる人もいて、で、そういう人は遠慮なく弱味をオープンに見せがちなものだから、自分に見えているそっちを基準にしてしまい、 ついうっかり誰の弱味でもそんな感じで実際より「目につきやすいもの」だと勘違いしてしまっているところが自分にはあった気がする。
(余談だが、最近の私はそういうの、オープンなほうがいいと思っているほうだ。――が、我ながら、人見知り気質だと、「弱味をオープンに」って、やはりなかなかできないものだわ。笑)
(話を戻して、)
他人がひた隠しにしている「弱味」みたいなものって、でもそういうふうに隠れているから、 「それに気づけていない自分」に気づくことすらできない、 というふうになりがちなのではないかな?
そして、その立場と視点を逆にしてこの状態を表すと、割と多くの人が 「傍で見えているより本人はしんどい」 という状態になりやすかったりもするのではないかな?
――だからみんなで「弱味」をもう叫び合いたい。(ここのところよく書いていることですが。笑)
「しんどーい!」
「疲れた!!」
もうみんながみんな、そんな感じで気楽に、傍目にもわかりやすく、風通しよく、できたらいいよね。