「生きた心地」がする・しない
「生きた心地がしない」と言える時は、まだ生きている。
そのセリフはむしろ 「生きている証」のような気がする。
「生きている心地」なんて 「元から存在しない」「知らんわ」「考えてみるすべもない」 っていう時は、 もしかすると実際、半分死んでいるかも?とも思う。
自分の「生きた心地」――最近、どうだろう?
「生きた心地がしない」というのは、「生きた心地にさせてくれ!」という ある種の「訴え」「叫び」だと思うし、実際にどうすれば、どうなれば、 「生きた心地」がするのか、 具体的なそのイメージが既に頭の中に用意されている状態の事が多いと思う。
――ならば、自分は今、どうすれば 「生きた心地」がするんだろう?
(改めて考えてみる。)
(……。)
(……。)
(……?)
(生物として「生きている」状態も無論大事だが、 人間として「生きている心地」も求めたいものだな、なんつって。笑)