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小説

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短編/中編小説をまとめました。。長くないのでサッと読めます。
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2020年7月の記事一覧

さらば、名も無き群青たち(4)

 空になったジョッキを、十秒以上放置させてはいけない。つまり、酒を飲み終えたのであれば即座に次を注文する。これこそ、我がアウトドアサークルにおける唯一のルールであった。どこの誰が決めた物かは分からないが、そんな下らない掟が酔っ払いたちにとっての強い後ろ盾となるのは、言うまでもない。

 普段よりあまり酒を嗜まない僕は、敢えて数センチの量を残しておく事により、彼等『冬場の騒音達』からの迫害を逃れる他

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さらば、名も無き群青たち(3)

さらば、名も無き群青たち(3)

 まばらな人混みを縫う様にして歩けば、自分は良くも悪くも、世の流れに上手く乗っているのだという風に思う。或いは、ただ目に見える何かしらに乗せられているだけなのだろうか。
 近鉄奈良から商店街を抜け、三条通りを西に行けば、週に一度通っていた蕎麦屋がある。
駅の周辺は、奈良公園の秋めく草木や東大寺、興福寺、国立博物館への観光客がいる他、キャリーバッグを引く欧米人の団体が三条通りを更に南下すれば、荒池の

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さらば、名も無き群青たち(2)

さらば、名も無き群青たち(2)

 周囲が急に慌ただしくなり、下宿先の窓から迷い込んで来た蚊でさえも、自らの先々に待ち受ける事柄についてを悩んでいる様に見えた。
行く先も、帰る先も分からぬままに止まっては首を傾げ、飛んでは首を傾げ。それは世間が秋を迎える準備が整った事を、見て見ぬ振りした軟弱な精神に由来する行動だった。
つまり、我々は同類である。

 八月のカレンダーを捲る僕の寂しい背中を余所に、珍しく地に足を付け、夏を謳歌してい

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さらば、名も無き群青たち(1)

さらば、名も無き群青たち(1)

「ほら、ここからなら誰にも邪魔されず、空を見上げる事が出来るの」
そう言って、いつものように無邪気な笑みを浮かべた君の姿は、初夏の雲一つない青々とした空、そんな中にあってもグラデーションを忘れぬ、この空気に散った様々な色の前で、今なお薄れる事なき幻想として記憶されている。

 十年前、奈良盆地に留まる熱された空気に、いいかげん嫌気が差してきた頃。貧乏暇なし、という言葉とは無縁の大学生であった僕であ

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『少年K』は、が、に。

『少年K』は、が、に。

 少年よ。今の私の姿は、君から見てどのように映るのだろう。昔に想い描いていた理想の自分とは、かけ離れたこの哀れな姿を。
精一杯やったと、胸を張れないかもしれない。他人に責任を擦り付けるものでもないだろう。
しかし、色々とあったのだ。
少し道を逸れたかと思い振り向けば、自らの足跡を掻き消すようにして強い風が吹く。次第に方向感覚を失った私は、人生における及第点、奈落や惰性の森などに対する適応力のみ磨か

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美しき夏、未だ変わらぬ父の姿

美しき夏、未だ変わらぬ父の姿

 例年に比べて半月遅れの夏が、ようやく顔を覗かしたともなれば、居ても立ってもいられぬのが、畳に寝転がる息子、庭先の土に潜む蝉の幼虫たちである。
干上がってしまいそうな小池の隅、マンホールほどの水溜まりに、哀れ裏向きになって果てた蛙の姿を認めると、この猛暑のなか何かを考える事すら馬鹿馬鹿しく思えて、それでいて蛙君の身体は近所の野良猫に持って行かれてしまったのだから、こちらもお手上げであった。

 関

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僕の選択、君の問い

僕の選択、君の問い

 少しクーラーに当たり過ぎたか、と感じた七月の午後。怠い身体をのそりと起こせば、当分光を浴びていないからか、カーテンの隙間から覗く閃光は僕の視覚を麻痺させるに容易い。

 先日のやりとりを経て、由紀との連絡は未だ取れずにいたし、最期に見た彼女の表情を見れば今からどう足掻いたとしても、我々が再び温かい会話、身体を交わせる事はない筈である。
今はもう冷たくなってしまった、由紀の心。冷えた身体を摩擦する

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うみがめ荘にて

うみがめ荘にて

 我々が特に優れたアイデアもなく、また何につけても機転を利かせる事が出来るような、そんな器用な頭を持ち合わせていない事は、互いに口に出さずとも理解していた。
街角の隅に至るまで足を棒にして歩けば、街灯に照らされた正面の疲れ果てた表情を見て、どちらともなく吹き出してしまう。そんな頃の私達の事務所に立て掛けられたホワイトボード、一つの線が緩やかに右上の角を狙っていた。
街が寝静まった頃、今となっては何

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隣人は、その口を開く

隣人は、その口を開く

 ともすれば、こんなド平日の夕刻、圧力鍋を目前にして携帯を触る私の横で、暗い表情に侵されている君は、秩序ある平穏な日々を脅かす悪魔かもしれない。悪人なのかもしれない。

 恨めしそうにこちらを見上げるその顔、私が何の不満もない生活を送っている事には異議を立てず、ただ自らの話を聞いて欲しいという感情のみで、遙か遠い世界から波を越えてやって来たのか。でも私は、君がどこに住んでいて、普段何をしていて、何

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坂道はなお

坂道はなお

 シャキっとしてよ。情けないなぁ、もう。
当時、まだ十歳にも届かない僕の背中を、世話を焼くようにして何度も叩いていた彼女。今でもなお、僕はどこか頼りなく見えるらしい。

 年齢など大して役に立たない子供特有の世界において、僕が君の二つ下だったという事実に気がついたのは、見慣れたシャツとスカートを捨てて、中学校の制服に身を纏い歩く、そんな君の姿を見かけてからだった。
小学校の前、うねった坂道で友人と

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ユリの束をそっと握れば

ユリの束をそっと握れば

 右手に持った数本のユリを見せると、先程までそっぽを向く様にしていじけていた妹も、かつての幼い笑みを以て、私にその心中を覗かせるのであった。
静寂が覆った殺風景な広場。もう少しすれば人の出入りも増えるであろうこの場所において、彼女と束の間の会話を楽しむ私は、そんな幻影に身を委ねている時でさえ、僅かな悲哀を携えて駆け寄ってくる未だ幼い妹に、胸の内を抉られていた。痛め付けられていた。

「ゆっくり、握

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意地

意地

 こう......何と言えばいいのかな。
私ってそこまで目立つタイプでもないし、部活でもレギュラーになった事もない。そんなどちらかと言うと隅に隠れて、皆が決めた方針に黙って付いて行く様な人だから、T君が思っている雰囲気とは少し違うような気がするのね。
例えば百合子なんかは、クラス委員で日々頑張っていて、テニス部でも部長として結果を残している訳なんだけど。
––あ、だからと言って、百合子に告白しない

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何も考えたくない夜

何も考えたくない夜

 思考出来ない夜が存在する。何も考えたくない夜。回路を堰き止める精神的な問題が発生すれば、私の身体はもう自由には動かなくなる。
酸素の取り込みが遅れる。神経に不具合が生じる。そして、私はカップラーメンを食べる。満腹中枢が刺激され、瞼が重くなる。

 寝ても良かったのだ。ただ、寝なくとも良かった。仕事は休み、予定はないし、明日を迎える気力もない。瞼を閉じれば否応なしに、陽の光が朝を連れて、意識の窓を

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そして僕等は。

そして僕等は。

 言葉はいつも、僕の期待に応えてくれない。
幾ら君を褒めたって、どれだけ会話したって、言葉はずっと想いを乗せず、ただ木の葉みたいに舞うばかり。僕等の境をひらひらと飛んで、君はその軽さを悟った様にして、笑う。
だから二人に距離がある。近くて遠い、絶対的な距離がここにはあるんだ。
君は、僕の事を理解したつもりになっている。言葉に意味も、本質も、何も乗せてはいないのに、何故笑えるのか、泣けるのか、稀にそ

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