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『かさじぞう』



『かさじぞう』



四六時中、エロいことしか考えてないような弛緩した赤ら顔のジジイが、余のことを注視している。
ジジイは焼き麩みたいな形の鼻からぼうぼうの鼻毛が出ており、口髭にはトマトケチャップがべっとりと付着していた。のみならず、歯が上下に一本ずつしかなく、酒臭い息をしきりに吹きかけてくる。

ジジイよ、あっちへ行け。穢らわしい。
余のことを見るな。その濁った目玉に余の美しい姿を映すのではない。余の魂も腐る。恥を知れ。
いい加減、その薄汚い手拭いを信玄袋に戻し、とっとと余の前から消えなければ、極楽浄土ではなく、阿鼻地獄へ突き堕とす。余はマジでやるからな!


しかし、余の胸中とは裏腹に、ジジイは、


これはこれは、お地蔵様。こんなに雪をかぶって、さぞ寒いでしょう。この手拭いを頭にかぶってください。あいにく、売るはずだった笠は五つしかなく、それは他のお地蔵様の頭にかぶせてしまいました。なので、これでご勘弁を。ひひひひ。


と言って、余が白眼視しているのにもかかわらず、頓着しないジジイは、薄汚い手拭いではなく、おもむろにズボンをずり下ろすと、はいている汚いふんどしを余の清潔な頭にかぶせてこようとするので、


気は確かか?こらこら。悪ふざけはやめなさい。
おい、ジジイ。前には小便、後ろには糞が付着しているそんな汚物まみれのモノを余の頭にかぶせるだけでも無礼者であり、罪人だが、挙句、黒人参のような性器をぶらぶらさせて、大晦日の猛吹雪の中、畦道に突っ立っているアンタはもう立派な変態であり狂人だ。早く失せろ。警察に通報します。


そう思っているのだが、余は言葉を発することができないという体でこれまで何百年と生きてきたので、今さら人前で言葉を発するということが恥ずかしいというか、プライドというか、とにかく、お地蔵様という役目の虚栄心から、人前で言葉を発しないというマイルールだけは遵守してきたのだ。
ちなみに、余は普通に喋ることができるし、自由に動くことができる。歩くこともできるし、走ることもできる。先月は暇だったので、隣山にいる幼馴染の地蔵に会いに行き、花札をして遊んだほどだ。


目の前にいるジジイは、このあたりをよくウロウロしており、たいした稼ぎがないくせに賭場に出入りし、負けては酒を鯨飲して半狂乱になるという愚かな生活を送っている堕落者である。奥さんが気の毒だと思っていたが、その奥さんは今年の夏の終わりにとうとう家を出ていったらしい。当たり前だ。


このジジイの一族は昔からロクデナシ野郎の集まりであり、ジジイの父親はそうとうな放蕩者だった。
数十年前のある夜のことである。その日も今日のように寒かった。思春期の青年の頭皮から湧き出る雲脂のような雪が降りしきる中、その男は街の遊郭から帰ってきた。酩酊している男は、古びた笠をかぶり、色褪せたシャツ、よれよれの土壁色のズボン、黒の長靴といういでたちである。男はふらふらし、どこを見ているのかわからぬ怪しい目色をして、
「ゆめちゃん、あいりちゃん、りんちゃん、みらいちゃん、のあちゃん、あんちゃん、ゆずちゃん……」
などと遊女の名前を口の中でぶつぶつとつぶやきながら、なぜだか余に近づいてきた。気色が悪い。
そして、余の前で浅くおじぎをするので、余は、「なんだ、意外とちゃんとしてるのね」
と安堵していると、男は、余にむかって立ち小便をし、ゲホッゲホッと苦しそうに咳をすると、



おい、地蔵。おらのことをじろじろ見てんじゃねーぞ、この。今、おらは機嫌が悪いんだ。遊郭のおなごに騙されて、今日、全財産を失ったんだ。そんな冷たい目をしておらの顔を見るなって。おらは見世物じゃねーんだぞ、この。石の塊。ハゲ頓馬!


とうそぶくと、飴玉をしゃぶるような口の動きで、芋虫色の汚い痰を余の顔にめがけて吐き出した。
余は立場上、常にクールでおだやかな顔をしていなければならないのだが、さすがにこのときばかりは憤慨した。ぶっ殺してやろうと本気で思った。
しかし、あくまで余の立場上、人前で言葉を発してはならず、動いてもいけないので、知り合いの不動明王に依頼して、男を処罰してもらおうと思った。


男の顔は、薄汚れた魚眼レンズ越しに見たような醜い顔をしており、黒ずんだ前歯を突き出して、にたにたしているその様は卑しい悪鬼そのものである。
そして、臓物の腐ったような強烈な口臭を余に吹きかけながら、「ほら、こいよ。おらをやれるもんなら、やってみろ、地蔵!」と声を荒げながら、白目を剥いて挑発してくるので、余は、「もしや、この男、大麻かエクスタシーでもやっているのかな…」と怖くなったので、男が余に背を向けた瞬間に不動明王に電話し、かくかくしかじかで、とことの経緯を説明すると、電話口の不動明王は、「これはもう、閻魔大王先生に助けてもらおう。そのほうが圧倒的に仕事が早いから…」と言って、逃げるように電話を切った。すると、わずか三十秒後、目の前の男は突然、胸を押さえて悶絶し、口から白濁した泡を吹くと、そのまま地面に横転して死んでしまった。


後日、不動明王から聞いた話だが、閻魔大王先生は男の寿命を縮めたらしい。人間の寿命を自由自在に操ることができる閻魔大王先生は、不動明王からの連絡が来ると、敏捷な動きで、男の資料を机の引き出しから引っ張りだし、本来の男の寿命を朱書き訂正したのだ。数字を書き換えたのである。さすがだなあ。余はすぐに先生宛の礼状をしたためた。


その男のひとり息子であるこのジジイは、余の頭に汚いふんどしをかぶせて、猛吹雪の中、性器丸出しの状態で高笑いしながら昂然と走り去っていった。
言い忘れたが、六体並んでいる地蔵のうち、五体はフェイクである。ただの作り物である。生命を宿しているのは左端にいる余だけだ。しかし、ジジイはよりにもよって、フェイクの五体に笠をかぶせ、本物の余にだけふんどしをかぶせるという愚行とミスを犯した。これは絶対に看過できぬ。許せない。
男の住所は知っている。村外れにある犬卒塔婆という陰気なところだ。昔は落武者の生首がそこによく転がっていた。カラスも多くて、溝川臭かった。


今晩、ジジイの家に押しかけて、襲ってやろう。
前回は不動明王、そして、閻魔大王先生に依頼したが、あれから数十年が経ち、余も少しは成長した。
今回は余自身の力でジジイを処罰するのだ。


夜半、余は隣山の幼馴染の地蔵と後輩の十二神将たちを引き連れて、皆で、ジジイの家を総攻撃することにした。雪深い畦道は歩きづらいが、かんじきをはいた余たちは、ジジイの家がある犬卒塔婆まで歌を歌いながら、目をギンギンにして猛然と歩いた。


性根の腐ったジジイの家はどこかいな。
不潔なふんどしの復讐をするぞ。
性根の腐ったジジイの家はどこかいな。
不潔なふんどしの復讐をするぞ。


余たちの歌声はどんどん大きくなり、吹雪の中でさえ、周囲に響き渡るような異様なやかましさで歌声がこだました。余はあえてジジイのふんどしを頭にかぶっている。これはジジイへの当てつけなのだ。
そして、余たちは、ここぞとばかりにズシーンズシーンと重く低い足音を立てて、ジジイの家に近づいていった。震度三弱くらいの揺れにはなるだろう。
粛然とした一本道を歩いていく。定規で縦に線を引いたように立つヒノキ林を抜け、道が左右にうねる黒松林と赤松林を抜けると、ジジイの家に着いた。苔生した不気味な井戸のある廃れた古民家である。余は戸口を喧嘩腰でドンドンと力任せに叩いた。


しかし、家の中から反応がない。静かである。
「おかしいな。こんな大晦日の夜、間違いなくジジイはイカ臭い煎餅布団の中で愚にもつかぬ夢を見ているはずなのに……なぜ、起きて出てこない?」
といぶかしがりながら家に侵入すると、居間は真っ暗だが、その奥にあるジジイの部屋の電気がついていた。風にそよぐ動きのある柳をあしらった襖を開ける。すると、天井から吊された裸電気の下、ジジイは明治大正の文豪が使っていたような文机で書きものをしていた。しかも、碁将棋の対局中くらいの気難しい顔をしており、その横顔がジジイの傍らに置いてある丸火鉢の明かりに照らされている。ジジイの手元をのぞきこんだ余は喫驚し、悪寒がした。



なぜなら、ジジイは、大量の白石和紙に般若心経のような整然と並んだ字で、遊郭の女の名前をびっしりと書いていたからである。おそらく、生前、ジジイの父親を弄んでいた遊女の名前なのだろう。執念深く、ねちっこい性格であるジジイは、大晦日の真夜中に、死んだ父親と関係を持った遊女の名前を口の中でぶつぶつとつぶやきながら紙に書くことで憂さ晴らしをしていたのだ。完全に狂人である。


余はドン引きし、背後にいる幼馴染の地蔵と十二神将たちに目配せした。こいつはヤバい。マジで。
ちなみにジジイは書きものに夢中になっており、余たちの存在には気づいていなかった。とりあえず、余は頭にかぶっているふんどしがこの状況にはあまりにも不似合い、滑稽なので、頭からふんどしをはずして、畳の上にそっと置いた。返却いたします。


そして、余たちは足音を立てぬように静かに踵を返そうとすると、ジジイは何を思ったのか、


通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ


と穴蔵の底からうめくような暗い声で歌いながら、くるりと振り返り、こっちを見た。余は、猿ぐつわをかまされたように声が出なかった。幼馴染の地蔵と十二神将たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。ひひひひ、と笑いながら、取り残された余のことを熟視しているジジイは舌なめずりをして、


これはこれは、お地蔵様。こんな真夜中におらに何か御用でしょうか?道中、さぞ寒かったでしょう。さあ、この手拭いを頭にかぶってください。あいにく、売るはずだった笠は五つしかなく、それは他のお地蔵様の頭にかぶせてしまいましたからね。


と言うと、首にかけている汗が染みこんだ手拭いを余の足元に放り投げた。バサッという軽い音がする。途端に、目の前にいたはずのジジイの姿が消えたので余は狼狽し、辺りをきょろきょろしていると、余の頭の中で、はるか昔、どこかで一度だけ聞いたことがある威圧的な渋すぎる声が響いた。


貴様、まさか、わしの声を失念してはいないだろうな?だとしたら、魂をめちゃくちゃに破壊するぞ。
わしは閻魔大王だ。そして、さっきのジジイはわしの秘書だ。秘書がジジイの姿に化けていたのだ。
長年、わしは貴様の動静を観察していた。するとどうだ、不愉快な出来事があったからといってむかっ腹を立て、ジジイの家に単身で乗りこむのならまだ男気を感じるが、幼馴染の地蔵と後輩の十二神将を従えて、総勢十四人で一人のジジイを襲う愚行を企図するなど言語道断のふるまいだ。許せんぞ。
卑怯者。臆病者。この子、いじめっ子よぉ。最低だわっ!あたし、もう絶対に許さないんだからぁー。


と急におねえ口調になったので、余はぎょっとし、これはまずいことになったと失禁寸前で身震いしていると、閻魔大王、いや、閻魔大王大先生が、

地蔵よ、煩悩から完全に解き放たれよ。

と仰々しい感じで言うと、いつの間にか元の姿に戻っている閻魔大王先生の秘書である巨漢の男は、手に持っている浄瑠璃鏡を余にむけた。前世の姿を映し出す特殊な鏡だった。すると、鏡の中にいる余は、かちかち山の話で溺死した狸だったのである。


          〜了〜




愚かな駄文を最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
大変感謝申し上げます。

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