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タイムカプセルの埋め直し
私は、2024年の4月からこのnoteで過去と現在の自己開示をしている。
それは「自分の棚卸」をして、「他の人が言っていないこと」で「自分にしか書けない」ことが、毒親育ちの子育てだと気づいたからだった。
私が受講しているライティング講座の講師が、そのことに気づかせてくれた。
そして、実話ナックルズnoteに私の書いた記事が掲載されることになった。
自分の幼少期の経験を、ありのままの記憶と感情で
わたしが一番毒親だったとき(前編)
娘は、手のかからない赤ん坊だった。
母乳が出ない私に文句もいわず、ミルクをがぶがぶ飲んだ。
がぶがぶ飲んでも吐き戻すことはめったになかった。
私に似て少し肌が弱く、生まれたのが夏だったのでいつも汗疹に悩まされたりはしたが、成長曲線はずっと平均値。生育は順調だった。
私には年子の弟と10歳年の離れた弟がいて、一番下の弟が生まれたのは私が小4の夏休みだった。未熟児で生まれた弟は手がかかる赤ん坊だった
【読書感想】生き地獄を語る女性たちの前で私はこの言葉を言えるのか~『私、毒親に育てられました』を読んで
出産後、自分が毒親育ちで、毒親は連鎖する傾向があると知ってから毒親本を読み漁ってきた。
実際に我が子に対し、憎き母親と似た言動を取っている自覚があった。血の繋がりが恐ろしかった。
毒親育ちと毒親連鎖に沼りかけていた自分の経験を、noteで書き始めてから数か月経った。書き始めたきっかけは、ノンフィクションライターの中村淳彦さんのVoicyを聴き、著作を読んだからだ。
今回は、中村淳彦さんの著書『
この家がいつも安心して帰ってこられる場所であるように
「ママは小学校好きだった?楽しかった?」と小学生になった娘に聞かれた。
「好きだったよ、楽しかったよ」と私は答えた。
「ママは家が嫌いだったから、学校がとにかく好きだったよ」と。
小学校から高校までの12年間、学校を休んだことがない。
義務教育期間は早退と遅刻もないから9年間皆勤賞だ。高校は皆勤賞とはいかなかったが、欠席は一度もない。人に話すと、結構驚かれる。
私が小学生の頃はまだ、土曜日は月
親を捨てて、田舎を出て、自分の力で生きたい
私は東北地方の、人口6000人にも満たない田舎で生まれた。
公共交通機関はバスのみ。それも1時間に1本あるかないか。一車線の国道を通るバスは、雪が降ると平気で3時間は遅れる。
保育園、幼稚園、小学校、中学校はそれぞれ1つだけ。
いまだに、隣町まで行かないとスーパーはない。ドラッグストアも本屋もない。あるのは役場と簡易郵便局と農協と、寂れた飲食店だけ。初めてコンビニができたのは中学2年のときだ。1件
承認欲求と自己肯定感のループから抜け出す方法は子どもと向き合うこと
究極の愛ってなんだと思いますか。
我が子に対する親の愛? 相手のためなら死さえも受け入れる自己犠牲の愛? マザー・テレサのような慈悲深い愛? 長年連れ添った夫婦の愛?
様々な愛のかたちがありますが、私は子どもが親を想う愛が究極なのではないかと感じます。
だってね、子どもって、小さい頃はどんな親であっても自分の親が大好きでしょう。私だってそうでした。お母さんもお父さんも大好きだった。太ってても、不