見出し画像

【読書感想】ギフトすべきは生きているうちの愛/鈴木涼美『ギフテッド』

中村淳彦さんの発信を聴いていて、興味を持った作家。
芥川賞候補にも選ばれた『ギフテッド』を読んだので、忘れないうちに書き留めておく。

あらすじを端的に言うと、歓楽街で働く主人公(女)が、母の死を看取るまでの物語。

読んでいる途中、私の関心は「母に傷をつけられた主人公が、母が死にゆくことでどう変化するのか」だった。

「母が死んだとき自分はどうなるのだろう」という考えても仕方のない長年の疑問に、なにかしらのヒントをもらえるのではないかと期待があったからだ。

主人公が母に焼かれた肌は、皮肉にも母からの贈り物(ギフト)であり、女を売り物にする世界へ完全に飲み込まれないよう、娘を守るために母が張った結界だった。

火傷の跡を見て主人公の父が言った「ママは取られるのをずっと怖がっていると思うんだ」の言葉。
同居の際、夜に主人公が外の世界へ出て行こうとすることを、引き止めるような素振りを見せていた母。
母の怖れの対象は父ではなく、母親自身が嫌悪していた世界に対してだった。

そして、度々出てくる、扉と鍵の音の描写。
最期に母が遺した、不出来ともいえるドアの詩で、
外の世界との境界線と、母娘の閉鎖された繋がりを感じた。

「産んでよかった、パパにもそう言った」
私が主人公だとしたら、母のその言葉は「なにを今更」と不満に思う以上に、母にとっての自分は、決して存在価値がない人間ではなかったと多少の救いになったと思う。

だから、その言葉を聞いたあと、主人公にはいつもの扉と鍵の音のほかに音が聞こえた。救いによって視界がひらけたのだろう。

誰でも、自分の殻に閉じこもっているときは周りが見えない。
いつもそこにあるものも、見えていない。いや、見ようともしていない。

問題がクリアになったときふと気づく、そこにあったものたち。
聞こえなかった音が、不快ではなく聞こえるようになった一瞬の変化は、母の言葉が少なからず主人公の救いになったことを表現されているように感じた。

また、この小説では、私が自分の問題として常々考えている「母の子供に対する所有権」について、いくつかの描写があった。

・かつて私の身体を所有していた母親
・私の身体が完全に私の管理下に置かれるまでは
・私の身体は全て彼女ひとりのものだった

10か月も自分の腹にいて臍の緒で繋がっていたのだから、母親が自分の子供に対し、身体を分けた所有物と思うのも致し方ない。
私はいつも自分にそう言い訳をしている。

毒親本や子育て本でよく言われる「子供は親とは別の人間、別人格である」という正論は頭では理解している。自分への問題意識もある。
だが、行動に移せていないことが多い。
「あなたのためを思って」と前提を置き、大なり小なり子供へコントロールしている自分がいる。

このままいけば、私も主人公の母のように、子供を守るという名目で子供を傷つけ、自己肯定感を否定し、子供の人生に何かしらの悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。

出産後、臍帯が断裂した瞬間を思い返せ。
私が創り、死ぬ気で産み出したものだが、私の所有物ではないことを思い知れ。

当然のことだが、主人公の母は娘に火傷を負わせるのではなく、ただただ愛していることを、生きている早いうちから伝えればよかったんだ。

救いはないよりはマシだけど、死ぬ間際なんかじゃ遅いんだよ。

未来で後悔しているかもしれない自分へ、そう伝えたいと思える一冊だった。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?