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「どんな自分も大切にすること」ジェンダーにとらわれない生き方を目指す
LGBTという言葉が広がって、ジェンダーやセクシュアリティについて考える機会が増えました。性的マイノリティの人たちは多少生きやすくなった部分があるでしょうし、私もその一員です。
実のところ、私はLGBTでいうとBのバイセクシャルに該当します。恋愛感情も性的志向も、男女どちらにも向けられます。好きになるのに性別は関係ありません。ただ、どちらかといえば、恋愛感情は男性に、性的志向は女性に向けられること
タイムカプセルの埋め直し
私は、2024年の4月からこのnoteで過去と現在の自己開示をしている。
それは「自分の棚卸」をして、「他の人が言っていないこと」で「自分にしか書けない」ことが、毒親育ちの子育てだと気づいたからだった。
私が受講しているライティング講座の講師が、そのことに気づかせてくれた。
そして、実話ナックルズnoteに私の書いた記事が掲載されることになった。
自分の幼少期の経験を、ありのままの記憶と感情で
わたしが一番毒親だったとき(前編)
娘は、手のかからない赤ん坊だった。
母乳が出ない私に文句もいわず、ミルクをがぶがぶ飲んだ。
がぶがぶ飲んでも吐き戻すことはめったになかった。
私に似て少し肌が弱く、生まれたのが夏だったのでいつも汗疹に悩まされたりはしたが、成長曲線はずっと平均値。生育は順調だった。
私には年子の弟と10歳年の離れた弟がいて、一番下の弟が生まれたのは私が小4の夏休みだった。未熟児で生まれた弟は手がかかる赤ん坊だった
この家がいつも安心して帰ってこられる場所であるように
「ママは小学校好きだった?楽しかった?」と小学生になった娘に聞かれた。
「好きだったよ、楽しかったよ」と私は答えた。
「ママは家が嫌いだったから、学校がとにかく好きだったよ」と。
小学校から高校までの12年間、学校を休んだことがない。
義務教育期間は早退と遅刻もないから9年間皆勤賞だ。高校は皆勤賞とはいかなかったが、欠席は一度もない。人に話すと、結構驚かれる。
私が小学生の頃はまだ、土曜日は月
承認欲求と自己肯定感のループから抜け出す方法は子どもと向き合うこと
究極の愛ってなんだと思いますか。
我が子に対する親の愛? 相手のためなら死さえも受け入れる自己犠牲の愛? マザー・テレサのような慈悲深い愛? 長年連れ添った夫婦の愛?
様々な愛のかたちがありますが、私は子どもが親を想う愛が究極なのではないかと感じます。
だってね、子どもって、小さい頃はどんな親であっても自分の親が大好きでしょう。私だってそうでした。お母さんもお父さんも大好きだった。太ってても、不