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【読書感想】光の裏にある陰を見つめて真っ当に生きていく~『あの光』を読んで

とあるコミュニティで紹介され、話題になっていた本を読んだ。
香月夕花さんの『あの光』。

一部で問題視されているキラポエについて、キラポエがどうやって生まれ、どう廃滅していくかを綴った小説だ。

※キラポエというのはキラキラポエマーの略。キラキラした姿を見せ、耳障りのいい言葉をポエムのように吐くインフルエンサーのこと(個人的解釈ですので悪しからず)

ここでは詳細なあらすじは割愛し、私の読んだ感想を綴ろうと思う。

※以下の内容には若干ネタバレが含まれていますので、これから本を読まれる方はご注意ください


主人公の高岡紅は、高校で演劇部に所属しており、脚本などを書く裏方をしていたが、ある日、主演の代理で女王を演じることになる。

おそらく、この経験がなければ彼女は「開運お掃除」として矢面に立って活動することはなかったのではないか。

誰しも、一度でも女王様になれば、その快感を忘れられない。
紅のように親の愛情に渇望していればなおのことだ。
誰かに認められたい、もっと多くの人に称賛されたい、承認欲求に溺れていくのは私にも経験がある。

多くの人に認められるには、本当の自分では限界がある。
体(てい)のいい嘘に他人が共感することで、歪んだ承認欲求が満たされ、自分は正しいことをしている、それで救われている人がいると麻痺していく。
紅の世間に対する大嘘が、多くの人に希望を与える。
希望を受け取った人は紅の養分となる。
養分になる信者が多ければ多いほど、紅の嘘は大きくならざるを得ない。
満たされるためには嘘を重ねるしか、方法がなくなる。
嘘は、自分にとって時に毒になる。

歓心を買おうとして、大量生産の愛をばらまいた。ありもしない希望を売った。何もかも偽物だったとしても、みんながこっちを見てくれればそれで良かった。

文中より引用

承認欲求のすべてが悪いとは思わない。認められたいと強く願うことで、力が発揮されることもある。しかし、承認欲求が恐ろしいのは、一度満たされると際限がなくなることだ。

自分が嘘をついていることは自分が一番知っている。
嘘をついている自分のことを信じる他人を、信じられなくなるのは当然だ。
養分である自分の信者を信じられないから、紅は結局は孤独なのだ。
作り上げた偽物の自分が認められているだけで、本当のところは承認欲求満など1ミリも満たされていない。
いいことがないとわかっていても、噓が止められない。
欲しても欲しても満たされないからさらに求める。承認欲求依存症だ。

SNS、ブログ、セミナー講師、書籍出版、オンラインサロン――典型的なインフルエンサーと同じ道を辿っていく紅だが、サロンメンバーがしでかした犯罪によって、窮地に立たされる。

掃除をすると運が開けるという紅のポエムで結果がでないサロンメンバーが、他のインフルエンサーの言葉とあわせて、紅の言葉も曲解し、窃盗事件を起こすのだ。

一度炎上したら、何をやっても裏目に出る。
せめて、ここできれいさっぱり辞めればよかったのだ。
だが、紅は手にした名声を手放せなかった。サロンメンバーの1人を買収することで、もう一度立ち上がろうとする。
けれど、紅を心から信頼していた別のメンバーにより、紅の嘘が多くの信者の前で明らかになる。

まるで砂上の楼閣だ。
紅は、美しく繕った噓の言葉という石材で築き上げてきた城のてっぺんに立ち、希望を失った民衆に着飾った偽物の自分を見せ続けることで信頼を得た。
しかし、砂の土台に積み上げられた城が崩れるのは一瞬だ。一度起こった波で足元が揺れ、装飾が剥がれてきたにも関わらず、全壊する前にもう一度、もっと強い素材で、塗装で、城を再建しようとした。最終的には、砂に立つ城を脇から支え続けてきた信者が女王に反旗を翻し手を離したことで、城はあとかたもなく崩れ去ったのだ。

自分を大事にするんです。そうすればきっと、片づける元気が出てきます。

文中より引用

キラポエインフルエンサーになる前、ホームクリーニングサービスの会社で働いていた紅が、ゴミ屋敷の住人にかけた言葉だ。

紅は、そのままでよかったのだ。
女王になって、まやかしの城を造ったりする必要はなかった。
承認欲求とは関係のない、自分の本心で他人の心を動かすことができたはずだ。

でも、私は紅の気持ちがよくわかる。
紅は、母の愛に飢えていた。文中に「無関心の毒」と書かれていたように、母の奈津子は娘の紅にあまり関心がなかった。関心があるのは自分自身だけ。
奈津子は娘に堂々と告げる。

あたしはね、愛なんてものは別に要らないのよ。お金だって実はおまけみたいなものでね。あたしが本当に欲しいのは、他人を操れる力なの。男の人が自分の言いなりになるとき、心の底から幸せだと思うわ

文中より引用

母の奈津子の性質を受け継いだのか、母から関心を向けられないことで承認欲求をこじらせたのか、紅は「大事なのは言葉の真偽じゃない、その言葉が生んだ結果なのよ」という母の言葉に背を押され、人を欺く道を突き進んだ。

インフルエンサーとしての地位を失った紅は最後、「いつかまた誰かに愛情を手渡せる日が来るだろうか」と思い描く。
「誰かの歓心を買うめでなく、ただ与えるために与えるだけの、何の意図にも汚されない、まっさらな光に似た愛」を渡せるかどうか。
紅ならできる。元々は、嘘のない言葉で誰かを励ますことができていたのだから。


タイトルの「あの光」。
光とは、希望、愛、涙、言葉――いろいろな比喩で使われる。

光は美しい。でも、光が際立って美しいのは陰があるからだ。
陰の部分をおろそかにして、なかったことにして、光だけを見るのは危険だ。
みんな、自分で考えるのが面倒だから、誰かの答えを簡単に手に入れたい。
光だけを、美しいばかりの表面だけを見て、答えを得たような気になっている。
誰かに答えを与えてあげるのはいいことだろうか。

陰を見るということは、自分に向き合うということ。
光も陰も自分の中にある。自分に向き合って、自分なりの答えを探すことで本当の光が見られるのではないだろうか。

着飾った偽の自分を承認されることに何の意味がある?
本来の自分を見失って、他人が考えた答えをもらうことに何の価値がある?

キラポエにも、キラポエの養分にもならない方がいいし、なりたくもない。
人の影響を受けるのがいけないのではなく、何も考えずにひたすら妄信することがいけない。次々と教祖を変え、ただの養分として利用される人間に成り下がってはいけない。
誰かの人生をなぞるだけの、つまらない人間にはならない方がいい。

きっと、増殖しすぎたインフルエンサーなんてものは、これから先、何の価値もなくなる。だけどまだ今は、どちらかに属している人も、どちらにも属している人もいて、そこに価値があると思い込んでいる人も多いはず。そんな人は、この本を読んでいま一度考え直してほしい。

いくらでも、いつからでもやり直せる。
自分に向き合うことに遅いということはない。




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