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旅エッセイ

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#インド

インドのグッドシャワーおばちゃん

インドのグッドシャワーおばちゃん

2月末、コルカタはもう十分に暑かった。最高気温28度、前日まで滞在したブッタガヤの朝晩は少し肌寒いくらいだっただけに余計に堪える。

コルカタではインド旅行のラスト3日間を過ごした。すでに旅も25日目。「コルカタには何もないよ」と出会った多くのインド人が口を揃えたが、インドでは珍しく区画整理が整然と行われ、どこか安心感を覚えた。

コルカタの安宿街はサダルストリートという街の中心に位置する。しかし

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私欲で始めるボランティア ~インドのフリースクールでの出会い~

私欲で始めるボランティア ~インドのフリースクールでの出会い~

昨年から地元の小学生が集まる施設でボランティアをしている。
そもそもはとある不登校の中学生との出会いだった。その子と話しているときに、その子含め何かしらの形で子どもの力になれればと思った。またシンプルに昔から子どもといる時間が好きだ。実際大学時代も児童を対象としたボランティア団体に顔を出していた。だから、私欲ではあるがそんな時間も欲しかった。

その施設に初めて伺ったとき、スタッフの一人から「なぜ

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インドで人生変わらなかった

インドで人生変わらなかった

今日も布団から出るのに15分かかった。
夕方に流れるニュースでは、面長で珍しい苗字のお兄さんが今日もにこやかに笑っている。

インドに行く前も、そうだった。

28日間のインドから戻ると「人生変わりました?」と質問してくる人が沢山現れた。無論、彼らも冗談半分なのだろうが、あまりに依然と代わり映えのない毎日を送っていることにどこか申し訳無さすら覚える。

何も変わらないので、またハウスジャワカレーで

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インドの大根畑と「目に映るすべてのことはメッセージ」

インドの大根畑と「目に映るすべてのことはメッセージ」

ここ、大根畑なんだ。
そんな感動はタージマハルを見たときより大きかった。

私も、インドの人も大根を育てて食べている。それ以上でもそれ以下でもない事実が、なぜか嬉しい。

学生時代のある日「まだ分からないかもしれないけど、知性はセクシーだから、今のままの君で居てね」と言ってくれた人がいた。40歳手前だという彼とは旅先の沖縄で出会った。当時、私は大学院の修士課程を終えようとする頃だった。

30歳を

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だから、何やねん 〜ガンジス川と『朝のリレー』に寄せて〜

だから、何やねん 〜ガンジス川と『朝のリレー』に寄せて〜

空は繋がっている、とあの歌は言う。
だから、何やねん。

いつの日だったか、カムチャッカの若者はきりんの夢を見ていた。そしてメキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている。
そんな彼らと小学校の教室で出会った。国語の教科書の硬い表紙の裏側に彼らは住んでいた。

当時、故郷の大阪に居た。小学生の私の空がどこかの空と繋がっているなんて露とも思わなかった。
というよりむしろ、空はもはや校区内に限られていた。

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100ルピーの笑顔

100ルピーの笑顔

ガンジス川に向かう階段を降ると、そこは陽だまりになっていた。朝のひだまりには、極端なまでに人に慣れた犬と、犬を人に慣れさせたインド人たちが集う。

ガンジス川の西側にはガートと呼ばれる階段上の沐浴場が84箇所続く。東から太陽が昇って沐浴場の裏手に沈むまで、ガートは常に日に照らされているのだった。

ガードに集まる人間はしたたかであり、愛を込めて換言すればちゃっかりしている。

無論、わかりやすく船

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シク教と石鹸と平等と

シク教と石鹸と平等と

昔の記憶をたどると「匂いまで鮮明に蘇ってきた」なんて思うことがある。匂いすなわち嗅覚は視覚以上に我々を我々たらしめているのかもしれない。

しかし、そんな匂いについて日本は比較的穏便ないしは控えめであろう。香水も他国ほどど浸透していないし、柔軟剤も海外製品からしたらもはや無香料のようなものだ。

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シク教総本山の黄金寺院に入るには、何人も手足の洗浄が必要らしい。

逆に言えば、手足さえ洗え

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インドで人生変わる前に

インドで人生変わる前に

生まれて初めて、旅行に出る前にその旅行に関する文章を書いている。
というのも、近々インドに行くからだ。

巷でも、そして私の友人界隈でも、インドに行くと人生が変わるなんて噂がある。果たして本当なのだろうか。まだ私は半信半疑である。ただ、もしや帰国したらカレー屋をはじめてしまったりするのでは・・・

ということで、私の人生がインドで変わったと仮定して、未来の自分に向かって文をしたためておこうと思う。

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