マガジンのカバー画像

小説

62
自作の小説です。 最近はほぼ毎日、500〜2000字くらいの掌編を書いています。
運営しているクリエイター

#小説

遠くへの手紙

遠くへの手紙

 結局のところ俺はただ狂いたかったのだ。

 狂気とは現実との解離であるから、正気を手放せばあの頃に戻れると。

 夢を俺だけの現実にできると。

 彼女がもういないという事実を拒絶し否定して幸福の繭にこもり、腐り果てるまで闇の中にありもしない光を見続けていられると。

 信じることで人の形を保っていた。

 水の入ったポリ袋みたいなぐにゃぐにゃの塊になった俺には、地球の重力から解き放たれるか、針

もっとみる
不安

不安

 嫌だ要らない手放したいって君は言うけど、本音では僕が必要なんでしょ?

 僕が君を離さないのは、君が僕を呼んでいるから。

 不安でいないのが不安だから。

 僕は君を守っているよ。

 傷付く言葉、冷たい視線、体調不良、事故に災害。目隠しで見る未来の闇。

 いつも最悪を予測して、備えろと君を急き立てる。

 僕の予言が外れても、君は良かったと喜ぶだろう。

 僕の予言が当たっても、君は充分な

もっとみる
灰かぶりの宝石

灰かぶりの宝石

 「ほこりちゃん」と私は呼ばれていた。いつも埃まみれになって掃除をしているからほこりちゃん。良い意味ではないのはわかっていたけれど、何となく響きが可愛くて私は気に入っていた。

 あだ名を付けたのは下の姉様。2人の姉はいたずら好きで、わざとスープを床にこぼして私に拭かせたりしていた。お母様はいつも見て見ぬ振りをしていた。

 いつだったか、姉様が上質の絹のスカートにトマトソースをこぼしてしまった時

もっとみる
角と北極星

角と北極星

「どうしてわたしにだけ角が生えてるの?」

 幼い妹の舌足らずな問いかけに射抜かれ、両親は石像のように固まった。

 なぜという疑問が求めているのは、遺伝子のどこにどういう欠損が起きて額に骨の隆起ができたのだとか、そういう冷淡な因果関係の説明ではない。起こったことの意味だ。それを起こした大いなる何者かの意図だ。

 そのことを無意識に知っていたのか、父は答えた。

 「お前が前世で悪いことをしたか

もっとみる
産みたくない僕の話を聞いて

産みたくない僕の話を聞いて

「子供、欲しいの?」

 グレーのスウェット姿の彼はベッドに寝転んだまま「いてもいいかなと思って」と答える。視線はスマホの液晶の上を細かく上下し続けている。

「どうしてそう思うの?」

「んー、なんとなく?」

 彼は寝返りを打って、にへらと口元を緩める。

「こちらは産みたくないし、今の状況で育てていくのも無理だと思っています。子供が欲しいなら説得してよ。どうして子供が欲しいの?」

 彼はス

もっとみる
別れを告げる

別れを告げる

 恋は冷める

 憧れは幻滅に変わる

 好きは嫌いに反転する

 では移ってしまった情はどうすれば消し去ることがてきるだろう

 トマトとピーマンと椎茸が嫌いな君

 何時間も目覚ましを鳴らす君

 仕方ないなと最後は笑って、君のどうしようもないところも愛おしんだ

 その時間は僕を構成するブロックの一つになっている

 外して残る空洞をどうやって埋めればいい?

 君が僕を嫌いになって、お前な

もっとみる
世界茸(後編)

世界茸(後編)

 岩盤はさらに抉られ、生白い茸の脚が人工の光に晒されていた。ぬらぬらとしたその根の内部を今も蒸気となった魂が流れ、母となる者の内に生命を宿している。

「王は狂っていると思われますか?」

 俺の問いかけに博士は巨大な茸から視線を下げて俺を見つめた。

「この決断は理に適っていると思うよ。この先も戦いが長く続くなら、かつ敵国を徹底的に滅ぼしたいのならね。まぁ、狂人扱いされてるあたしが言っても仕方な

もっとみる
世界茸(中編)

世界茸(中編)

 巨人が大地を叩き割ろうとした跡のような裂け目が木の根に半ば隠されて口を開けていた。それが冥界の中枢への入り口だった。

 まずは博士と俺が中の確認に入ることになり、ゴーグルと命綱を装着した。

「こんな軽装で大丈夫なんでしょうか?」

「あたしは何度か入ってるけど平気だったよ。冥界は生者には干渉しないから」

 博士は事もなげに言って、岩の隙間をひょいひょいと下りていった。

 博士に続いて湿気

もっとみる
世界茸(前編)

世界茸(前編)

 命は永遠ではない。

 どんな人間もやがて年老い、病を得て死んでゆく。

 誰もが死すべき運命を知っているというのに、人は同胞と争い、余分な苦しみを自らに課す。

 循環する悪夢の流れに新たな筋道を付け、輪廻から憎しみを消し去れるのなら、この身を捧げ尽くすことなど厭わないというのに。

 朧月が輪郭をなぞるのは老いた手。花の咲く蔓の彫刻が施された椅子の背を撫でる。

 几帳面に並べられた筆記具も

もっとみる
正当な金網

正当な金網

 細い細い絹糸のような金網の向こうから、だらだら歩く来園客たちが呑気に僕を眺めている。僕は客のいる通路に背を向けて、亀になる呪文を自分にかける。手足も頭も引っ込めて、甲羅で柔らかい肉を守る。

 二人連れの客が立ち止まり、僕の檻に表示された分類名を読み上げる。幾つもの聞きたくない名前と的外れな説明が甲羅の骨を振動させ、内臓を不安に共鳴させる。

「ねぇねぇ、あたしも見てって!」

 明るいオレンジ

もっとみる
閉ざされた王国(子供な神様の話)

閉ざされた王国(子供な神様の話)

 創造神は小さな子供。

 何も知らない無邪気な子。

 遊び相手を生み出して、おもちゃの王国を作る。

 気まぐれな言葉を法律に、気に食わない民は投げ捨てる。

 神様をお慰めするための王国で、人々は神様のご機嫌を占い、祈る。

 どうか神様がほんの少しだけ大人になられますように。

 甘えたい盛りの神様は、優しい親を創造する。

 撫でてもらって、

 抱きしめてもらって、

 わがままを聞い

もっとみる
僕の点数(見えない目に見張られている話)

僕の点数(見えない目に見張られている話)

 頭の後ろに目玉がある。

 後頭部から僕の全身を見下ろすように、目が浮いている。

 僕の目からは死角になっているし、鏡にはどの角度でも映らない。

 それでも目の存在を僕は確かに感じている。目蓋のない眼球が、一瞬も休むことなく僕の一挙手一投足を見ていることを。僕の身体ぎりぎりに規定された領域からはみ出たエラーを漏れなく検知するために。

 予定時刻に起きなかった。減点。

 勉強せずに動画を見

もっとみる
彼の新しい犬

彼の新しい犬

 ケーキボックスみたいな紙の箱の中からキャンキャンと甲高い声が聞こえる。

 片頬を上げて「買ってきちゃった」と言う彼。全身の筋肉が弛緩して重たい泥のように溶けていく。開きかけた口は貝のように閉ざす。抵抗してももう無駄だ。

 箱から取り出したふわふわの子犬を彼は僕の膝に乗せる。君によく似た濃い琥珀色の目と、君に似ていない垂れた耳。覚えのある体温。

 君の定位置だったあの窓辺で、君が寝ていた空色

もっとみる
バスタブの下の地獄(虫を殺す話)

バスタブの下の地獄(虫を殺す話)

 バスタブに満ちるピンク色の海、ゴム栓の裏の奈落。

 生温い汚水から這い上がっても、柔らかいようでいて歯を立てるには硬過ぎるゴムの天井が立ちはだかる。

 筒に封じ込められた高濃度の闇。もがき疲れて溺れるか、少ない酸素が尽きて窒息するか。

 そこに彼あるいは彼女を突き落としたのは僕だ。

 空飛ぶ小豆のような塊が目に入り、何も考えず手に持っていたシャワーを向けた。

 放出される無数の水滴はそ

もっとみる