今日の私は一味違う。 (あれ?うーん、なんか若干私の意図してることが違うんだよな)ということを「こういうことだよね」って確認されたとする。私は大抵(まぁいいか、そんな違わないし)と、「そんな感じですね」なんて微笑む。片や今日は、「すいません、整理させてもらうと…」と語りだす。
大谷選手の身を慮るなら、あんまり個人の発言を控えた方がいいと思う。まだ情報が錯綜している中で、個人が妄言や想像で主張した発言が真実だと思われてしまう。まずは、事実確認に注視して、事件の概要がはっきりしてから 自分自身の発言をするのが一番だ。 こういうのは余計な一言だと思う。
世代間の温度差を『悪』とみなすより『なぜそうなのか?』と考えた方がいいと思います。例えるなら、政治に対する考え方。上の世代がガヤガヤザワザワしすぎて、下の世代がついていけない。 その実態を認識と意識が足りないと片付けてしまうのは、考えていない証拠です。 偏見は取り除くべき。
YouTubeが廃れた理由は、多分視聴者と動画配信者の負の連鎖?だと思う。民度が低いくだらない動画を視聴者が求めてしまった結果、動画配信者の意識が低くなってしまい、炎上要素たっぷりのテンプレな動画ばかりが出回るようになってしまった。やっぱし、みる側も創る側もしっかりしないとね?
ちょっと意見が違う人と全く意見が違う人の方はどっちがいいんだろ?
煽り芸が得意で、煽られたら誰かのコメを引用してペラッペラな記事とスカスカな文章をかくメディアは本当に存在価値がだんだんと小さくなっていると思う。そんなんだと、数年後にはAIに奪われるのに危機感がない。ずっとずっとぬるま湯に浸かっているよう。楽しそうな運命ですね。本当に。