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vol.095「天は残念ながら二物を与える。真似るのは本業・成果【以外】の部分だ。」

誰にでも、特技、取り柄はあるもの。
自分の意見をはっきり言う。禁止されてないかぎり手を挙げる。自由発言するほう」は私の、少なくとも特徴だと思います。
会社組織人的な視点でいうと、おかげで問題解決が一気に進んだこともあれば、相手を意図せずめちゃ怒らせたことも(数しれず)あります。


◆「練習」する理由。

ここ十年超ほど取り組んでいるテーマ、「言語化」。
人より下手だから、人より練習しています。成長の4段階でいうと、まずは「有意識無能」から「有意識有能」への移行を目指す感覚です。

何かを成している人で、言語化してない人はいない。または「自分の意見」を持たない人はいません。そして例外なく、考えて準備しています。

「アドリブ」を、アドリブでやってる人はいない。事前に準備しています。起こり得る場面を数十、数百と想定して、そのとき"とっさに言う"一番いいセリフ を推敲して、言う練習をしている。
その道のプロ(スピーチコンサルタント、漫才師、落語家)が練習している。本業だから当たり前だけど、練習総時間、リソースを投入する量が多い。だから、何もしないと差が開く一方になる。

年齢とともに、瞬発力・暗記力・五感・体力は衰える(仮説)。 
だとすれば、何をするにせよ、自分でない誰かに働きかけて、動かす。手伝ってもらう、応援してもらうことがますます重要になります。
そして、自分で増やせるのは「経験の総量」「経験の種類」。それに「累計の練習時間」だけです。「経験」「累計時間」は減ることがない。「思考」や「意見」と同じで、誰かが奪っていくこともない。

掛け合わせると「人への影響力を磨く」「練習の量、実戦の回数を増やす」以外になさそうだ―。
そう考えてやっっているのが、Facebook毎日投稿やnote投稿、先日開始したStandFMです。

◆天は、残念ながら 二物を与える。

成果結果を出し続けている人たちは、おそらく、暇さえあれば考え、書きとめ、人に話して、を繰り返している。だから言語化できている。

日本人は、というと いわゆる主語が大きすぎるだろうけど、「一芸に秀でる」「一つの道を極める」ことへの評価が高いように思っています。「尊しとする価値観(信仰)」といえばいいでしょうか。

トップアスリートは、語彙が少なくあってほしい。なぜなら、スポーツ漬けの毎日だったはずだから。
一流の芸術家には、偏屈、頑固であってほしい。なぜなら、豊かな才能と引き換えに、偏ってるはずだから。
有名なあのスターは、舞台を降りたら傲慢に違いない。なぜなら、若くして芸能界に入ったら勘違いするものだから。
成功している料理人は、口下手であってほしい。なぜなら、不器用、口数すくない人を、"応援してあげたくなる"から。


つまり「天は二物を与えないでほしい」。何かで大きく傑出している人は、何か欠けていてほしい。「持って生まれた才能の差のせいだ」または「環境のせいだ」と思いたい。
なぜなら、そうでないと自分の人生が否定されるから。

そういう心理がすくなからず働きます(私の場合)。体育全般が苦手なのは親の遺伝のせいだ、とか(苦笑)。
「結果を出してない→行動を起こしてない、自分の言い訳がなくなってしまう」ことからくる、無自覚の願望です。または「才能がある人は性格が悪いはず」に代表される、偏見といってもいい。

現実には、彼ら彼女らは二物以上を持っています。
そして、それらは、天からタダで与えられたわけではない。

成功体験から。おそらくそれ以上に、失敗や挫折から。
とにかくある時点で気がついて、リスクを取り、投入コストを費やし、練習して、試している。自分自身か、メンターを持つか、とにかくフィードバックの仕組みをつくって、微調整を繰り返している。
それが、多くの人の注目を集める成果を生んでいる。

◆真似るべきは本業【以外】の要素だ。

私のような、天才ではない大多数の人間が、環境を改善したい/結果を変えたいと思ったら、結果をすでに出している人に真似るのが早道です。
まるまる取り入れることは、とても出来ないから、なるべく小さな、「単位の作業」に分解してみる。変な日本語だけど、真似できそうな部分を真似する。

そして、真似すべきは本業そのもの【以外】の部分だと考えています。
彼らの本業、つまり大ヒット作品を生む、とか、スポーツで世界トップレベルのプロリーグで活躍する、みたいなことは、真似のしようがない。持っている才能、住んでいる世界が違いすぎるからです。
参考にするのは、思考の進め方、言葉の選び方、情報の仕入れ方、組織の運営、会社の経営。そういった部分だということです。

つまり、真似できそうな部分とは「具体的な、単位行動」です。
「意識する」「練習する」「実戦で試す」「変更する」を、やってみる。それ以外にない。
刃物とおなじで、どんな材質、グレードでも、研がないよりは研いだほうが切れるようになります。

自分の持ってないもの(才能や結果)を持っている人を、ただ羨ましがる、嫉妬しててもしかたがない。昨日まで行動量が足りなかったことを悔いてもなにも変わらない。

嫉妬の対象を観察して、小さなパーツに分解する。同じことを自分もやってみる。うまく行ったところを残して、合わないところは修正する。または捨てる。または別の人のパーツと入れ替えて、また真似てやってみる。

それが、「学ぶ(真似る)」「練習する」の本質だと考えています。


天は残念なことに二物を与える。もしくは才能を授かった人は、上乗せして努力するすべを知っている。その価値の大きさも熟知している。

凡人は、人より下手なことを、人より練習する。まずは「有意識無能」から「有意識有能」への移動を目指す。
凡人は小さな"能力のもとで"を磨く。そこから自分の強みを伸ばす。
「強み」だと他者との優劣比較の視点だから、「持ち味」と呼ぶ。「強化」よりは「強調」、際立たせる感じ。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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