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他人と同じ意見・他人と違う意見

自分だけの人生は一人では作ることができない理由

「他人と同じ意見なんてつまらない」
ずっと、そう思って生きてきた。
だからあえて、他人とは違う選択をした。
多数派の意見に抗って生きてきた。

しかし、これら全ての行動が、心理学で説明できるらしい。
それを、昨日知った。

昨日は私の誕生日である。
人生の何十回目の誕生日に、今ままでの生き方を説明されてしまった。
私は、自分の人生が簡単に説明できないことを誇りに生きてきた。
どのような自分であろうとも、他人と一緒の人生だけは歩みたくなかったのである。
それがたとえ、他人から見たら、平凡な人生だったとしても、それでも他人と一緒は嫌だったのだ。
「変わった選択をしてきましたね」
そんなことを言われることが、私にとっては最高の褒め言葉だと思って生きてきた。
それが、心理学的には、よくある事例として挙げられていた。

私は、今まで心理学を学ばなかった事を呪った。
なぜ、心理学という分野に興味を持たなかったのだろう。
そして、今まで撰択してきた方法が、“よくあること”であることがショックだった。
多数派になびく人と同じくらい、多数派とは“あえて逆を行く人”というのは多いらしい。
まあ、考えて見れば当然である。そうした『逆張り思考』というのは書籍としてもよくみる。「あえて逆をいく」なんて思考は、多くの人が考えつきそうなことかもしれない。

それならば、結局のところ、多くの人と同じような人生しか歩むことはできないのだろうか。多くの人が歩んだことのない人生なんていう選択は、存在しないのだろうか。
この答えは、結論が出ない。
それは、多くの人の人生を見ることは、現実的には不可能だからだ。
では、私が「多くの人と同じような人生を歩みたくない」と考える本質はなんなのだろうか、という切り口から考えてみる。
私が多くの人と同じような人生を歩みたくないのは、ズバリ、「多くの人と同じような人生にしたくないから」である。
私が思う、多くの人と同じような人生とは、安定した人生のことを言っている。
つまり、安定した人生を歩むことを嫌がっているのである。

私が思うような、“安定した人生”などというものは、本当に存在するのだろうか。
確かに、エリートと呼ばれる人々は、側(はた)から見れば安定しているように見える。ただ、そう見えることが全てではないはずだ。
隣の芝は青く見えるものだ。
深く知らない人と話すと、その人が見た目以上に苦労していて驚くことも多い。
人の一生は、短いようで長い。
人生は十年単位で様々なことがあるとも言われる。
一筋縄では行かないのが人生である。そのことは、自分でもわかっているはずだ。
それなのに、いざ自分のこととなると、わかっているはずのことを頭から外して考えてしまう。そして、他人にを向ける。そして、羨ましいと思ったり、反面教師にしたりする。

私は大切なものを見落としていたことに気がついた。
「他人とは違う選択をする」ということを決めているだけで、誰よりも他人に目を向けていた。
他人の選択が先にあって、その上で自分の選択をしていたのである。
こうした考え方は、オリジナルの人生とは程遠い思考法であるように感じる。そのような考え方を、今まで自分はしてきた。それなのに、「他人と同じ意見なんてつまらない」という発言を繰り返してきたのである。
誰よりも、他人の意見に左右されていたのは、自分だった。

しかし、こういう考え方もできる。
私たちは、集団の中で生きている。
人は人の中でしか生きることができない。
人間関係は、人類のテーマでもあるのに、人と関わることをやめるわけにはいかない。人と関わらずに生きることは、不可能に近い。
他人と関わらなければ、名前すら必要なくなるからだ。
そう考えると、他人に影響を受けずに生きることもまた、不可能なのではないだろうか。

私たちは、自分で生きているような顔をしているが、周囲の人々によって生かされている。
影響を受けて、言葉に流されて、情報に惑わされて生きている。
それなのに、私たちは自分で選択してきたかのように振る舞っている。
手柄を立てたら、まるで自分の成果のように語ったりする。

こうした一部始終が、すべて、自分の周囲の人々のおかげなのにも関わらず。
それなのに、「天下を取りたい」ということを、戦国時代か、それ以前から夢見ているのだ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
天下統一を果たす人物は、たった一人だと信じている。
それ以外の人物のことを考えない。
だから、“他人を蹴落とす”という行動に走ってでも、自分の成果を得ようと試みる。

現代は、“生きにくい時代”とも言われている。

たった一人では生きにくくても、自分の周りの“旅の友”とともにゴールを目指すには、いい時代かもしれない。
「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」
というアフリカの諺がある。
この諺は、岸田首相の所信表明でも使われたため、印象に残っている人もいるかもしれない。
しかし、本質である。

“今”という激動の時代を生き抜くためにも、自分だけの人生を生きるためにも、どのような“旅の友”と旅をするかによって、人生はいくらでも彩りを加えることができるのではないだろうか。

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