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【夜な夜なnote】意思表示の仕方への疑問と自分の意思をどう保つか


どっちも間違ってはないし考え方の違いなのに、どうしてわざわざ反論のような形のコメントを残したんだろう。


Xで「地位や学力で人を判断してはいけない」という投稿に対して「地位や学力はその人の努力によるものだから、判断の基準にされてもおかしくないと思う」→「それもそうですよね^ ^」みたいなやりとりを見た。

私はどちらの意見にも共感。
私はどちらも間違ってないと思うし、その人はそう思って、この人はこう思っているっていう価値観の違いなだけな気がした。

なのにコメントした方は何故そこで反対意見を表明したのだろう。そのコメントの先に何を求めていたのだろう。

投稿内容が間違ってると思ったのか、そういう考えもあると投稿者に伝えたかったのか、意見を伝えることで投稿者に何か良い影響を与えたかったのか、その場を借りて自分の意見を表明したかったのか、共感してくれる人が欲しかったのか。はたまた何かが気に障ってしまったのか。

全くアンチではないのだろうが、、、だからこそ、共感でもなく投稿者を励ますのでもなく「私はこう思います」をそこに書いた理由は何だろう。投稿を読む→私はこう!思う。で止まらなかったその訳は。

他人の意見を聞いて考え方が広がることもあるから、投稿者にしたらメリットもあったと思うけど。


SNSでは日々そのようなことが起こる。
誰かの発言に対して共感や反論のコメントが来て、そこにまた反論や共感のコメントが来て、、、忙しい。心がすり減らされる。

誹謗中傷のような人を傷付けるものは置いといて、反対意見をコメントする時の気持ちってどんなだろう。デメリットはないのか?
そして、自分の意見にいちいち反対やアンチが来たら、誰も自分の本当の気持ちを言えなくて、ウケの良さを狙う嘘で固まった投稿ばかりになってしまう気がする。

っていう私も誰かの何かに対して、こうやって記してしまっているのだから何も言えない気がして来た。



でも本当に、誰がどう思ってもいいと思うし、実際インスタでよく見る「こういう人は〇〇」のような投稿に流されそうになったり、傷ついたり喜んだりしてしまうが、誰かの基準に自分を当てはめようとしなくていいと思う。

研究結果で出てる場合もあるが、1000人いて1000人全員に当てはまったかといえばそうではないだろうし、それは多くの人にそういう傾向が見られましたってだけで。
結局誰かの物差しじゃなくて、自分がどうありたいか、どう思うか。何を信じるか
をブレない信念としたい。

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