純粋理性批判の『空間について』を読んでいた。 空間とは経験以前に本質的に備わった人間の直観(直ちに理解できる感覚)だと言う。なるほど。 ではその直観する能力に個人差があるように見えるのはなぜだろう。目の見えない方は事物をどう直観しているのだろう。 謎が謎を呼ぶが、興味深い論題だ。
カントの『経験的な判断は全て総合的な判断である』で、 「例えば経験によって自分の内にある新たな個性を認識する時があるけど、それは経験の成す分析的な判断では…?」と思ってしまった。 だけど、その後の幾何学の判断の例を見て、実はそれも結局総合的な判断だと分かった。 コメント欄に続く
『純粋理性批判』を読んでいる。 一つ一つの文は分かるけれど、『段落→節→章』と括りが大きくなるにつれて、何を主張したいのか分かりにくくなる。 難解な哲学書や小説あるあるだね。 重要な用語とその意味をノートに纏めながら読む必要がありそうだ。面倒だがやりがいはあるかもしれない。
『純粋理性批判』カント (中山元 訳)を読みたいと思っている。分かりやすい訳らしい。哲学書入門者の僕でも読めるかもと期待している。 僕は新潮文庫至上主義者(哲学書は岩波文庫)だが、ここは柔軟にいこうと思う。かけらでも理解できたらいいな。