ドゥルーズ/「落下」/自殺
それ自体としては平凡なことだが、ドゥルーズがあるときから自身の「落下」による自殺への予期的な不安にとらわれたのはほぼ間違いないと思われる。ドゥルーズ晩年のベケット論『消尽したもの』(Quad et autres pièces pour la télévision suivi de L'épuisé par Gilles Deleuze,Minuit,1992) がその記述的な傍証になっている。
「ドゥルーズ『感覚の論理学』から
「感覚が上位の、またはより高い水準にむかうときも、この上位の水準のゼロへの接近によらなければ、つまり落下によらなければ、感覚はそれを体験することができない。」(Francis Bacon: Logique de la sensation,Editions de la Difference,1981 ジル・ドゥルーズ『感覚の論理学』宇野邦一訳 河出書房新社 2016年 111頁)
私は現在執筆中の『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』第5章 カント『純粋理性批判』のデッドライン Ⅰ 「ドゥルーズ『感覚の論理学』から源初的な開き/裂開の運動性へ」において、ドゥルーズが、『感覚の論理学』に限らずほぼその全体系において、「経験的実在性の次元」と「それとの差異が表現されているように見える次元」を混在/癒着させた記述を行う」ことの意味について論じている。この記述は、これまで書かれることのなかったドゥルーズの思考の秘密を明かすものとなるだろう。
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