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エマニュエル君

エマニュエル君と新宿のルノワールで雑談をしている。というか、そんなような気持ちで、カントの『純粋理性批判』をぼんやりと読んでいる。

友人のエマニュエル君はまじめな奴で、一生懸命になにか考えているっぽいが、正直なところ彼のいっていることがよくわからない。

先月は、感性の話をしていたのだけれど、今月は認識の話をしている。

まじめな彼の話をきちんと理解してあげようとしない態度を人は不謹慎だというかもしれない。その通りだ。けれど、彼が結構な時間をかけて一生懸命考えたことが、そんなにすぐにわかるはずもないとも思う。であれば、せめて、黙って彼の話を聞いてあげるのもよいのではないか。

それに、わからないなりに、ときどき面白いなと思うことを言っているように感じることがある。彼の本意とは独立に、私が面白いと思うところを私は勝手に《私の萌えポイント》と呼んでいる。

たとえば、「すべてのAはBである」とか「いくつかのAはBである」とか、論理の形式の話を3つの要素からなる4組の機能に分類して表にしたものを彼は見せてくれた。彼はそれを《判断表》と呼んでいる。その4番目、彼が《判断の様態(様相)》と呼んでいたものが私には妙に面白かった。

《判断の様態(様相)》は《可能判断:AがBであることは可能である》《現実判断:AがBであることは現実的である》《必然判断:AがBであることは必然的である》からなるのだけれど、世界の(論理的な)切り方に、《可能》《実際》《必然》の3つを突然持ち出してくるのかぁと思ったのだ。そのことが私にはなんとなくおかしかった。

だって、すごく硬い話をしていたように思えたエマニュエル君が急に、「そういうことってあると思うんだよ」「そうでしょう」「そうならなきゃおかしいもの」と言い出したような気がしたのだ。

私はエマニュエル君の言っていることをぼんやりとしか聞いていないし、結構、勝手に夢想している。わからないな~と思っても、「へ~、そうなんだ~」と案外と適当に相槌をうっている。でも、きっとそういう有り様もありなのではないかと思う。

なので、エマニュエル君とルノワールで話すことをなんとなく続けている。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。