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札幌もそれなりに暑い。そわそわしてる私の最近の読書メモ

色々と考えていること,読んでいる本,取り組んでいることがあり,それらを整理するために何か書きたいが,何から書いていけばいいのだろうかと思う。なんとなくそわそわと落ち着かない。
最近は人文系というのか,自分の専門領域とも当事者的にも興味をひかれる本を片っ端からどんどん読んでいるので,読書メモでもしておこうかと思った。

今朝読み始めた本は

韓国人の女性が自身の気分変調症について書いた本。これは昨日図書館で借りた。その前に読んだ本は

これも韓国人の女性が,ADHDのあるご自身について書いた本。勢いと人情味があり,ADHDの特性と日常についても学ぶことが多い,とても面白い本だった。

その前に読んだ本は

で,これは日本人の女性(オンラインで哲学対話をはじめた3年ほど前に出会った,友人である石田月美さん)がご自身のみてきたご自身と世界との関わりについて書いた本だ。なぜか少年ジャンプを読んでいるときのように主人公が大好きになる,泣いて笑って感動する(帯文より),魅力的な本だった。
感情がゆさぶられて自分のことがたくさん出て来たので,いったん出て来たものをブログにも書いた。またもう少し,感想寄りの感想を書きたいと思っている。

そうだ,その間にこれも読んだんだった。これは自分で自分の操作がうまくいかないことが多いため(お風呂,ごはん,論文,出かけるなど,やろうとしていることをやりはじめるのがとにかく遅れる),ADHDの時間管理に定評がある中島さんの本をいっかい読んでなんか変えてみようかと思って読んだ本である。自分も仕事で応用行動分析学を使って人の行動を観察,分析して行動変容のためのプログラムを作っていたのに,自分についてはとても管理が甘かった。やることの内容とおすすめのやり方は(やっぱりそれしかないですよね)と思うような,とても地道なもので参考になった。

つまり何をすればいいかと言うと、
①まず望ましくない行動の生起を記録し,
②前後の出来事を観察して,
③セルフコンパッションをもって望ましくない行動が生起する理由を確認し,
④少しずつ自己理解とケアを促進しながら
⑤代替行動に置き換えていく

という流れでいくつかのマイルドな依存症的事例(自分の意志でやめられない飲酒・過食・SNS・動画視聴)を解説しており、読者が実際に自分でもやってみるよう促している。
早速自分も「やめるノート」を作ってみた。開始後まだ3日目である。これは続けてみるのと,あと2冊くらいこの人の別角度から書かれた本も読んでみようと思っている。

その前は

を読んだ。これは小分けにした情報を断片的に拾っていくような本だった。自分にとっては,対話をあきらめないこと,それにより物語全体の意味が変わっていくことについて書かれてある本だった,と思う。自分と自分の家族に起きたつらい出来事の続きを私はいつも生きているが,生き続けているからこそ物語も変容し続けている。絶望しそうになったり,怖じ気づいたりすることは常々あるが,あきらめないで,両足の親指に体重をかけて,おへその下あたりに力をこめて立ち,目を開いて,頭をはたらかせて,私はもうすこし諦めないで生きていけたらと思った。多くの私の大切な人たちは元気だろうか。とも考えた。
そして,「青い鳥は,探しに行って帰ってきたときに,最初から青かったことになった」という,青い鳥の不思議な論理を思い出していた。青い鳥を最初に読んだときはよく分からなかったが,今はあのころよりは少し分かる気がする。

その前に読んだ本に

がある。これは研究のために読んだはずだけど,実際は自分について考えながら読んだ本だった。さらにその前に

も読み,なぜかこの本を読む前までは,自分は擬態が上手だと思っていたが,全然自分も擬態は上手ではないなということが感じられた。出ている一つ一つの語りには自分の仲間がいろんな所でさまざまだが統一感のある特殊さでそれぞれの人生を歩んでいるんだということが感じられて感動した。

自分でもオンラインでオープンダイアログを始めたので,最近はオープンダイアログ周りの本も読み直している。すいめい先生のこの本は,ウィズネスとアバウトネスという言葉を私の中に刻んでくれた。この対比は不可解な状況に立ったとき,行き違いを理解するための強力な補助線になる。

これも漫画ですぐ読めたので読んだ。オープンダイアログに加わると,治療者もまたポリフォニーの中で揺るがされる,それは自分自身の中のポリフォニーにも気づいてくる作用があるためである。ということが事例をもとにした漫画でわかりやすく描かれている。
家の中にはまだまだ沢山の本が散らばっている。出来心でカントの純粋理性批判も読み始めてしまい,読了一歩手前である。

私が読書をするのは半分は逃避である。やるべきこと,考えないといけないことから逃げるための半受動的な活動として本を読む。残りの半分は切実に何かを探したり身につけたりしようとしている,ある種の情報収集として読んでいる気がする。とてもせっかちで落ち着かない性格だから,かたっぱしから読んでどんどん忘れていく。その「忘れ」が生じていく過程をなんとなく体感していて,それが少し怖いというか,なんとなく不安のような感覚を伴うものなので,それでこういう風に本当に読んだということだけでもメモしておくことで,少しでも安心できるものかもしれないと思って書いてみた。

読書メモ,これからもときどき書いていこうと思う。

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