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石田月美さんの「まだ,うまく眠れない」を読んで,出て来たことを書いてみた

友達に見せたい場所

はじめて出来た私のための通所施設,私が通うことがゆるされている,まるで未来的に馬鹿でかい散歩兼買い物のためのショッピングモールのような場所。それは私が週に最低でも1回は通ってる(多ければ3回)大学病院で,エレベーターで昇ったり降りたり,行列に並んだりカードを入れたり出したり,服を着たり脱いだり,自分の名前と入るべき診察室の番号と,そのアナウンスをする先生の声を聞き分けながら,私はいつも,ここは自分が通うことをゆるされている,自分が病気になったことでたどりついた,特別な自分
の住処のような気持ちになる。

月美さんの書かれた精神科との関わりを読んでいて,自分は自分のがん治療の病院について思い出していた。

大学病院に予約時間ぎりぎりに飛び込むまで自分は大人として働いて居るが,病院に足を踏み入れて目的の科から別の科へとあせあせ歩き回る自分の中身は,実は小学生のような気がしている。そのモードは不安を冒険心に置き換え,知らない場所で知っている場所を増やしていき,知らない先生方を少しずつ信頼してすきになっていく,愛着の心を持っているという特性がある。
私にもし友達ができたなら,いまならわたしはここに案内したいって思う。唯一にして第一の観光名所は私のいつもきてるぬーせんげかである。これがわたしのインプリンティングみたいにだい好きな先生の名前。インプリンティングみたいに好きになるなんておかしいよね。でもそれはそういうものでなおらないし,先生は適度な距離保ってくれるからいいんだ,私のほうでも適度な距離を保つ努力はしていて,なかでも最たる努力として,平常時はわたし,違う先生に診察してもらってる(すごいがんばったです,どや顔する)。それにな,いまでは他にも助けてくれる人はいっぱいいるんだ,ふじんかのせんせいもよくはなしをきいてくれて面白い提案をしてくれるし,よぼう歯科と歯を抜くほうの歯科とがんかとほうしゃせんかにもかかってるんだ。但しがんかはいけすかない,混んでてつまんない視力検査ばかりいくつもやって,うすい色の視力検査なんかとくにイラッとするし,あとめんたま拡げて風かけられたりほんとムカッとすることが多い。それにひきかえ歯科の先生は全員やさしくて行く度になぐさめられる。採血行ったり心電図行ったり,尿検査,骨密度,肺のレントゲン,治験のなんやかんやの計測,院内処方,受付,二階,三階,廊下をぐるぐる歩き回りながら,自分はいつも,ここはいいとこだ,私の通う所だ,私の見つけた私の探検するべき工場あるいは学校みたいだ,て思ってる。

マージナルマンになりたがる自分のこと

月美さんが「Aちゃん」の章や「社会運動」の章で書いていたことからも,やはりリアクションとして自分のことを思い起こさせられた。

私はトラウマ治療を習い,精神科・診療内科で心理検査やカウンセリングを行ったり,発達支援を学び,自分が支援を受けるのではなく行ってきた,挙げ句の果てにアメリカ犯罪学会や犯罪心理学会に入って,逸脱行動について研究発表まで行うようになった。私は自分の問題を,ウィズネスでなくアバウトネスで理解しようとしてきた。そういうやりかたしか思いつかなかった。自分でも本当は当事者だろう,ヘロヘロだろうと思うこともあったが,かろうじて立って拳を目の高さまで上げてファイティングポーズを見せれば私は専門家として,知りたいことを知るための学会やミーティングに潜り込めた。とくに臨床はとてもうまくやれた(マージナルマンとしてどう支援したら良いか、とても明確にやり取りから汲み取ることができたから)。特に私の作るIEP(個別教育目標)に沿った発達支援は子どもも教員も適応度がめきめき上がるので,かなり評判も良かった。自分が専門家の中に潜伏してるスパイのようだという自覚はあり,特に研究者の顔をするときは長年恥の感覚を伴っていたが,それすら年月とともに慣れていき,私のスパイ行動はうまくいっていた。ほとんど自分がスパイだということもわすれかけていた矢先,がんになった。

なるほど,そうきましたか。

あんたの問題。あんたの不具合。あんた自身のここころとからだ、人生。いつまでもスパイやってでも仕方ないでしょ,情報収集してそれをあなたは一体どこに送るの。送るところなんかないでしょ。そのコンセント,どこにもつながってないじゃないの。

がんはバカだけど言いたいことは分かる

がんはバカだけど,バカなりに言い分はある。一理ある。ハッ,お前やってくれたな。そんな気がする。
これまで私を動かしてきたものは誰かのためじゃなくて自分の痛みだったんだということを,両手でほっぺたを挟まれて見てみろそうだろ何やってんだよこのど素人の白袴野郎,と言われたような気持ちにもなった。
それでも未だに自分に起きる問題を,一般的な問題として勉強して,知識や臨床技術をハリボテでも支援者レベルに達するところまで組んで(よしできる,次こそはうまくやれる)と確認するかのように安心しようとするみたいな癖は抜けない(ぬーがん学会,さいこおんころじー学会でも学びはじめ,その手の研究にも積極的に巻き込まれる,それは私の治療にまつわる意思決定や病気理解を助けるが,なによりもそうすることで将来的に誰かの役に立てるかもしれないという淡い希望を持てる,自分をただのKANJA100%としてではなくマージナルマンとしての可能性を捨てないで居させてあげることは私のセルフの部分を励ますのである)。

とにかくいまなら友達に,わたしはわたしの小学生の心で探検うろうろしてる大学病院を案内する。それからもうひとつ,私の職場に行くまでの銀杏並木は美しいから,そこを一緒に歩きたいと思っている。

もし私がこの病気にならず,もし大学病院に通ってなければ,毎日もっとたくさん仕事ができたのかもしれない。八百万の神かと思うくらい多種多様に飲んでる薬も一つも必要なく,自然にぐっすり眠れて,便秘もせず,つやつやした髪で好きな髪型,ちょうどいい水分量の肌,ぴんと胸をはった良い姿勢で好きな服装,頭もよく働き夜更かしも早起きもできて,機嫌良くいろんな用事を引き受け,ぴんぴん駆け回っていただろう。なんせ抗がん剤治療で失速するまでは,私は朝起きるのが大好きだったんだから。
研究でこの大学病院に来ることがあっても(あるのだ,医局を訪問して裏口から病院に行くことも),決して今みたいに小学生モードの私は出現せず,大人の私の自我状態だけでやれたはずだ。病院内をすまして歩き回り,すれ違うどの先生へも大人らしい挨拶,大人らしいディスカッションとそつのない雑談ができたことだろう。
(いまだってやろうと思えば大人モードだけで対応できなくないかもしれないけど,どこかで無理がたたって小学生モードが反乱を起こして治療をやめていただろう。私は小学生モードの内言を聴き取って尊重するという戦略をとった。それでよかったと思う。)

たましいの冒険記みたいな本だったのかもしれない

だけどもし病気になっていなかったら,私が数年前から囚われて悩み抜いていた大きな別の問題は,まだ手放せてなかっただろう。ここ2年で私がなんとかそれを(9割方)手放せたのは,病気のおかげだと言わなければならない。わたしはがんのおかげで,私の心と身体の問題を1番に考える以外の余裕がなくなり,超絶にあやふやだった自己と他者のバウンダリーの問題が一挙に改善した。どんな暗雲にもシルバーラインがある。光がさしてる縁取りはある。がんについて前向きなことが言いたいわけではない,むしろ言いたくないけど,ただ本当に,がんでさえそういう側面はあるよなとは思ってる。

この大学病院は,私が知らない場所にひとりで送り込まれて,恥や不安や混乱や葛藤や愛着や信頼や退屈や諦めや,いろんな気持ちになった場所だ。特に子どもの自我状態がメインで出てくる場なので,わたしにとっては大冒険だった。だけど心細いながら一生懸命やってきた,居心地のいい座り場所,自販機,やさしい人,おもしろいものを見つけて,一期一会の親切な人に支えられ,心理的な連続性をもってたすけてくれる人をさがして,今では助けてくれる人は何人も出来てる,自転車を停める場所も,何時までに帰ってくれば待たずにお金を払えるのかもわかってる。
あ,そうだ,この1年間の通院とか入院の体験って,何かと似てると思ってたんだけど,#千と千尋の神隠し みたいな感じだったんだよね。

月美さんの本が,たましいの冒険記みたいな本だったから,(私はまだすべて咀嚼できていないと思うけど,まずはただの反応として)自分も自分の直近のたましいの冒険のことを,話してもう少し考えてみたくなってしまったのかもしれない。
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月美さんの新しい本を読んで,感想を書きたかったけど,まず揺れた自分の心から出て来たものが邪魔になるので,いったん出そうと思ってそのまま書いた。関係ないこと書いたみたいだし,なんせ揺れてるからめちゃくちゃだ。まあそれでも,これは第一段の,感想の前の反応レターということでそのまま残しておこう。
またそのうちまとまってきたら,たとえばそれぞれの章について,もうすこしまとまった,感想寄りの感想が書けたらいいんだけどと思う。

あと,#まだ,うまく眠れない を読んでいて自分は,自分のすごく好きな小説集,#掃除婦のための手引き書 を読んでる時に似た気持ちになってた。切り取られているエピソードは自分が体験したものではないけれど,自分の体験した別の(多くは意識にものぼらず言葉にもなってない)エピソードと,そのときの感情を思い起こさせるものだった。これらの本に出て来るその人,その子を,私はとても好きになった。

新しく好きな作家ができるというのは,近所に美味しいピザやができることの8倍くらい嬉しいことだ。月美さんがこれからも大切なものを守り守られ続け,書き続けられますように。

#石田月美

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