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自分に自然科学と文学作品、哲学書を課すこと

いやしくも僕は大学で自然科学をかじったので、科学と認識の勝利を信じている。この勝利とは人類が高度な文明のなか高い認識力と科学的知識で末長く繁栄することだ。
そのためには個人的な観点からもそれらを養うことが大切だと思っている。

さて、認識力を養うのに最善の方法はなんだろうか。それは熟考しながら本を読むことだと僕は思う。哲学書は主に認識能力の底上げに役立ってくれるし、文学作品はそれのみならず感受性も鍛えてくれる。

というわけで僕は文学作品や哲学書を読みながら自然科学を学んでいる。おおよそ毎日三つの作業を課しているわけである。今日は僕が現在読んでいるそれぞれの本について少し書いてみよう。
興味のひくところを読んでほしい。


『純粋理性批判』 (カント 著,中山元 訳)

いわゆる光文社古典新訳文庫の中でも『カラマーゾフの兄弟』と並ぶ核心的なもの、つまり看板商品だと思う。

哲学書らしい哲学書を読んだことのあまりない僕なのだが、中山元氏(以下は敬称略)の読みやすい訳が素晴らしい。
哲学書なのに小説のように読める。アプリオリ、認識、知性(悟性)、経験、総合性、批判、などの哲学用語が、あたかも文学作品の登場人物ででもあるかのように文章の中で躍っている。

まだ序論を読み終えたところだが、今後の議論の流れ(小説で言えばストーリー展開)から目が離せなくなりそうだ。
次の論点は時間と空間らしい。以下の記事でも書いたが、僕は昔から時空論(と認識論)に興味を持っているので、この先も楽しく読めそうである。

哲学書としては本格的な訳ではないと言われる向きもあるようだが、僕のような初心者には適しているようだ。より本格的で難解な訳を読みたくなったら、岩波文庫版などを手に取ればいい。柔軟に考えればいいのである。

今は『アプリオリな総合認識』と言うものに興味を持っている。
これを僕なりにざっくり翻訳すれば、「経験によらずに、ある対象に全く別のものを結びつける知性の働き」になるだろうか。間違えている可能性は高いが。

正直哲学素人の僕にはそういうものの存在すら疑わしくも思えるのだが、カントは数学や自然科学を考えてみれば分かるという。なるほど。分かったような分からないような。

『魔の山』(トーマス・マン 著,高橋義孝 訳)

この文学作品を読み始めてから2ヶ月になるが、かなり読む人を選ぶ本だと思う。思弁的で論理や哲学的なことが好きな人ならハマるだろうけれど、刹那的な楽しさを求める人には合わない可能性が高い。

明確な物語展開が少なく(なんなら無いと言ってもいい)、ひたすら登場人物間での議論が展開されていく。
作品内でまさに述べられているごとく、ドイツ的な『水平生活』を描いた小説だ。
この水平生活とは数学でいうx軸に平行な関数のような暮らしを想像すればいいと思う。グラフに上下がないのだ。つまり読んでいて退屈に感じる人も多いと想像される。

と、否定的に述べたきたが、僕のように内省的な人には得るものが多い作品でもある。

教養小説との名目が示すように、感性よりも知性(理解力)を育んでくれる小説なのだ。この教養小説とは主人公が精神的に成長していく物語であることだが、その成長を読者も追体験できるという点で貴重な作品である。

実際、僕も1,000ページぐらい読んできたが、読むにつれ自身の考えの深まるのを感じている。具体的にそれがどこかとは言えないが、この小説のおかげで前述の『純粋理性批判』の哲学世界にもすんなり入ることができたと思う。

少し時代背景や考え方の古さがある点は否めないので、その辺りはアサーティブに読む姿勢が大事そうだ。

『アメリカ版 新・大学生物学の教科書』 (D・サタヴァ 著)

細胞生物学と分子遺伝学、生化学というミクロな観点の生物学が新版で3冊、進化学や生態学というマクロな生物学が旧版で2冊ある。
これを読み終えられたなら、大学生物学の初歩的なところは一通り概観できたと言えそうだ。

自然科学の本ではあるが、僕の中ではこれら3つのうちでは最も読み進めるのがたやすい。ストーリー性があって、論理を順に丁寧に解説してくれるので、スムーズに理解できるのだ。
(もちろん僕が理系的な背景を持つからという理由もあるかも知れないが、それにしても分かりやすい)

『Essential 細胞生物学』よりも入門的だが、過去の実験をたくさん載せている印象がある。実践的な生物教科書と言えそうだ。
中にはEssentialの第5版には不足していたり、あるいは違う角度から述べている部分もあり、あなどれない。
今後も物語を進めるような感覚で、覚えなければと躍起にならずに気楽に読んでいければと思う。

今日のおわりに

今読んでいる3冊について書いてみた。
これらを読んでいる時は、『努力している』とか『頑張っている』と思わずに、『楽しんでいる』と思うようにしている。

誰もが知っているように楽しむことが長続きの秘訣だろう。確かイチローさんも言っていたと思うが、「努力していると感じるうちはまだまだ」なのである。

仮に努力しているように感じていても、楽しんでいると意図的に考えることによって、本当に楽しいと感じられるようになる、そして続けられる。
そういうものだと思って、この先も楽しく読んでいきたい。

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